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体操伝習所について
明治時代、日本の教育体制は「学制」「教育令」「学校令」により整備されていきました。1872年に「学制」が公布され、小学校の教科として「体術」を行うことが定められましたが、十分に実施されるまでには至りませんでした。1879年に教育のさらなる整備をはかって「教育令」が公布され、小学校では「読書」「算術」「地理」「歴史」「修身」等が行われることが決られましたが、「体操」「罫画(けいが)」「唱歌」「裁縫」等は、状況に応じて行ってよい、という位置づけでした。1881年の「小学校教則綱領」でも、「体操」は「罫画」「唱歌」とともに、選択教科に据え置かれました。
体操を教える日本独自のテキストが存在しなかったことと、体操の指導を行う教師がいなかったことなどが、当時の問題でした。 このような状況を背景に、日本の国情に応じた体操教材の作成とそれを十分に指導できる指導者の養成を目指して体操伝習所が設立されることになりました。体操伝習所の設立に尽力した人物は、当時文部大輔であった田中不二磨、そして、実際の活動を軌道に乗せたのは伊沢修二でした。そして米国アマースト大学出身のリーランド(G.A.Leland)が教師として招かれ、体操教育と研究が始まったのです。 - データ名
- ?1-02.ai
- 作成日
- 2008.10.22