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2015年12月 アーカイブ

2012.12.26

大掃除

まずはお知らせ。
宮原ゼミ研究生ラリーの新春展覧会。

橋本友理子 個展「春待ち椅子」
2013.1.5(土) – 2013.2.3(日)11:00-19:00
東京は上野のカフェ&ギャラリーモアノさんにて。
春が待ち遠しい冬も良し。

早いもので今年もわずか。
明日は恒例の大掃除。木工室、機械室、廊下、倉庫、畑等々。
子供の頃の大掃除と言えば蔵。寒い木曽では漆の仕事場に土蔵の蔵を使っていた 。
漆の性質から、暖かい環境でないと仕事場には向かない。
標高900メートルの長野県に位置する僕の田舎はもちろん寒い。かなり。
蔵の中は大きなストーブが焚かれて、格好の遊び場だった。年の暮れ、大掃除の日はその暖かい遊び場が一変、広い戦場と化す。
天井をはたき、壁をはたき、障子をはたき、ほうきで掃く。ストーブで沸いた熱いお湯と氷より冷たい水を混ぜて、階段や広い床を必死で雑巾がけ。床は黒と赤の漆で彩られていた。
下地の仕事場、上塗り場、漆風呂の中、研ぎ場、材料置き場。一日がかりの大仕事。
掃除が終わると、漆の定盤の上に漉し器を置き、鏡餅を供えて年を越す。
明日は木粉と戯れる一日の大掃除。そして楽しい忘年会。
今年のうっぷんを晴らしながら身体についたもっぷんをはたく。

 

2012.12.13

器の形は他人が決める

このタイトルについて、前回のブログに書いた。
説明できるか自信がないけど、無理矢理にでも書いてみよう。
器を選ぶ時は感覚で選ぶ。多分、多くの人がそうしていると思う。色、形、質感、重さ等を詳細にそれぞれ吟味して選んだりはしない。
自分の感覚にフィットするもの、所有している他の器と食卓に並んでも綺麗に見えるものを選ぶ。
感覚的でない選び方を考えてみる。
例えば、お椀。
口縁を境に外側と内側の形がある。
外側の形は、食卓に映える形や色であるとともに、持ちやすさが大切になる。持ちやすさとは器を使う人が使いやすいということ。食べる時は手が滑ったりせず、すっと手が添えられる形のもの。
もちろん、配膳したり仕舞ったりする時にも扱いやすい方が良い。仕舞いやすさも大切になる。器は使う時より、仕舞っておく時間の方が圧倒的に長い。
内側の形は、料理を容れる形。
ここで大切になってくるのは、器の内側と外側のバランス。
みそ汁を飲むときに内側の形が深すぎると、器を顔の上まで持ち上げる必要がある。飲み尽くし、ごちそうさま!という食いっぷりの良い感じはでるが、このときの佇まいはそれほど美しいものではない。
器を持ち上げて中の汁が口に入りきる時の器の場所が、食べる人の仕草を作り、その人の佇まいを作る。そしてその仕草の美しさは、他人が決める。
そう、自分の器の形は他人が決める。
テレビでよくダイエットの話題になる。
出演者の男性が、一般的な男性はそんなに痩せた女性は好きではない。なので、ダイエットをする必要がない。と主張する場面に出会う。痩せる必要もなさそうなのに痩せたいと思う女性を見て、男性にもてるためダイエットをしてると思っているようだ。
しかし痩せたいと思う女性は男性の方を必ずしも見ていない。人々の中で自分のあるべき姿を見ている。
他人から見た自分と、自分から見た他人の中にいるスリムな自分をうまく擦り合せたいがためにダイエットをする。
たとえを使って器の話をうまくまとめようと思ったが失敗しそうになってきた。
多分失敗だ。
器を選ぶ時は、他人から見た自分の仕草が、自分の好きな型になるものを選ぶ。というのが、器の形は他人が決めるということ。他人とはもう一人の自分でもある。
器を持つ仕草の美しさには、テーブルの高さや椅子の高さも大きく影響する。元々お椀は、座敷で使うことを前提として作られた。テーブルで使うことを考えて作られた高台の形を選ぶ必要がある。
しかしこれまで、農閑工芸のありかたについて「ありもの」でどうにか間に合わすという、造形のあり方についてたくさん書いてきた。そこにあるどんな器でも使いこなして、身体に馴染ませることが大切ということになる。
ということは、他人が選んだ器でも身体の使い方次第で良い器になる。そして、器と一緒に美しい仕草を伴った佇まいを作る。
というわけで、今回のブログは書かなくても良かったということになった。
ごちそうさま。

2012.12.05

PLAY MEAL!

