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2015年09月 アーカイブ

2013.09.17

つくばのほうき

「農閑工芸の研究」の実践。
酒井先生のご指導のもと、ほうき作りが一段落した。
いつかほうきを作ってみたいと思っていた。
ほうきの美しさに気付き、色んな場所に出かける時はその土地のほうきを見るようになっていた。それほど夢中になっていたわけではないが、気にはかけていた。
ほうきは惰性が強い。
惰性とは、作り方が昔とそれほど変わらないこと。また、変える必要もなく昔の姿で今もあること。
集めて束ねればほうきができる。買わずともその辺にある草木や竹でとりあえずのほうきは作れる。その、とりあえず作れることでほうきは残ってきた。様々な場所に様々なほうきが残る。
ホウキの惰性について。
掃除機の登場により、ほうきはそこそこの物で良いというポジションに落ち着いたとも言える。ミクロなゴミ、細胞レベルの物質や有害物質を生活環境から取り除くのは掃除機のお仕事。
ほうきに望まれることは昔と変わらない。なのでほうきは変わらない。
室内でほうきを使用する家庭は、都会であればあるほど少なくなるだろう。
田舎なら室内のゴミは外に掃けばゴミではなくなる。元々外にあったホコリは、内に入ればゴミになるが、外に戻れば外のものに戻る。
田舎には土があり緑がある。土や緑に由来するゴミは、外ではゴミと呼ばれない。都会ではそうはいかない。内でも外でもゴミはゴミ。田舎では葉っぱが部屋に入るとゴミ。外に出すと自然のもの。都会では葉っぱは部屋でも外でもゴミである。帰る場所がない。だから掃除機で吸い取りまとめてゴミの日を待つ。
話しは逸れたが、ほうきはこれまで通りの作り方が継承されている。地域の植生による素材と地域に住む人による作り方。ほうきには小さな社会で回る需要がある。小さな社会で回るものには固有の文化が宿る。だから色んなほうきを見ることができて面白い。
ほうきの美しさは、土地や人という固有性を持ったローカルな場所から現れた普遍的な美しさといっても良い。
ローカルから生まれた普遍性ではなく、ローカルな普遍性。
ほうき作りは面白かった。本当に。
面白かったではなく、当たったと表現した方が的確。
ほうきに当たる。
暑気に当たるように、ほうき作りに当たった。
満足感と共に疲労感に満たされた非常に濃い1週間だった。ほうき作りが終わった後、何日か呆然。
ほうき作りをまとめておく。
春から酒井先生と奥様にはお世話になりっぱなし。
5月22日 種蒔き
7,2M×27,5Mのコンパクトな畑に畝を作り種をまいた。畑は酒井さんのご自宅のすぐ隣にある。酒井さんによって、先に畑は耕され準備されていた。ゼミ生と共に、足で畝を作り、種をまき、足で土をかける。農具を全く使わない畑仕事。種蒔きから75日程で刈り取りの時期を迎えると言われ、胸が躍る。
6月4 日 発芽
連絡を受け畑へ。平均して10cm程の苗になっていた。イネ科のすらっとした苗。
7月3日 間引き
雨のため予定より遅れてしまったが、間引きを行う。葉が5枚付いたくらいが間引きにちょうど良いらしい。種が混んで蒔かれていた場所や、発育の遅い苗を抜く。それらの苗は大学に持ち帰り、試しに植えてみる。なんとか根が付く。このホウキモロコシからは種を取る事にした。
7月28日 刈入れと脱穀、乾燥
