木を割る
小さい頃、我が家は薪のお風呂だった。
いつのひと?と思わないでください。
漆器のお店が並ぶ街。それぞれのお店の奥には白い土蔵の仕事場が座る。
湿度と温度を一定に保つため壁は分厚い。冬は暖かいので子供達のかっこうの遊び場になる。このおかげで漆にかぶれない身体に育った。
そんな漆器の街には木地屋さんも点在する。木地屋さんからお風呂用の木っ端をいただくこともあった。
木曽ヒノキを薪にして焚く贅沢な我が家のヒノキ風呂。
ヒノキで焚くステンレス製の風呂釜からは、もちろんすてきな香りはしない。残念。
薪を焚き付けるとき、新聞紙の上に木を置く。火がつきやすそうな細い材がない場合はナタで割って作る。
割って作られた板にヘギ板がある。ヒノキ、サワラ、スギ等のまっすぐのびる針葉樹から作られる。
繊維が通っていて強いためワッパ等の曲げ物に使われてきた。とても薄いものは手で割き、天井材として編まれる。
この工程はまさに職人技。手の感度を高め、指先にはね返るわずかな木の力を感じながらコントロールして薄い板をさらに薄く割いていく。
「記憶の記録」に使用したクリの木の表情とは異なり、針葉樹は直線的で繊細な肌になる。
ノコギリ等ない時代から受け継がれる木を扱う技術。
素材と人の関係について、とても興味深い内容が多い民俗学者宮本常一の著書『塩の道』にある、Ⅲ暮らしの形と美から書き出してみる。
そこで話をもっと進めていきますと、そのように植物と対決していかなければならなかった生活が、われわれの日常生活のうえにどんな影響を与えたのだろうか。それから鋤・鍬だけの問題ではないのです。
まず家を見ますと、日本の家というのはほとんどマツ、スギ、ヒノキ、東のほうへ行くとクリであるとか、ケヤキであるとか、そのようなものが建築の用材として使われています。こういうものが使われていたということは、もともとそういう大きな木がそこにあったということに、何より大きな原因があると思うのです。
しかも、それらのなかで最初に使われたスギ、ヒノキといわれるようなものは、これは針葉樹でありまして、みな年輪をもっています。そしてそれが、やや密生したところでは、ほとんど枝が出ないでずっと伸びていきますから、まっすぐになっている。そのまっすぐになっているものを、板なら板にする場合に、古い時代には縦挽きの鋸がありませんから楔を打ち込んで割っていくわけです。それでまっすぐに割れます。このようにしてわれわれは家を建てるのに、割って、それで板をつくり、柱をつくり、そのようにして家を建てていったわけです。
長い木を使って家を建てる。これが日本における一種の直線構造といいますか、日本ほど直線を巧みに利用した国はないように私は思うのですが、それは、じつはそこにある木を利用する、その利用のしかたからきたものではないでしょうか。
これは日本人の思想なり行動なりをみていく場合に、大事な問題の一つになってくるように思います。これほど直截簡明にものを処理していく能力を持ち、そして非常に早くからわれわれは数学的な才能をもっていた。これは直線というものを、まず最初にもつことができたということにあるのではないかと思います。
そこにある木を使わざるをえない環境は、人と素材の対称性や身体性を通した思考をせざるを得ない。
今は、様々な場所から素材を手に入れる事ができる。素材自体も人工的に作られ、均一化が進み、人がコントロールできる事が最優先となる。
今思うのは、いろんな事にもう少し受け身的な思考を持つ事はできないかということ。素材への問いかけから生まれるものを大切にしたい。素材への問いかけには、その背後にある自然への問いかけももちろん含まれる。




