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2016年02月 アーカイブ

2013.02.26

音と声

CRプロジェクトでの映画上映「音と声」。
2日間で6本の映画を見る。

2月16日(土)
『この空の花』
監督:大林宣彦(2011年/日本/160分)

『音のない3.11 〜被災地にろう者もいた〜』
取材・撮影・編集:今村彩子、渋川和憲(2011年/日本/23分)上映後監督手話によるトークショー開催 ゲスト:今村彩子

『相馬看花』
監督:松林要樹(2011年/日本/109分)

2月17日(日)
『なみのおと』
監督:濱口竜介、酒井耕(2011年/日本/142分)上映後監督トークショー開催 ゲスト:濱口竜介、酒井耕

『槌音』
監督:大久保愉伊(2011年/日本/23分)上映後監督トークショー開催 ゲスト:大久保愉伊

『核の傷 肥田舜太郎医師と内部被爆』
監督:マーク・プティジャン(2011年/フランス/53分)

映画の上映をはさみ、監督のトークショーも3回行なわれた。
大変貴重な時間をすごしたが、学生の参加が少なく残念。

「なみのおと」がとても印象深い映画だった。
トークショーで監督のお話しを聞く。
被災地を初めて訪ねたとき、これまでの見てきた報道などの映像と自分の感じた印象が違うということだった。
そのズレを、監督なりに補正して、自分の感覚と擦り合せている様に感じた。
というより、そのズレに焦点を当て表現していた。

ドキュメンタリー映画の中に登場する被災者から聞こえたのは「故郷」という声だった。
言葉にならないなにかを表現しようとして、考え、出てくる言葉が「故郷」という声。
みな恥ずかしそうに、「やっぱり故郷だからな」と言う。
震災直後の消火作業や捜索活動に力を注いだ地元の消防団は、やっぱり地元の事だから俺たちがやるしかないと言う。
「義務感というと恥ずかしいが、消防の仕事をがんばるのは義務感かな」この義務感は故郷を表している。

人にとっては、祭りが故郷であり、仕事が故郷であり、食が故郷であり、川が故郷であり、家が故郷になる。

近所のおじいちゃんに叱られたこと、山菜採り名人から山菜をもらったことが故郷になる。
ちょっとのおせっかいが、贈り物となって循環する社会。
その社会が故郷にはあった。これからは人と人との繋がりが、故郷になりセーフティーネットになるのかな。

僕が被災者の方々と話すなかで、印象に残っている言葉は、大熊町から会津若松の仮設住宅に移りすんでいる方から聞いた言葉。
「好きなご飯を作る事ができないことが、こんなに辛いとは思わなかった」
震災後、体育館等に避難して避難場所を転々と移り、仮設住宅に入るまでのお話し。
避難所等で用意された食事に満足しなかったという訳ではない。嫌いな物を我慢して食べたという話でもない。
料理するという、生活の中のクリエイティブな活動が制限されたとき、非常に辛い思いをしたという話。

日常のクリエイティブ。
農閑工芸的に言えば「作る喜びそのものに価値がある」。
食べる物があれば事足りるというのではない。
家族の食事を作る。ご飯は、その時にある食材で考えて作る。旬のものがおいしいが、冷蔵庫にある物もうまく使う。
そして、明日、明後日、時間軸の中で食材をうまく使うことをいつも考えている。
多めに作り、明日のお弁当や夕食の副菜に。食材という水平軸と食材を有効に使う垂直の時間軸で工夫する。
すぐには消費できない余剰分は干したり漬け物に。漬ける時は、その食材の状態と食べる頃、を想定して、塩加減を工夫したり、その時の温度や気候、自然の環境を感じて作る。
その土地に根付いた先人の知恵を受け継ぐレシピ。
レシピは生活と密着して、四季それぞれに用意されていながら常に流動的である。そのクリエイティブが、アイデンティティーとなって地域の食文化を創ってきた。
ご飯を作ることの他にも、庭の手入れや掃除、洗濯、買い物。生活自体に数々の「表現」が組み込まれている。
歯磨きや新聞をたたむことも日常のクリエイティブ。
お湯を沸かすことや洋服をたたむことも表現。
ご飯を作るというシンプルな表現すらできない環境は、どれほど人間において過酷な状況であるか、これは想像する事ができなかった。

漁師や畑仕事、様々な仕事に関わってきた人達も住む場所を失い、土地を失い、仕事を失い、会社を失っている。
そこでは、自然に働きかけ、人の暮らしに働きかけ、生産する「作ること」が制限されている。
作ることから築き上げたアイデンティティーの復興に目を向けたい。

2011年5月8日の毎日新聞に掲載されていた海原純子さんの「心のサプリ」。その中でもとても印象深く思い出す記事がある。ずっと研究室の壁に貼ってある。その一部を抜粋して紹介したい。

海原純子 アイデンティティーの復興を:心のサプリ

「ある漁師さんの話を聞いた。80歳を過ぎても元気で漁をしていたその方は、津波で船が流されて、一時は漁を続けることを断念した。しかし、自分には海しかない、と仲間から船を買い、再び漁に出たものの、原発事故の影響で仕事ができなくなった。『漁師が漁ができないのは最低です』。低く語った一言が忘れられない。家、家族、友人、仕事……。震災は、多くを奪った。原発事故でなくした仕事や住居、家族同然の牛や鶏。充分な補償をする、と政府は言う。しかし、お金で埋め合わせられないものがある。それはアイデンティティーだ。漁師、農業従事者、養鶏業をして生きる自分、といったアイデンティティーは埋め合わせできない。漁師さんは、80歳を過ぎるまで漁をして自然と共に生き、社会とつながってきた。日本人は欧米人のように、人生とは何か、と座って哲学をしない。しかし、厳しい自然の中で生き、体を動かして労働するなかで自分らしさを築く哲学を持ってきた。仲間と共に生き、あきらめずねばり強く、他人の足を引っ張らず、他人を羨望しない東北の哲学は、恵まれた都会っ子には真似できない、体で覚えたものである。漁師は、漁をすることで自分らしく幸せに生きられる。農業を営む人は、田畑で米や野菜を育てるなかに幸せを感じとれる。どんなに大変でも、自分のアイデンティティーを持ち、自分らしく生きられることが幸せにつながる。その充足感は、お金があっても買うことができない。」

会津若松の仮設住宅では、駐車場の隙間を下った線路脇のほんのわずかなスペースに鍬を入れ、石ばかりの畑で作物を育てていた。
土と共に暮らしてきた人の魂の風景を見た。
僕が被災地で見た風景は、そこにしかない暮らし。
当たり前の話だけど、そこにはそこにしかない暮らしがあった。