つくばのほうき
「農閑工芸の研究」の実践。
酒井先生のご指導のもと、ほうき作りが一段落した。
いつかほうきを作ってみたいと思っていた。
ほうきの美しさに気付き、色んな場所に出かける時はその土地のほうきを見るようになっていた。それほど夢中になっていたわけではないが、気にはかけていた。
ほうきは惰性が強い。
惰性とは、作り方が昔とそれほど変わらないこと。また、変える必要もなく昔の姿で今もあること。
集めて束ねればほうきができる。買わずともその辺にある草木や竹でとりあえずのほうきは作れる。その、とりあえず作れることでほうきは残ってきた。様々な場所に様々なほうきが残る。
ホウキの惰性について。
掃除機の登場により、ほうきはそこそこの物で良いというポジションに落ち着いたとも言える。ミクロなゴミ、細胞レベルの物質や有害物質を生活環境から取り除くのは掃除機のお仕事。
ほうきに望まれることは昔と変わらない。なのでほうきは変わらない。
室内でほうきを使用する家庭は、都会であればあるほど少なくなるだろう。
田舎なら室内のゴミは外に掃けばゴミではなくなる。元々外にあったホコリは、内に入ればゴミになるが、外に戻れば外のものに戻る。
田舎には土があり緑がある。土や緑に由来するゴミは、外ではゴミと呼ばれない。都会ではそうはいかない。内でも外でもゴミはゴミ。田舎では葉っぱが部屋に入るとゴミ。外に出すと自然のもの。都会では葉っぱは部屋でも外でもゴミである。帰る場所がない。だから掃除機で吸い取りまとめてゴミの日を待つ。
話しは逸れたが、ほうきはこれまで通りの作り方が継承されている。地域の植生による素材と地域に住む人による作り方。ほうきには小さな社会で回る需要がある。小さな社会で回るものには固有の文化が宿る。だから色んなほうきを見ることができて面白い。
ほうきの美しさは、土地や人という固有性を持ったローカルな場所から現れた普遍的な美しさといっても良い。
ローカルから生まれた普遍性ではなく、ローカルな普遍性。
ほうき作りは面白かった。本当に。
面白かったではなく、当たったと表現した方が的確。
ほうきに当たる。
暑気に当たるように、ほうき作りに当たった。
満足感と共に疲労感に満たされた非常に濃い1週間だった。ほうき作りが終わった後、何日か呆然。
ほうき作りをまとめておく。
春から酒井先生と奥様にはお世話になりっぱなし。
5月22日 種蒔き
7,2M×27,5Mのコンパクトな畑に畝を作り種をまいた。畑は酒井さんのご自宅のすぐ隣にある。酒井さんによって、先に畑は耕され準備されていた。ゼミ生と共に、足で畝を作り、種をまき、足で土をかける。農具を全く使わない畑仕事。種蒔きから75日程で刈り取りの時期を迎えると言われ、胸が躍る。
6月4 日 発芽
連絡を受け畑へ。平均して10cm程の苗になっていた。イネ科のすらっとした苗。
7月3日 間引き
雨のため予定より遅れてしまったが、間引きを行う。葉が5枚付いたくらいが間引きにちょうど良いらしい。種が混んで蒔かれていた場所や、発育の遅い苗を抜く。それらの苗は大学に持ち帰り、試しに植えてみる。なんとか根が付く。このホウキモロコシからは種を取る事にした。
7月28日 刈入れと脱穀、乾燥
刈入れも道具を使わない。穂の付いた茎を右手に持ち、左手に葉を持ちながら裂くように収穫。刈り取ったほうき草は、すぐに脱穀機で脱穀を行い干す作業に。大きな釜に水をはり、火をたいて熱湯を作る。茎の根元側を3分、穂側を2分茹であげててから、冷水に浸し天日干し。1日4回程裏返しまんべんなく干す。必要に応じて数日行う。
8月5日 仕分け
乾燥したほうき草を仕分ける。穂の長さ、大きさごとに仕分けを行う。できる限り、穂先をそのまま使用するため、揃える必要がある。これらの工程を丁寧に行うことは、そのまま仕上がりに影響してくる。穂先にのびた太い穂は剪定する。剪定で取り除かれた穂は小箒や芯に使う。
8月19、20日 作業台作り、道具作り
古い鋸を切ったり、コークス炉を焚いたりして刃物を制作。作業台は8台作る。
9月2〜5日 ほうき制作。
さて、いよいよほうき作りである。
朝の8時から夕方まで酒井先生にみっちりしごいてもらう。僕は合計5つのほうきを作った。学生も2つから5つ。
土から育った「ホウキモロコシ」と、作り手の「手」から生まれるローカルな形。種蒔きから育てた素材で作りだしたほうき。
種蒔きから制作まで。
酒井先生がされている仕事を体験する事ができた。もちろん、酒井先生の持つ素晴らしい技術の一端の切れっ端を習ったにすぎない。このブログでは、農閑工芸的に文章を書いているので誤解が生まれるかもしれないが、ほうき作りは簡単ではないし、経験に裏打ちされた大変な知識と技術を必要とする。
初めの方に書いたその辺にある草木を束ねれば、とりあえずほうきになる、というのも事実ではある。
酒井さんの持つ技術は臨機応変。どこからでもかかってこいや!の勢いでどんなボールも打ち返す。宮原研究室のゼミ生は、個性的なほうきを作るべくいろんなボールを用意した。ブルペンでは豪速球から変化球、へなちょこ玉に磨きをかける。僕らが用意したボールは拾った枝、染めた糸にのこぎりの柄。豪速球のわら細工にうさぎの毛皮。カンジキの素材であるリョウブの枝になぜか拾った鹿の角。助っ人枠の2Mもあるほうきの柄。起き上がり小法師的な柄。そして底光りする黒曜石。酒井先生は涼しい顔ですべてを打ち返す。