10月から11月にかけて週末5連チャン、会津・喜多方行きの日々が無事終了。週末ごとに内容の濃いイベントが続き、さすがに体力も消耗。
11月10日に開催した「PLAY MEAL!」は、以前からやってみたかった食のワークショプ。
4年生の中村君を中心に総勢11名、農閑工芸プロジェクトとして実施。
喜多方市の地域資源を学生の視点から掘り起こすことが目的のひとつ。今年の6月に大勢でお世話になった雄国竹細工保存会の皆さんの協力を得て、いろんな形のカゴや器を制作していただいた。森姫農園の千世さんには、喜多方の郷土料理であるチマキの菱巻を教わる。
チマキはいわゆる旬ではないのだが、自然の笹の葉がパッケージとなっているチマキを学生と一緒に作ってみたかった。
僕の生まれた木曽では、5月から6月にかけて朴葉巻が作られる。餡を米粉の餅でくるみ、ホウの葉に包まれたもの。我が家の廊下にもこの季節になると朴の葉に包まれた餅がぶら下がっていた。朴の葉は枝の先から放射状にのびる。その葉ごとにひとつの餅が入り、束になって廊下にかけてある。食べたいとき、ひとつもぎりほおばる。バナナのように優れたパッケージ。チマキの笹と同様に香りも良い。
他にも農園で採れた野菜を中心に調理して、様々な具の入ったオヤキも作った。
このワークショップでは地域資源の活用とともに、「食のクリエイティブ」をテーマとした。
2週間前に渡部木工さんでの「製材ワークショップ」で制作した「器としてのカッティングボード」も食のかたちを考えるアイテムとなる。
4年生が中心となって事前に制作した変な形の食の道具も持ち込む。
道具は本来、目的を持って作られる。箸とか、スプーンとか、フォークとか。しかし今回は目的を持たず「道具のような形のもの」を学生と一緒に竹で作ってみた。
見た目に道具のような形をしているもの、特殊ななにかをつかむような形、切れそうな形、うまの耳掃除になくてはならないような形等、竹を削りながら道具のようなもの、何となく道具に見えそうな道具を作っていった。
これは初めての体験で、非常に面白かった。なんとなくであるが、必然の形や説得力のある形を抽象的な思考の中から探し出す。あるとき腑に落ちる良い形が現れる。道具になる瞬間、そこを見極める。でも何に使うかは知らない。ひとりよがりの真剣勝負。
そして、「PLAY MEAL!」本番。前日から会場となる「漆座」の空間を作り込んだ。竹細工やハタガネを活用した棚。菱巻がぶら下がる暖簾。
事前にシルクスクリーンでマークがプリントされた布が参加学生に配られ、それぞれが作ったエプロン。それに身を包む学生。
すべて農閑工芸の手法を使って、ライブのように遊びながら作り上げた。僕も身近な資源を活用して、エプロンを制作。我が家には洋服を作る妻がいて、大きな工業用ミシンがリビングでどっかと座っている。というわけで妻に作ってもらう。身近な資源の活用。
100人分のおやきとチマキを仕込み、書ききれない程の料理も準備しPLAY MEAL!スタート。
来場者が、できたてのおやきとチマキをカッティングボードと道具のような竹で工夫しながら食べる。
今回は食から器を考え、器から食を考える事が狙い。器を作る作家は、器の形にばかり固執してしまう事がある。まだ、作品数が少ない学生も、自分の表現ばかりに目が向いてしまう。やはり器の形は、食事の中から考えることも必要。
このワークショップでは、食事の作法自体を遊びの中から生み出したいとも考えていた。
使い方の分からない道具をどうにか使って食べる。遊びながら食べるうちに、何となく作法的なものが生まれると面白そうだなと。その作法から、例えばおやきの大きさが決まってきたり、作法から食が規定されたり、道具から調理方法が決まったりと、物と事の中間から食事を捉える機会を作りたかった。
これは、普通の木工の仕事とは方法が異なる。作る物を考え、スケッチして、模型を作り、図面を引いて材を刻む、といった制作方法ではない。また、料理を作り、料理が映えそうな器を選び、配膳するといった食事方法でもない。もっと粗野なものだが、このワークショップでは、食事や器について自由に考えられるきっかけを求めた。きっかけなので、新しい食事の方法を考えるとか、新しい器の形を考えるとか、結果を求める物ではない。あくまで、自由な考えが生まれる場としたかった。
100食を目指して用意したので、肝心の食で考える器、器で考える食について遊びながら考える時間が十分に取れず、残念。というのも、うれしい事にこのイベントへの参加者が多く、学生は大変な作業量となった。今回の「PLAY MEAL!」を通して器を考え直すきっかけは得られた。ひとつ自分なりに発見できたことは、器の形は他人が決める、ということ。と書いただけではなんにも伝わらないと思うので、今度書いてみます。

そして、夕方より僕の器と遠藤さんの器に郷土料理を盛りつけた「器の蔵」をいつもの大和川酒造で開催。これもすごかった。