刈入れも道具を使わない。穂の付いた茎を右手に持ち、左手に葉を持ちながら裂くように収穫。刈り取ったほうき草は、すぐに脱穀機で脱穀を行い干す作業に。大きな釜に水をはり、火をたいて熱湯を作る。茎の根元側を3分、穂側を2分茹であげててから、冷水に浸し天日干し。1日4回程裏返しまんべんなく干す。必要に応じて数日行う。
8月5日 仕分け
乾燥したほうき草を仕分ける。穂の長さ、大きさごとに仕分けを行う。できる限り、穂先をそのまま使用するため、揃える必要がある。これらの工程を丁寧に行うことは、そのまま仕上がりに影響してくる。穂先にのびた太い穂は剪定する。剪定で取り除かれた穂は小箒や芯に使う。
8月19、20日 作業台作り、道具作り
古い鋸を切ったり、コークス炉を焚いたりして刃物を制作。作業台は8台作る。
9月2〜5日 ほうき制作。
さて、いよいよほうき作りである。
朝の8時から夕方まで酒井先生にみっちりしごいてもらう。僕は合計5つのほうきを作った。学生も2つから5つ。
土から育った「ホウキモロコシ」と、作り手の「手」から生まれるローカルな形。種蒔きから育てた素材で作りだしたほうき。
種蒔きから制作まで。
酒井先生がされている仕事を体験する事ができた。もちろん、酒井先生の持つ素晴らしい技術の一端の切れっ端を習ったにすぎない。このブログでは、農閑工芸的に文章を書いているので誤解が生まれるかもしれないが、ほうき作りは簡単ではないし、経験に裏打ちされた大変な知識と技術を必要とする。
初めの方に書いたその辺にある草木を束ねれば、とりあえずほうきになる、というのも事実ではある。
酒井さんの持つ技術は臨機応変。どこからでもかかってこいや!の勢いでどんなボールも打ち返す。宮原研究室のゼミ生は、個性的なほうきを作るべくいろんなボールを用意した。ブルペンでは豪速球から変化球、へなちょこ玉に磨きをかける。僕らが用意したボールは拾った枝、染めた糸にのこぎりの柄。豪速球のわら細工にうさぎの毛皮。カンジキの素材であるリョウブの枝になぜか拾った鹿の角。助っ人枠の2Mもあるほうきの柄。起き上がり小法師的な柄。そして底光りする黒曜石。酒井先生は涼しい顔ですべてを打ち返す。
ほうき作りの基本形は存在する、が、僕らが考えて作りたいそれぞれの形に対し無理なく有機的に仕上げる方法を教えてくれる。どこにでも届く長いバットを持って的確に当てる技術。
素材を良く知る事は大切、と良く言われるが本当にその通り。通常扱う木材のように、製材され乾燥し用意された物を造形するのではない醍醐味があった。
特に刈り取りを体験できた事は、その後のほうき作りにまで僕には大きな影響を与えた。
刈り取り、脱穀のときに味わったみずみずしさ。
木材は、根元から枝を伸ばし大きくなって行く。ほうきの制作方法はそれとは反対。枝を集めてくくりながら大きな木を作って行く。ほうきを逆さまにすると樹のようだが、枝から幹を作る。
農閑工芸の定義として、「それほど専門的な機械や道具を使わない物作り」ということををあげている。もちろん専門的な技術や知識は必要とされるが、近くにある身近な資源を有効に使い、自然素材の特性に沿って作り出すということ。
人の意識でデザインされた形を具現化するために素材を用いるのではなく、自然とか身体からできる物づくりのあり方。ローカルな物作り。
ローカルとは、意識ではなく身体もしくは自然。自然は多様性を持つ。その場所にはその場所のローカル性が存在する。そのあたり、素材と日本人の関係についてとても興味深い内容が多い民俗学者宮本常一の著書『塩の道』にある、Ⅲ暮らしの形と美から書き出してみる。

