7月3日〜5日、雨の降る中、福島県三島町へ。
科研「農閑工芸の研究 —軟質文化の造形から—」のフィールドワーク。
「農閑工芸」と聞くとワラ細工などを思い浮かるが、特に日本の自然環境との関わりが深い「軟質文化の造形」に着目している。そのため、稲作が始まる以前より現代に続く事例を取りあげ、秋田県、福島県、長野県では樹皮を中心に、石垣島、西表島、奄美大島では草や葉を中心に行ってきた。
三島町をはじめ奥会津は、樹皮や草木を使った編み組細工が盛んな場所で、軟質文化の造形が多く残る場所である。
この季節でしかできない樹皮(キハダ、サワグルミ、ヤマザクラ、ヤマブドウ)の採取のほか、マタタビ細工の実習、ヒロロ細工に使われるモワダ(シナ)の採取を行った。樹皮の採取では五十嵐馨さんを中心に木こりの方4名の心強い協力を得た。樹皮の造形は、今では編み組細工等に代表されるが、建物の屋根材、大きな器を作る素材、煮炊きする鍋にも使われていた。鋭利な石、骨、貝などでの採取が可能で、日本では最も古くより利用されてきた素材のひとつと考える。
2010年に参加した「会津・漆の芸術祭」から、会津地方では多くの方と知り合いになった。木こりの馨さんの息子さん、健太さんもその一人。木こりの仕事をこなすが、漆芸作家でもある。久しぶりの再会を喜ぶ。



雨の中、山に入る。




キハダの木を倒し、樹皮を採取。森のなかから驚くような黄色が表れる。


枝の先の方は、樹皮の内皮と外皮に分けて採取。

五十嵐馨さん、健太さん親子。


こちらはヤマブドウ。

朝から午後3時まで、新鮮な熊の足跡も残る山中にて、キハダ2本、サワグルミ1本、ヤマザクラ1本、ヤマブドウ2本から樹皮を採取。
翌日は場所を変えてモワダ(シナ)の樹皮を採取。


これはモワダ(シナ)。この樹皮からヒロロ細工に使う繊維を取り出す。

採取後、すぐ水の中へ。今回採取したモワダは水に浸しておいて、ひと月後に川で洗い、繊維を取り出す。
マタタビ細工、ヒロロ細工は三島町生活工芸館にて。工芸館には卒業生の清水さんが勤めていて、今回の充実したフィールドワークの調整役もお願いした。

マタタビ細工の伝統工芸師である五十嵐光栄先生。



五十嵐先生にご指導いただき、なんとか笊が仕上がった。


こちらは清水さんが制作しているヒロロ細工のバック。気の遠くなるような仕事。
大学に持ち帰り、洗った後平らな状態にして乾燥する。使用するときには水で柔らかく戻して加工する。

キハダ。

サワグルミ。



こちらは以前、キハダの樹皮で制作した器。

農閑工芸の定義として、「それほど専門的な機械や道具を使わない物作り」ということををあげている。もちろん専門的な技術や知識は必要とされるが、近くにある身近な資源を有効に使い、自然素材の特性に沿って作り出すということ。
小さな社会でまわるローカルな物作り。その辺にある「ありもの」を使って必要なものを作り上げる。ローカルな物作りとはその場にしかないもの、意識的なものというよりは、身体や自然から生まれるもの。自然環境は多様性を持つ。当たり前だが、その場所にはその場所のローカル性が存在する。ローカルについて、なるほどと思った小田嶋隆さんの著書『超・反知性主義』の「大学に行く理由」から抜き出してみる。
元来、「ローカル」と「グローバル」は、「地場のもの」と「国際市場向けのもの」を峻別するための暫定的な指標に過ぎない。両者の間にある違いは、優劣ではない。どちらかと言えば「換金性」(金に換算できる性質)や「普遍性」が、「グローバル」の条件であり、逆に「ローカル」にとどまるものは、「個別性」で「独特」で「換金不能」な物件ということになる。
たとえば、鮒寿司や納豆やある種の萌えコンテンツや、留め袖や文楽のようなものは、どうしても「ローカル」にとどまる。劣っているからではない。独自で、文化的で、翻訳困難で、換金性が低いからだ。対して、電気剃刀や、USBメモリや、小麦粉や、忍者ソードは、グローバルな市場に出て、海外の顧客を相手にするようになる。単に優れているからではない。平明で、普遍的で、市場的で、換金性が高く、異動に好適だからだ。
もうひとつ大切なポイントは、「グローバル」「ローカル」という二区分法が、元来、商品を評価するための指標だということだ。
ローカルなもの作りは、独自で、文化的で、翻訳困難で、換金性が低い。そこに魅力を感じている。ただ、三島で作られる編み組細工は人気があり生産が追いつかないものも多い。
以前もこのブログで紹介したが、日本のローカルな造形文化について、興味深い内容が多い、民俗学者宮本常一の著書『塩の道』にある、「Ⅲ暮らしの形と美」の「5軟質文化が日本人を器用にした」から書き出してみる。
軟質文化の特色は刃物を使わない事
さらにもう一ついいますと、私は物質文化を「軟文化」と「硬文化」に分けています。軟らかな文化と硬い文化で、日本の文化は軟文化の比重がひじょうに高かった。その一つとして、いま言いますようなわらがあった。米を食べるという以外に、わらの利用が我々の生活を支えることが、きわめて大きかったのです。
そのわらを細工するということを、日本の子どもであるならば、残らずといっていいほど子どものときからそれを身につけていった。この技術習得というのは、たいへんなものであったと思います。そして、そのわらの利用をだんだんと拡大してきた。こういう場と機会は今日はもう失われてしまってます。
わらだけではなく、糸を紡ぎ機を織る。これもまったく軟質文化の代表的なものであったといってよいと思います。
日本以外の国では最初に革をなめして毛皮を着ています。日本でもそういうものを着ていますが、そういうものを利用することが少なかったのです。そしてそのつぎに毛糸は出現するわけですが、日本では毛糸の代わりに茎皮繊維、木や草の外皮の繊維をとって、それを利用して糸を紡ぎ、着物を織る。最初は織ったのではなくて、どうも編んで作った。編み衣が最初であった。これならほとんど道具を必要としない。やがて弥生式文化、つまり海の外から新しい稲作文化が入ってきたころに機というものが入ってきて、そして織る技術が発達していったようです。
この軟質の文化の特色は、ほとんど刃物を使わないで、ものを作りあげていくことができると。いうことです。そういうことになると竹細工、籠を作るというようなことも、刃物がただ一つあればいくらでも細工ができるものです。そういう軟質の文化が底辺にずうっとひろがっていって、そして、それを各自がおこなわなければ生活を立てることができない。そういう場がわれわれの周囲にあった。これが日本人をたいへん器用にしたわけです。
これまで僕が興味を持って調べてきた物作りは、総じて軟質文化の範疇に入る。軟質文化の造形素材・方法からは、人と自然の対称性を感じることができる。