100年前のデザイン宣言から

デザイン学学位プログラムリーダー

花里俊廣

わたしたちは、今年度から芸術から分かれて、デザイン学学位プログラムとして独立しました。デザイン学学位プログラムとは、感性科学の一部と芸術の一部というグループに、さらに医学や心理学、障害科学、環境工学、情報学などの教員が合流した、大学院レベルの教育研究組織です。科学技術の急速な発達に伴い、得られた知見をデザインの分野にも取り入れようとのもくろみで作られた新しい教育研究の枠組みでもあります。

新しい学位プログラム完成前においては、デザインとは何か、デザイン学とは何か、についてさまざまな視点から先生がたと議論してきました。その中で、デザインとは何かということに話が及ぶと、人によってその表わそうとする内容が異なることもわかってきました。そこで、自分たちがこれから始めるデザインという概念の根幹となる意味の二面性については、きっちりと理解しておく必要があると考えます。

デザインには、大きく分けて二つの立場と意味があると考えることができます。一つは、自らの表現を重視し、明快なかたちを得ようという立場であってそれに対応した意味となっているもの。もう一つは、問題解決の手段や方法として、どのような仕掛けがあってどのような意味を持つのかを探ろうとするものです。このように、二つの意味で使われるのがデザインという概念の特徴です。

歴史的に俯瞰すると、20世紀の初め建築分野では「分離派宣言」というものがなされました。日本における初期のデザイン運動として捉えられますが、それを例に考えてみましょう。宣言がなされたのは1920年のことですから今から100年前の出来事です。当時の建設技術の進歩は顕著で、1923年の関東大震災前夜でしたがコンクリート造の耐震技術に目が向けられていました。「建築非芸術論」といった芸術性を否定した議論までなされるなど、新技術の強靭さに注目が集まっていました。また一方で、新技術の可塑性に注目する人々もいて、ドイツにバウハウスが1919年に創設され、コンクリートや鉄などの新しい素材を加工するために新しいデザインが生まれていました。そんな中、建築学科の学生数人が(ウイーンのクリムトの元に集まった分離派のゼゼッションの名を借りて)「分離派建築会」を宣言しました。つまり、科学的・技術的な性格の強かった当時の建築の分野で「分離派」は芸術的なデザインを求めて活動をしたのでした。分離派として独立した人々は、この後、日本において鉄やコンクリートを表現するかたちに関しデザインに影響を与え活躍しました。

100年前と現在とでは建築やデザインを取り巻く社会的環境は様変わりしました。時代とともに、芸術と科学技術の重み付けは変わってしかるべきでしょう。現に、我々が科学技術を旗頭にして行なっていることは、分離派建築会が芸術的に変えようとした動きとは逆で、科学的な方向へ変革しようとしているとも言えます。

ただし、デザインにはつねに両方の側面があることを忘れないでください。ここで重要なのは、芸術性と科学技術性のどちらが強いかとか強かったかということではなくて、デザインが芸術性と科学性との中間にあり、そのどちらを欠いても成り立たないものであるということです。デザインの研究を進める上では、どうぞこれらをお忘れなきように、つまりデザインには、芸術的意味合いと技術的・科学的な意味合いがあること、そしてそれらの二者間のバランスで成立していることをお忘れなきようにと申し上げたい。その上で、我々の当面の見通しとしては、後者の技術的・科学的な意味合いが高くなると考えられると申し添えます。