軟質文化が日本人を器用にした軟質文化の特色は刃物を使わない事

さらにもう一ついいますと、私は物質文化を「軟文化」と「硬文化」に分けています。軟らかな文化と硬い文化で、日本の文化は軟文化の比重がひじょうに高かった。その一つとして、いま言いますようなわらがあった。米を食べるという以外に、わらの利用が我々の生活を支えることが、きわめて大きかったのです。
そのわらを細工するということを、日本の子どもであるならば、残らずといっていいほど子供のときからそれを身につけていった。この技術習得というのは、たいへんなものであったと思います。そして、そのわらの利用をだんだんと拡大してきた。こういう場と機会は今日はもう失われてしまってます。
わらだけではなく、糸を紡ぎ機を織る。これもまったく軟質文化の代表的なものであったといってよいと思います。
日本以外の国では最初に革をなめして毛皮を着ています。日本でもそういうものを着ていますが、そういうものを利用することが少なかったのです。そしてそのつぎに毛糸は出現するわけですが、日本では毛糸の代わりに茎皮繊維、木や草の外皮の繊維をとって、それを利用して糸を紡ぎ、着物を織る。最初は織ったのではなくて、どうも編んで作った。編み衣が最初であった。これならほとんど道具を必要としない。やがて弥生式文化、つまり海の外から新しい稲作文化が入ってきたころに機というものが入ってきて、そして織る技術が発達していったようです。
この軟質の文化の特色は、ほとんど刃物を使わないで、ものを作りあげていくことができると。いうことです。そういうことになると竹細工、籠を作るというようなことも、刃物がただ一つあればいくらでも細工ができるものです。そういう軟質の文化が底辺にずうっとひろがっていって、そして、それを各自がおこなわなければ生活を立てることができない。そういう場がわれわれの周囲にあった。これが日本人をたいへん器用にしたわけです。」

軟質文化とは、人が手で扱える素材を選ぶことにある。また、そこにある素材に働きかけ無理をせずに加工することでもある。これまで僕が興味を持って調べてきた物作りは、総じて軟質文化の範疇に入る。
人と自然の対称性を大切にした素材や物作りのありかた。これまで、人間は良い暮らしを求めてきた。人口の増加に伴い、より多くの人が便利な暮らしができるよう様々な素材が開発され、デザインされた物が僕らの暮らしにはある。随分余計なお世話だなと思う物も多いが。
それらには直す事や洗う事さえできないものも多い。それらは、僕らを一定の豊かな暮らしに導いてくれたし、これからもそうある。一方で、僕らは作る喜びや直す喜びを手放し過ぎたと思う。人が行ってきた様々な仕事は機械がしてくれるようになった。作業に関わる時間から開放され、それぞれの時間を過ごすことが可能になった。
でも人が行う仕事の中には作る喜びがあった。機械はそれまでは味わってくれない。これまで、それらの喜びを手放し過ぎた様に思う。今の世界に生きる僕らは、ただ昔の不便な暮らしに戻る事はできない。
これからっゆっくりと、物作りのあり方を教育の現場で再構築して行きたい。ほうき作りはその可能性を示してくれた。今までいろんなものを作ってきたが、ほうきを作る楽しさは格別だった。はじめに箒に当たったと表現した理由はここら辺にある。僕の場合、ほうきに当たった。
酒井先生、貴重な経験をありがとうございました。来年もぜひお願いいたします。
今、種を干している。来年それを蒔き、芽が出ることを祈る。

2013.09.11

展覧会のお知らせ。
筑波大学博士前期課程芸術専攻・芸術専門学群のクラフト領域に所属する学生達が企画する展覧会です。
陶磁・硝子・木・漆などを使った作品が並びます。
ぜひご覧下さい。

「材」は展覧会の名前。
会場は Gallery TEN。
2013年10月1日(火)から10月6日(日)の期間で開催します。
東京都台東区谷中2-4-2 。
詳細はこちらです。

2013.09.03

夏!来たか!た!

喜多方へ4泊5日。ゼミ合宿。
ここ4年程、「会津・漆の芸術祭」への参加をきっかけに喜多方へ通い続けている。
「農閑工芸の研究」のフィールドワークや発表の場としても喜多方は魅力的な場所である。
今回は院生の工人・福島さん。研究生の陳さん。4年生の清水&馬渡さん。そして3年生の武田&渡辺さん。前半の2泊は、ゼミの修了生で研究員をしているラリアンドハルも同行。
今回は、前回のプレイミールに続き喜多方の食を器から考えるゼミ。
プレイミールについてはこちら

