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2015年12月 アーカイブ

2011.12.26

木を割る

小さい頃、我が家は薪のお風呂だった。
いつのひと?と思わないでください。
漆器のお店が並ぶ街。それぞれのお店の奥には白い土蔵の仕事場が座る。
湿度と温度を一定に保つため壁は分厚い。冬は暖かいので子供達のかっこうの遊び場になる。このおかげで漆にかぶれない身体に育った。
そんな漆器の街には木地屋さんも点在する。木地屋さんからお風呂用の木っ端をいただくこともあった。
木曽ヒノキを薪にして焚く贅沢な我が家のヒノキ風呂。
ヒノキで焚くステンレス製の風呂釜からは、もちろんすてきな香りはしない。残念。
薪を焚き付けるとき、新聞紙の上に木を置く。火がつきやすそうな細い材がない場合はナタで割って作る。
割って作られた板にヘギ板がある。ヒノキ、サワラ、スギ等のまっすぐのびる針葉樹から作られる。
繊維が通っていて強いためワッパ等の曲げ物に使われてきた。とても薄いものは手で割き、天井材として編まれる。
この工程はまさに職人技。手の感度を高め、指先にはね返るわずかな木の力を感じながらコントロールして薄い板をさらに薄く割いていく。
「記憶の記録」に使用したクリの木の表情とは異なり、針葉樹は直線的で繊細な肌になる。
ノコギリ等ない時代から受け継がれる木を扱う技術。

素材と人の関係について、とても興味深い内容が多い民俗学者宮本常一の著書『塩の道』にある、Ⅲ暮らしの形と美から書き出してみる。

そこで話をもっと進めていきますと、そのように植物と対決していかなければならなかった生活が、われわれの日常生活のうえにどんな影響を与えたのだろうか。それから鋤・鍬だけの問題ではないのです。
まず家を見ますと、日本の家というのはほとんどマツ、スギ、ヒノキ、東のほうへ行くとクリであるとか、ケヤキであるとか、そのようなものが建築の用材として使われています。こういうものが使われていたということは、もともとそういう大きな木がそこにあったということに、何より大きな原因があると思うのです。
しかも、それらのなかで最初に使われたスギ、ヒノキといわれるようなものは、これは針葉樹でありまして、みな年輪をもっています。そしてそれが、やや密生したところでは、ほとんど枝が出ないでずっと伸びていきますから、まっすぐになっている。そのまっすぐになっているものを、板なら板にする場合に、古い時代には縦挽きの鋸がありませんから楔を打ち込んで割っていくわけです。それでまっすぐに割れます。このようにしてわれわれは家を建てるのに、割って、それで板をつくり、柱をつくり、そのようにして家を建てていったわけです。
長い木を使って家を建てる。これが日本における一種の直線構造といいますか、日本ほど直線を巧みに利用した国はないように私は思うのですが、それは、じつはそこにある木を利用する、その利用のしかたからきたものではないでしょうか。
これは日本人の思想なり行動なりをみていく場合に、大事な問題の一つになってくるように思います。これほど直截簡明にものを処理していく能力を持ち、そして非常に早くからわれわれは数学的な才能をもっていた。これは直線というものを、まず最初にもつことができたということにあるのではないかと思います。

そこにある木を使わざるをえない環境は、人と素材の対称性や身体性を通した思考をせざるを得ない。
今は、様々な場所から素材を手に入れる事ができる。素材自体も人工的に作られ、均一化が進み、人がコントロールできる事が最優先となる。
今思うのは、いろんな事にもう少し受け身的な思考を持つ事はできないかということ。素材への問いかけから生まれるものを大切にしたい。素材への問いかけには、その背後にある自然への問いかけももちろん含まれる。

 

