6月25日、石垣島へ。農閑工芸の研究。
羽田から那覇で飛行機を乗り継ぐ。同行するユイちゃんこと松本さんと那覇の飛行機の中で再会。大学の後輩で、一緒に助手をしていたこともある。現在は本島の南風原の沖縄県工芸振興センターにお勤め。ここは以前の沖縄県伝統工芸指導所。10年程前に、文化庁の新進芸術家育成制度で大変お世話になった。その時はデイゴの挽物を中心に調査した。
沖縄はかつて琉球王国として栄え、日本や中国そして東南アジアを交易範囲とした。異国の文化が行き交う地点でもあった。
デイゴで作られた三足盆という、脚の付いた盆の形に惹かれた。
三足盆は、デイゴの軽さを生かした造形。トチ、ケヤキ、サクラなど一般的に挽物(ひきもの)に使用される木は広葉樹で堅く、重い。デイゴは軽く芯材を使用しても割れにくいため、三足盆のようなたっぷりした食具が作られる。
素材の軽さを生かした形。
沖縄各地の三足盆は、箍物(たがもの)の形を取っていた。箍は桶の部材を固定するためにある。箍がはずれるとは、桶の枠組みが外れ、部材がバラバラになる様を表す。
沖縄で見た三足盆はすべて箍物の形をした挽物であった。そこに箍は必要ないが、わざわざ挽物で木地から作ってあったり、錆漆などの下地漆で盛り上げて箍を表現していた。
桶はヒノキやスギなどの割裂性の高い針葉樹が素材となる。沖縄で松は見かけるが、ヒノキやスギは見かけた記憶が無い。
箍物の形をした三足盆は交流貿易の品を模倣して沖縄で作られた様に思う。それが貿易用か、異国の物を楽しむものかは分からないけど、面白い残り方をしている。
西表島。
つくばから8時間の旅。昼食はゴーヤチャンプルの入ったお弁当とサンピン茶を小学校の日陰でとる。児童達は二日後の運動会に向け日射しが強い校庭でエイサーの練習。下級生は日陰でそれを見る。一緒になって太鼓や踊りを練習している子もいた。近所の方々の演奏する三線で踊り、太鼓を叩く。
島について30分で沖縄を堪能。
この日はマングローブの森やスオウノキの木を見ながら島を散策。そして、クバをはじめ島の植物素材から様々な物を作り出す星さんのお宅へご挨拶。26日、27日と星さんのご指導のもと実際に様々なものを作りながら調査する。
今回の目的は、主にクバを素材としたもの作りの調査。クバは、ヤシ科の常緑高木で和名ではビロウ(蒲葵)という。これぞ南国という佇まいの木である。草木を素材とした造形は様々である。建物から糸まで。
様々な素材の中でもクバの活用範囲は広い。食材でもある。クバが生える場所に住む人にとって、衣食住のすべてに関わる大切な素材であった。少し長い文章だけど、福島県立博物館での展覧会図録「樹と竹 -列島の文化、北から南から-」よりクバについて引用する。
クバの民具
琉球列島の聖地を一般に「御嶽」という。天降りする神の常在する場所と考えられている。日本の杜・お山信仰の古い姿をとどめているといわれている。神木とされる木がクバ(ビロウ)やマーニ(クロツグ)のヤシ科植物である。御嶽の名を「コバウの嶽」「コバウの森」というのが各地にあり、神名を「コバツカサ」という記録が見られるのでも重要な植物であることが分かる。
これらのヤシ科植物は、東南アジア・台湾から琉球、さらに九州の沿岸や四国の太平洋、伊豆諸島に分布する。それが琉球の島々で神木とされ、御嶽に叢生して愛護されたのには、いくつかの理由がある。クバの木は成長すると天高く伸びて、天降る神の依代になると考えられる一面がある。その説を否定しないが、筆者には他に理由があると考えている。古代からその植物の利用度の高さにその秘密が隠されていると考える。クバは幹の高さはおよそ15メートル、直径30〜50センチに達し、葉は掌状で先端が下垂する。葉の直径が1〜2メートルもある。琉球の島々でいうクバ、コバの語源は「堅い葉」からきたのであろう。
(中略)
クバは建築用材になる。幹は堅いので柱や床に、葉は茅葺き材や壁材になる。民具の素材としては万能で、柄杓やつるべ、みの、笠、団扇などを作る。青葉でつくった鍋を使用したのは与那国島である。かつて同島では、遠くの田仕事に出かける際は鉄鍋を持たず、味噌だけを持参して行き、田の畦でお湯を沸かしたり味噌汁を作ったりしたのである。その作り方は、若木の葉を刈り取って伏せて葉の端を取りまとめ、葉柄と一つにくくり付ければ出来上がりである。つるべも同様の作り方である。