8月26日。
根曲がり竹を材料とした籠作りの実習。
昨年は4年生と行ったおぐにの里。今回の訪問で3回目。4年生だったトリ・イケ・モッチ元気かい?そういえばアイちゃんはインドネシアへの留学から戻ってきました。僕らは今年もこんな事して楽しんでます。
おぐにの里は、喜多方市を一望できる素敵な場所。木造の小学校だった建物を利用している。
そんなおぐにの里で待つ、雄国竹細工保存会の先生方に会うべくつくばから直行。
今年も5人の先生方がどっかと座っており、丁寧すぎる指導を受ける。一番若い先生は74才。一番大人な先生は去年90才だったので今年は91才になられたか、でも一年ぶりに会った感じでは若返って見えるので87才ぐらいかもしれない。そんな奇跡が起こってもおかしくない場所。
さすがに3回目となると、少し編み方を覚えている。今回は持ち手のついた、少し深めの籠を製作。
以前お世話になった際のブログはこちら
皆、自分の籠が完成し喜ぶ。これは本当にうれしい、昨年の喜びを伝えるべく今年も学生を連れて来た。
籠を作る事ができた喜びを抱えて次の場所へ。
窓から手を振る先生方に見送られ、宿へと向かう。
木造の校舎から手を振る先生方は、楽しげで一瞬小学生に見えた。まるで映画のシーンのよう。失礼な話であるが、大先生方は竹細工が好きな子供達に見える瞬間がある。
昨年同僚の原先生に紹介して、原先生のお友達のスティーブ先生率いるサンフランシスコ州立大学の大学院生も雄国竹の指導を受けた。
喜多方滞在の最終日、一年ぶりに喜多方へやって来たスティーブに先生方の写真を見せると「オーディスガイ!ワオディスガイ!ディスガイ!」と先生方を思い出し、笑顔になった。74〜91才の大先生は存在そのものがグローバル。
蔵の湯でさっぱりして夕食。
夕食は、けいこの餃子。喜多方ではだいたい16時頃になるとラーメン屋さんはスープが切れて店仕舞い。朝は7時頃からと早い。ここは夜まで営業してるので良く行くお店。

明けて27日。
食に関わる器のお勉強。
ゼミ修了生の柵瀬茉莉子さんが、大変お世話になった漆器製作の佐藤達夫さんと長沢邦夫さんを先生に向かえ汁碗を塗る。初めて漆を体験する学生もいるが、贅沢にも日本産の素黒目を塗る。大学には無い回転風呂で器が乾くのを待つ。
古い折敷にそれぞれがデザインした消粉蒔絵も行う。
緊張する作業を終え、佐藤達夫さんの工房とギャラリーを見学。こちら
佐藤さんは蒔絵師であるが、木材の買い付けから切り出し、轆轤、塗りとすべての工程を行う。このことは本当に珍しい、貴重な存在の技術者である。
最近はチップ工場から木材を買い付けるとのこと。チップ工場から貴重な木材を買い付けると言う話は初めて聞いた。ケヤキ、トチ、クリ、サクラ、ナラ、タモ、セン、ホウ等々。
例えるなら残飯処理場から新鮮な寿司ネタを仕入れるといった感じか。
山から切り出された樹は、まとめてチップ工場に運ばれる。その中から漆器の木地になる木を買い付け、渡部木材さんで製材してもらう。渡部木材さんはこちらで紹介した。
さすがにこれだけ喜多方に来ているとブログの記事も多い。自分でもびっくり。
漆を塗る技術の難しさと楽しさを実感してこの日の勉強は終了。
坂下温泉 糸桜里の湯でさっぱりして、田舎屋さんへ。
昨年のPLAY MEALの後の「器の蔵」のイベントでお世話になった。
田舎屋さんの郷土料理は本当においしい。そして今回もやっぱりうまかった。
贅沢な時間を過ごす。

そして28日。
山都地区へ。
ひぐらし農園の浅見彰宏さんにご案内いただき養鶏場の見学。生まれてから数秒の卵が暖かい。学生は鶏と戯れる。
ご自身が間伐材を山から引き下ろし建てられた3代目の養鶏場。
お話しから、雪深い山間の養鶏場で自然環境に合わせ建物を造る大切さが良くわかった。
浅見さんは執筆活動もされている。「僕が百姓になったわけ」はこちら
鳥の次は馬。
自給自足を実践する長谷川浩さんのお宅へ。
皆で馬が大好きなクズの葉を皆で刈り取り、馬へプレゼント。むしゃむしゃ旨そうに食べる。
長谷川さんも執筆活動をされている。