2011.12.23

記憶の記録

「記憶の記録」というタイトルの作品を作り出して3年目。
タイトルはその作品をあらわす言葉だけに、いつもすんなりとは決まらない。
タイトルをつけたとたんに自分自身の考えが、またその作品のあり方がストンと腑に落ちることもある。その言葉から今までになかった世界の見方、新しい視点を獲得する事もある。
「記憶の記録」というタイトルを一番はじめにつけた作品は、クリの木を割ってできた作品。
木工の一般的な仕事では、丸太を製材して板や角材とし加工していく。
製材という工程は単に木材を刻んでいくという事だけではなく、木の水分を抜きながら木の動きや収縮を安定させる大切な工程でもある。
生ものである木を安定させ、家具や器等の用をなすものを作るための工夫から、様々な乾燥方法が存在する。
自然の木と人間の長年のやりとりから確立されてきた。
ピシッとカンナのかけられた木工の作品に見られる表面の木目は、有機的な柔らかい表情で人を楽しませてくれる。
一方、自然の樹木にはそのような木目は存在しない。人が手を加え直面をつくることで表出する。
木を板にして組み立てる技術や機械というものは人の意識で作られるもの。
自然の木が人の意識に入るということ。
木工の仕事はまず基準となる直面を作る事から始める。有機的な面をつくる時でも、仕事の運びを考慮してまず意識の世界へおいでというように、ひとつの直面をつくる。
木を割ることをはじめたのは、木という素材と自分の表現の中間にある表現を目指したころ。
なるべく少ない人為で木そのものを表現するためにどうしたら良いか考えていた。
はじめはヒノキやスギ、今はクリ。クリは長さ90cmくらいの丸太からはじめて、300cmの丸太を割った。木そのものの持つ素材の特徴とは、また木を加工することとは。考えは尽きない。
樹木はまわりの環境に左右されながら長い年月をかけ育つ。
樹木が若いころ、となりに大きな木があればその木をさけて太陽の光を得ようと枝葉をのばす。
隣の大きな木が切り倒されてその場になくなったらすっぽりと空いた空間にいっせいに枝葉をのばす。
根を下ろしている場所が山の斜面であれば、踏ん張って山にしがみつく。
台風で枝がたくさん落ちる。折れた枝の付け根を覆い隠すように木は成長する。
雨の少ない夏、寒い冬、その地の自然の環境の中で育ってきた木は、その記憶を木の内側に残して成長していく。
木の内側には記録としてその記憶が残される。
実際、古い建築物の建てられた年代は柱等の部材にある木の年輪を調べる。年輪は気象の歴史のバーコードとなっている。
外に見える樹木は、それら木の成長の痕跡を覆い立っている。環境と闘い調和しながら立つ樹木の姿は美しくヤラレル事が多い。
木を割る行為で得られる表面は、内側に隠れた、普通は目にする事のないもうひとつの木の形と考える。
人の手が加わる事でしか表出しない木の自然のかたち。そのかたちを美しいと思い作品を作っている。
展示している小さな作品、そこには30年ほどの木の記憶が刻まれている。

2011.12.13

お知らせ。

本日より筑波大学アートスペースにおいて、個展「記憶の記録」がはじまりました。
http://www.geijutsu.tsukuba.ac.jp/kosei/info/2578
少し落ち着いたらこのブログで展覧会のタイトル「記憶の記録」について、いろいろ書いてみたいと思います。とりいそぎお知らせまで。

2011.12.03

おいしい器のことはじめ

お知らせするのを忘れていた。みやっちの展覧会開催中。
『宮下智吉 漆の器 個展 -おいしい器のことはじめ-』
12月7日まで。
寡黙に器をつくり続ける漆芸家。みやっちには大きな仕事や個展等のときいつも助けられている。
なぜか僕の展覧会の前に個展をぶつけてくるので中々いくことができない。
ギャラリーは蔵前にある中川ちえさんのin-kyo。http://in-kyo.net/から「いんきょ日記」へ行くと様子が分かります。ちえさんには以前、大学までお越しいただき楽しい講義もしていただいた。エッセイストとしても活躍中。

2011.12.01

12月雨

寒い雨がしとしと、しわすあめ。
先日行なわれた福島県喜多方市での「LIFE!まつり」は無事終了。
極小スペースでの明和電機さんのライブはとってもレアなステージとなった。ところせましとぎゅうぎゅうに配置される楽器達。まつりの様子はLIFE!のホームページのほうで見られるようになると思います。
使われなくなった小学校を宿泊施設として使わせていただき、夜は大打ち上げ大会。学生やOBの明和電機さんTHEパーティーさん、喜多方の方々、福島県立博物館の川延先生や小林先生など総勢70名を超える人数。学生は準備よくDJ・VJの機材をセットし盛り上げる。踊る学生さん。体育館に積まれた布団にダイブして埋まる学生さん。いろいろ。

福島からつくばにもどり、3日後再び会津若松の福島県立博物館へ。「会津・漆の芸術祭2011 – 東北へのエール」クロージングイベントとしてのシンポジウムに逢坂先生と参加。来年度のプロジェクトについて考える事がたくさん。

12月6日(火)から11日(日)にかけて筑波大学総合交流会館にて「クラフト展」開催。詳細は筑波大学芸術のホームページにあります。

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陶磁、木工、ガラスの学生作品展示。早いもので5回目となります。はじめの頃は空間が目立ちましたが、最近は展示場所に苦労するくらい作品が充実。
5回目という事で茨城県陶芸美術館館長の金子賢治先生をお呼びして特別講評会も開催。12月8日(木)14:30より会場にて。参加は自由なので出品していない学生もぜひ。
そして、僕の展覧会もせまる。せまってほしくない。でもせまってくる。
クラフト展に出品するラッコの原ちゃんへ「作品まにあうの」と聞くと「先生、時間がないのでどうなるか分かりません」との答え。「時間は関係なし。良い結果を期待する。」と先生らしい発言。
しかし、この場で撤回します。しょうがない。そういうこともある。うん。
と、いうわけにはやっぱりいかない。
夏に体調を崩し、昨年から準備していた木と漆を素材とした作品はあきらめた。
それほど時間のかからない漆の仕事もあるが、予定していた作品はとても日数のかかるもの。このブログ「カレーとラーメン」なんかを自分で読み直したりしながら作品のプランを練る。
これまでになかった表現を取り入れながらただいま制作の真っ最中。
こちらは12月13日(火)から年をまたいで2月4日(土)まで。展覧会名は「記憶の記録」。