ほうき作りの基本形は存在する、が、僕らが考えて作りたいそれぞれの形に対し無理なく有機的に仕上げる方法を教えてくれる。どこにでも届く長いバットを持って的確に当てる技術。
素材を良く知る事は大切、と良く言われるが本当にその通り。通常扱う木材のように、製材され乾燥し用意された物を造形するのではない醍醐味があった。
特に刈り取りを体験できた事は、その後のほうき作りにまで僕には大きな影響を与えた。
刈り取り、脱穀のときに味わったみずみずしさ。
木材は、根元から枝を伸ばし大きくなって行く。ほうきの制作方法はそれとは反対。枝を集めてくくりながら大きな木を作って行く。ほうきを逆さまにすると樹のようだが、枝から幹を作る。
農閑工芸の定義として、「それほど専門的な機械や道具を使わない物作り」ということををあげている。もちろん専門的な技術や知識は必要とされるが、近くにある身近な資源を有効に使い、自然素材の特性に沿って作り出すということ。
人の意識でデザインされた形を具現化するために素材を用いるのではなく、自然とか身体からできる物づくりのあり方。ローカルな物作り。
ローカルとは、意識ではなく身体もしくは自然。自然は多様性を持つ。その場所にはその場所のローカル性が存在する。そのあたり、素材と日本人の関係についてとても興味深い内容が多い民俗学者宮本常一の著書『塩の道』にある、Ⅲ暮らしの形と美から書き出してみる。
「軟質文化が日本人を器用にした軟質文化の特色は刃物を使わない事
さらにもう一ついいますと、私は物質文化を「軟文化」と「硬文化」に分けています。軟らかな文化と硬い文化で、日本の文化は軟文化の比重がひじょうに高かった。その一つとして、いま言いますようなわらがあった。米を食べるという以外に、わらの利用が我々の生活を支えることが、きわめて大きかったのです。
そのわらを細工するということを、日本の子どもであるならば、残らずといっていいほど子供のときからそれを身につけていった。この技術習得というのは、たいへんなものであったと思います。そして、そのわらの利用をだんだんと拡大してきた。こういう場と機会は今日はもう失われてしまってます。
わらだけではなく、糸を紡ぎ機を織る。これもまったく軟質文化の代表的なものであったといってよいと思います。
日本以外の国では最初に革をなめして毛皮を着ています。日本でもそういうものを着ていますが、そういうものを利用することが少なかったのです。そしてそのつぎに毛糸は出現するわけですが、日本では毛糸の代わりに茎皮繊維、木や草の外皮の繊維をとって、それを利用して糸を紡ぎ、着物を織る。最初は織ったのではなくて、どうも編んで作った。編み衣が最初であった。これならほとんど道具を必要としない。やがて弥生式文化、つまり海の外から新しい稲作文化が入ってきたころに機というものが入ってきて、そして織る技術が発達していったようです。
この軟質の文化の特色は、ほとんど刃物を使わないで、ものを作りあげていくことができると。いうことです。そういうことになると竹細工、籠を作るというようなことも、刃物がただ一つあればいくらでも細工ができるものです。そういう軟質の文化が底辺にずうっとひろがっていって、そして、それを各自がおこなわなければ生活を立てることができない。そういう場がわれわれの周囲にあった。これが日本人をたいへん器用にしたわけです。」
軟質文化とは、人が手で扱える素材を選ぶことにある。また、そこにある素材に働きかけ無理をせずに加工することでもある。これまで僕が興味を持って調べてきた物作りは、総じて軟質文化の範疇に入る。
人と自然の対称性を大切にした素材や物作りのありかた。これまで、人間は良い暮らしを求めてきた。人口の増加に伴い、より多くの人が便利な暮らしができるよう様々な素材が開発され、デザインされた物が僕らの暮らしにはある。随分余計なお世話だなと思う物も多いが。
それらには直す事や洗う事さえできないものも多い。それらは、僕らを一定の豊かな暮らしに導いてくれたし、これからもそうある。一方で、僕らは作る喜びや直す喜びを手放し過ぎたと思う。人が行ってきた様々な仕事は機械がしてくれるようになった。作業に関わる時間から開放され、それぞれの時間を過ごすことが可能になった。
でも人が行う仕事の中には作る喜びがあった。機械はそれまでは味わってくれない。これまで、それらの喜びを手放し過ぎた様に思う。今の世界に生きる僕らは、ただ昔の不便な暮らしに戻る事はできない。
これからっゆっくりと、物作りのあり方を教育の現場で再構築して行きたい。ほうき作りはその可能性を示してくれた。今までいろんなものを作ってきたが、ほうきを作る楽しさは格別だった。はじめに箒に当たったと表現した理由はここら辺にある。僕の場合、ほうきに当たった。
酒井先生、貴重な経験をありがとうございました。来年もぜひお願いいたします。
今、種を干している。来年それを蒔き、芽が出ることを祈る。




