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2-04    
 

資料名
リーランドの説明文
 
サイズ
 
 
手法
プリンター出力(厚手マットコート紙)+ハレパネ(のり付きスチレンボード)
 
文字サイズ
見出し:120 Q
本文 :60 Q
行送り:25 mm
 
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リーランドG.A.(George Adams Leland 1850〜1924年)

1850年9月7日、アメリカ、ボストンで生まれる。1870年にアマースト大学に入学し体操を学び、卒業後にハーバード大学に進学し、1878年に医学博士となった。日本の官立学校にアマースト大学の体育システムを導入するため、文部大輔(たいふ)田中不二(ふじ)麿(まろ)の要請により、リーランドが選出された。1878年9月6日来日し、東京女子師範学校、東京師範学校に続き、体操伝習所でも授業を開始した。リーランドは1881年に医学研修のため欧州に向けて離日し、体操伝習所は1886年に廃止されたが、この間に多くの体操教員、近代学校体育と国民体育の形成者を養成した。欧州に渡った彼は、耳鼻咽喉科の医学を修め、1882年にボストンに戻り、1912年にはアメリカ咽頭科学会会長となった。彼が日本の体育のために選定したのは、国民一般を健康に保つ体操法であり、彼の体育論は遺伝、風土、風習との関連から把握する身体論、体操の意義、身体の機能、体操の身体各部に及ぼす影響、運動量、体操の歴史から構成されていた。1919年、日本の学校教育に対する貢献により、勲四等が天皇より下賜された。1924年3月17日、74歳でその生涯を閉じた。


 
データ名
2-03.ai
 
作成
081023