屋根葺き祝いの料理や弁当を包むこともあった。ユーナや月桃や芭蕉の葉も包装用である。植物の大きな葉をカーサというのは、もともとカシワ(柏)からきたといわれ、クバの葉はカーサの代表的存在であった。それは料理や弁当を包むだけに限らず、夏の磯に自然にできる粗塩を掻き集めて包んで吊るし、ニガリを除く際にも用いた。クバの葉の中には小さな骨があって、その骨を集めて束にしたものは土間箒として、あるいは蝿たたきとして用いた。
与那国でクバの床板を見たことがある。竹富町の資料館では、幹で作った六尺棒を見た。舞台芸能用として軽くて扱いよかったという。また、八重山の島々や奄美大島では、中をくり抜いてつくった甑が使われていた。箱状や樽状の蒸籠が作られる以前の甑と考えている。甑では強飯を蒸し、味噌の原料や麦や豆などを蒸しており、生活に直結したものであった。
さて、これらの民具が現在も使われているモノは少ない。クバ笠は、伊平屋島、久米島、与那国島などに現在も見られ、最も利用されている分野であろう。クバの葉を中央から2つに裂いて半月形につくった団扇もまだ見られる。
(中略)
クバの芯は、食材としても重宝された。若い木は繊維が少なく柔らかい。豚肉汁に加えて煮ると、肉汁のダシがしみて美味である。台湾の原住民が藤芯を食用にするようなものである。久米島では、屋根葺き祝いに山野に自生するクバの芯を煮付け、夕方の肴に加えた。揚げ豆腐・昆布・豚肉・天ぷらなどに混じってクバの芯があるわけだが、これがあるとないでは値打ちがちがう。そしてこれらの料理を丸く包むのがクバの葉である。夕方、屋根葺き祝いに酒をつまみにし、あとは家へのおみやげにした。
上江洲均 「タケ・クバ・カヤの民具 -奄美・沖縄・先島-」『樹と竹 -列島の文化、北から南から-』 福島県立博物館・鹿児島県歴史資料センター黎明館編、2007年、107-108頁
クバは生活に欠かせない素材だった。
星さんも海岸でタコを獲り、クバの鍋で食べたという。落ちて枯れたクバの葉でイノシシを焼く、これも美味とのこと。
10年程前、沖縄でクバの団扇を購入して使っている。そして、博物館や民芸館で見た釣瓶の造形に感動。
10年の時を経て、自然のプリーツを持つ大きな葉を採取し、釣瓶(つるべ)と柄杓、団扇を実際に作る機会に恵まれた。
26日の早朝、すぐ近くの美しい浜でひと泳ぎしてから、星さんの工房へ。
工房には、クバの他にも山から採集された素材が並ぶ。
細く裂かれ乾燥中のゲットウ、それを編んだ縄、クロツグ、クバ、アダン、アダヌシ、サンカクイー、ヤブレガサ、バショウ、稲ワラにススキなどなど。他に種やサンゴもある。
クバ細工の前に稲ワラでほうき作りを教わる。
ここ西表島では、稲刈りが終わったところ。日本は長い。
僕らの訪問は稲刈りが終わり、二期作の田植えが始まる間の期間。日射しが強いため、農作業は日が登る前から始まる。日中は避けて日が落ちる頃から再開するという。
東北では、農閑工芸は冬の仕事。ここ沖縄では、日中の日射しを避ける時間の仕事かもしれない。
稲刈りが終わったばかりなので、柔らかいワラが用意されていた。稲ワラから一本ずつ芯材を取り出してほうきを作る。
日本海側、佐渡で作られる箒に良く似ている。



ほうきの後は、いよいよ裏山に入りクバを採集することに。
採集から造形までの一連の流れを体験する事の大切さは、ほうき作りの時に体感した。
山に入る前に、ジュガヤの草でお守りを作る。これは子供が生まれ、初めて外に出る時のお守り。初めて島に入るとき、山に入るときなどにも作る。特定の草ではなく、結び方が決められている。
裏山と言っても、一歩でいきなりジャングル。里山なのだが、里山のイメージはない。猛暑のなか長袖、長ズボンで山に入り、鎌を持って進む星さんの後に続く。
芽が出てから2,3年、葉幅が60cmくらいの若いクバを採取。これは団扇用。大きな葉も採り、釣瓶用に。
途中、クワズイモで鉄砲遊びをしたり、クロツグでハブや刀の玩具を作ってもらう。ソテツでは虫かご。茅葺きの固定や編み物に使うトウヅルモドキを裂いてみる。裏山は自然素材の宝庫。点在する御嶽を巡りながら素材と遊ぶ。
木の根元に亀も発見。天然記念物のセマルハコガメ。
長くなってしまった。
続きは、「農閑工芸」のページにまとめます。