2-06

- 資料名
- 坪井玄道の概説
- サイズ
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- 手法
- プリンター出力(厚手マットコート紙)+ハレパネ(のり付きスチレンボード)
- 文字サイズ
- 見出し:120 Q
本文 :60 Q
行送り:25 mm
- 表示内容
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坪井玄道(1852〜1922年)
1852年、現在の千葉県に生まれ、洋学所で英語を学んだ。体操伝習所ではリーランドの通訳を務めた。リーランドの指導内容を元に著された『新撰体操書』は坪井が訳述したものである。授業で正確に通訳するために、坪井は事前にリーランドから課業を学び、授業に臨んでいたので、リーランドの離日後は自ら教師として体操伝習所や高等師範学校の体操科で指導を続け、学校体育の発展に尽力した。また、彼は遊戯に強い関心を示し、日本人による最初の遊戯書『戸外遊戯法 一名戸外遊戯法』を著し、体操だけでなく、遊戯を行うことで心身に大きな影響をもたらすことができることを主張し、体操と遊戯の併用による体育を提唱した。彼のこのような考えは、スポーツ分野における功績にもつながった。当時入手が困難であったテニスボールに代わるゴムボールの開発を業者に託し、現在のソフトテニスの発展につなげた。また、1902年に欧州視察から帰国した坪井は、アソシエーション式フットボールを紹介、指導し、サッカーの普及に寄与した。さらに、欧州からの帰国土産として持ち帰ったピンポン用具3セットとルールブックは、ピンポン普及の端緒となった。
- データ名
- 2-06.ai
- 作成
- 081023