お昼は茶房千さんでそば。うまい。
懇親会に備え、朝採りアスパラを購入。
そして午後は山。
人が生活のために使用してきた素材を見たいと、浅見さんにリクエストしていた。山に詳しい桃農家の阿部さんをご紹介いただき山へ。
浅見さんの農園で実習中の東京農工大の学生さんとも一緒に江戸時代に作られた水路沿いに山を散策。
工芸素材となる草木を教わりながら進む。
食べられる山芋や様々な木の実も教わるが、たくさん過ぎて名前を忘れてしまった。
織物や籠の材料となるカラムシ、マタタビ、ヒロロ。柔らかい枝でカンジキの材料となるリョウブなどなど。
自然のパッケージ素材、ササの葉・ホウの葉、わずかな散歩でたくさんの草木を知る。というか、知識で持っていた草木を初めて見て触る。楽しい。
このあたりついては、以前奥会津に行った時に書いたのでお時間ある方は読んでみて下さい。こちら
飯豊の湯でさっぱりし、これまた懇親会用の刺身こんにゃくを購入。
喜多方の市内へ。
研究室で大変お世話になっている大和川酒造へ。1790年創業の老舗。社長さん、奥さんと久しぶりに会い近況を話す。

29日。
喜多方市内を散策。
朝、これまたいつもの平出竹屋さんへ。いつものようにお茶をいただき、いつものように楽しい話を聞く。喜多方に来たら必ず寄る場所。いつもお茶をいただくので、お茶菓子のお土産を持参。
そして、金忠さんのみそ蔵見学。7代目の井上篤さんにご案内いただく。
金忠さんはこちら
喜多方の自然を背景とした醸造業について伺う。流行にとらわれずに味を守る。そんなお仕事をされている方が発する言葉は重い。けど、お洒落でイケメンな7代目。綾瀬はるかさんと一緒にポスターのモデルさん。
コーヒー、みそソフトを皆でごちそうになった。ありがとうございました。
そしてお茶屋の島慶さんでは、町作りについてのこれまでの取り組みを伺う。懇親会でふるまう、かき氷のための抹茶をいただいた。

懇親会は福島大学、上越教育大学、東北芸術工科大学。喜多方市が主催するアートプロジェクトに参加している研究室が集まった。
お世話になった方々を招待、県立博物館喜多方市美術館の学芸員さん等、40名ほどで行った。
料理と器、会場のセッティングは宮原ゼミで。
器を作る者にとって、料理を作ることや盛りつけることはとても大切。
作る側から考える器と、使う側から考える器は似ているようで違う、そして違うようで似ている。器は器を作らないと分からないように、器は料理を盛り、使ってみないと分からない。
飲み会や懇親会は貴重な実践の場になるので、宮原研究室は幹事を引き受ける。そして学生は自然と鍛えられる。みなさん本当にお疲れさまでした。
大勢のための料理の盛りつけなどは、このような機会でもなければ中々体験できない。大和川さんでは、このような機会をいただいているのでお皿やコップ、勝手も分かる。しかもここにある沢山の器はほとんど喜多方で作られた漆器。使い込まれた朱の手塩皿やそば猪口、平皿、深鉢。
懇親会はもちろん大盛り上がり。
30日。
つくばへ帰る日。
佐藤さんの所により、風呂の中から漆の器と折敷を取り出し久しぶりの対面。
大和川さんの片付けを行い、田舎屋さんに器を返し、会津若松へ。これまた以前よりお世話になる三浦木工さんで、木地挽き轆轤の見学。
そして、一路つくばへ。
翌週からは、種蒔きから脱穀、乾燥まで行ったほうき草をほうきに仕上げる。
この夏のメインイベント。
終わらない夏。
はきそうになるまでホウキを作ろう。