セキレイとキジバト
つくばの路上にハクセキレイのつがい。
いつも緑のある場所で見るので一瞬とまどったが、セキレイは好きなのでなごむ。
長男もセキレイを見つけるとすぐに教えてくれるようになった。
つくばでは雨上がりの空き地に遊ぶ姿を良く見かける。
小学校、中学校と学校まで歩く通学路は、奈良井川という清流に沿っていた。ヤマメやイワナ、サンショウウオが住み渓流といってもよい。
奈良井川は犀川となり千曲川となり信濃川となって日本海に流れる。
僕の住んでいた場所は分水嶺が複雑に絡んでいる場所でもあり、近くの川は木曽川となり太平洋に流れていた。
深い山に囲まれた木曽谷の底を奈良井川が流れ、人が住む場所も道路も線路も川に沿っている。
天の川も同じように谷の空を流れていた。
通学路を歩いていると、川の上をセキレイが上下しながらとんでいた。清流の石の上で尾をふって休みながら。
小学校の6年間と中学校の3年間、川遊びも含めてセキレイはいつもそばをとんでいた。
セグロセキレイもいたが、キセキレイの方が多かった気がする。
通学路を歩く僕たちと、川に沿ってとぶセキレイ。半分はばたいて半分休むような飛び方が好きで見ていて飽きない。
セキレイの他ではキジバトも好きな鳥。
まいた種を食べられてしまう人やベランダに巣を作られてしまった人以外でキジバトを嫌いな人は少ないだろう。
渋めの色と模様。ゆっくりとした歩き方。そしてあの鳴き声。なんとも日本らしい。
キジバトは人間との距離感が独特。
ゆっくり近づくとそこそこまで近づける。ちょっと行き過ぎると逃げてしまう。
その時に引かれた距離感の線は、キジバトが人を理解する感性によって決められていると思う。
人が歩くスピードや自然のものに近づく感じは、キジバトが逃げない距離感とスピードを考えるとちょうど良いかも、と考えている。
つくばの工房の空き地の小さな道で、しょっちゅう土をつっついてるキジバトに近づく。
逃げられてしまうと修行が足りないと反省。
つがいでいる事が多いが、そのつがい同士の距離感も中々良い。
セキレイもまたキジバトのように、他の鳥に比べると近づく事ができる。キジバトほど近づく事はできないが、こちらを気にする雰囲気というか目線はキジバトに似ている。
この距離感はものと人との距離感にも通じる。
好き嫌いに関する事なのでいろんな考え方があるだろうが、ものを見る時、自分の中で距離感の線を引く。
特に家具や器等の使うもの見る場合だが、使いやすさばかりを考え人に近づきすぎてるデザインのものはあまり好きではない。
デザインされたり作られたりしたものは、そのものとしてのそのものの佇まいを持つもの、好きになるものに共通している。
個の表現の表出は勝手に距離を縮められている、つめよられる気がして辛い場合もある。うれしい場合もあるけど。
人の趣向性によりかなり変わってくるが、僕としては自分とものの距離感はそこそこ遠いほうが良い。
器の形ついてブログを書こうと考えていて、セキレイやキジバトの話になってしまった。




