新年の挨拶もないまま、2月を迎えてしまいました。
本年もどうぞよろしくお願いします。
平成27年1月31日(土)、四季彩館で開催された「森ものがたりフォーラム」参加のため喜多方へ。
大雪の中、原先生、清水さんと向かう。
本年度の活動「旅をする漆の器」の発表と次年度に向けたお話をする。
参加アーティストは、山本あまよかしむさん、新潟大学の橋本学先生、中山晴奈さん、そして、筑波大学の原忠信先生。
「森ものがたり」では、喜多方の森林文化を見直し、過去を現代へ繋げることを目的に、交流を伴う様々な活動・イベントが開催された。
当日の冊子に載せた文を紹介します。
「旅をする漆の器」
日本人は、自然を扱う技術者として、樹や竹や草、漆などの森林資源を有効に活用してきた。私も一人の作り手として、自然素材を扱う喜びを日々感じている。
これまで、喜多方では蔵を発表の場としてきた。インスタレーション、能舞台、食空間など、漆と地域資源を表現の素材として、蔵の魅力を引き出す事を試みた。
様々な場に漆の器を貸し出す「旅をする漆の器」では、器が蔵の役割を担う。喜多方の様々なシーンを容れる器、そのような器を制作した。
「旅をする漆の器」は、私の手を離れて、喜多方の人々が使う。これまでのように、展示期間など発表の場にとどまらない展開が期待できる。私の意図するもの以上に、喜多方の地で器の価値が増殖する事を願っている。

「旅をする漆の器」一式
大皿の行李:ヤナギの耳杯、キハダの片耳杯、クリの片耳杯
鉢の行李:キハダの挽目盛器、センの挽目盛器、ヒバの浮造皿、クリの屈輪文皿
小皿の行李:タケの皿(五十枚)
箸の巾着:ヒバの箸(五十膳)
食具の巾着(三袋):タケの篦、匙、櫛など
食具の帯:タケの櫛、箸など
渡部清雄さんの集めた木材から器の大半を制作した。竹のカトラリーは平出達郎さん、そして、器を修めるカゴは雄国根曲竹細工保存会の皆さんに制作していただいた。学生共々お世話になった皆さん。
「旅をする漆の器」は、最近考えている「セミ・パブリック」へのアプローチです。
日本においては地域の祭りや冠婚葬祭、様々な寄り合い、消防団、青年団など「私と公」の中間に位置するものごとが、コミュニティーの強化に一役買ってきた。
また、季節ごとの田植えや稲刈りなど、各地域での行事や仕事を通じた共同作業もその役割を果たしていた。それらは、大変に面倒な一面もあり、僕自身も長野の田舎から都市へ移ることへの動機のひとつにもなっていた。
共同体の中の集まりは、年代や目的ごとに複数が重なり合いながら存在していた。そして、個人は複数の集まりの一員となる。これまでの日本人は、必然的に様々な集まりに属していたが、現在では、そのような繋がりが解体しつつある。特に都市部ではその傾向が強い。
それらの集まりは、人によっては面倒な付き合いが強いられる一方で、個人が孤立しないためのセーフティーネットとしての役割も持っていた。「セミ・パブリック」という言葉からは場所や空間をイメージするが、それ以外にも様々なかたちを取る。そして、「私と公」の中間に位置する、現代の「セミ・パブリック」を器で考えてみた。
器を使う人は、料理を作る人。料理を作り、提供することを楽しむ人。そこでは器や料理は消費される。一方で、集まりの場を作ることは、消費という形をとった生産活動でもある。
器の演出は、場の演出であり、季節の食材、料理する人、器を作る人、集まる人の創造性を刺激して、自然と盛り上がる。その行為は消費の形をとったクリエイティブともいえる。そこに「セミ・パブリック」が構成される、かもしれない。
漆の器を使用してもらうと、そこに喜多方のシーンが見えてくる。それらを写真に残し、使われ方を見ると、喜多方に合った器の形も見えてくるかもしれない。それを反映した喜多方の技術者による器作りも視野に入れたい。
社会が変化して行く中、器から考える「セミ・パブリック」。地域のそこにある「ありもの」の素材、そこにいくつものヒントがある。そして、「ありもの」の素材は物ばかりではない。
このプロジェクトはそのような考えで始まった。喜多方で良質の木材を集めてきた渡部さんの木材を使い、平出さんに竹のカトラリーを作っていただき、雄国竹根曲細工のカゴで器を持ち運ぶ。
そして、喜多方の食材で作られた料理をいただく。
土地に根付いた先人の知恵を受け継ぐレシピ。レシピは生活と密着して、四季それぞれに用意されていながら常に流動的である。その流動的なクリエイティブが、アイデンティティーとなり地域の食文化がつくられてきた。喜多方の酒や味噌もそのようにつくられて来た。
「旅をする漆の器」という些細なプロジェクトがどのように展開するか、喜多方の方々の協力を得て試行していく。