VII.体操伝習所の役割と貢献

 日本における近代体育の実践的、理論的研究の源流は、体操伝習所に求めることができる。いかに富国強兵を志向する身体教育の任を担っていたとはいえ、体操伝習所の「体操」への取り組み、すなわち「体育」研究の役割を「兵力」や「国民体力」のみに還元できるものではない。リーランド博士は体操の生理学的、医学的効用を伝習員に周知する一方で、「打球(クリケット)、蹴鞠(フートボール)、游泳(スイミング)、競舟(ボーテング)、皆益アリテ良ナルモノナリ」と説いた。体操伝習所の「体育」は、生理学、解剖学、衛生学、健全学等の医学的理論によって下支えされ、その理念、内容と方法が教育学によって構成された。しかも「体操」、「遊戯」、そして「体育論」を含むこの総合的な「体育」概念は実践を経て結実したのであった。体操伝習所が最初にもたらした体操の教科書、『新制体操法』、『新撰体操書』(共に明治15年)は、坪井玄道と田中盛業の『小学普通体操法』(明治17年)と『戸外遊戯法』(明治18年)や、遊佐盈作の『新撰小学体育全書』(明治17年)のような本によって補足された。体操伝習所の「体育」は、9年間という決して長くないその存続期間に、今日の「体育学」へと発展し得る全体性を胚胎したのであった。

 体操伝習所が存在した時代も、近代化、西洋化という、グローバリゼーションの時代であった。体操伝習所は外来の体育・スポーツを、排除や拒否ではなく、受容と異化によって、日本の教育、日本の文化へと変容させ、そして究極的に日本の風土に血肉化させたのであった。
 

謝辞

本資料作成にあたり、以下の機関および人々の協力を得た。記して謝意を表したい。

協力機関
国立国会図書館、国立教育研究所、都立中央図書館、市立市川歴史博物館、 上伊那郷土館、奈良女子大学

協力者(五十音順)
大久保英哲、大場範子、木下秀明、坪井謙吉、坪井三郎、能勢修一 筑波大学体育史研究室大学院生・学生

 

2003年1月

体育専門学群体育スポーツ史料室運営委員会
委員長:阿部生雄
副委員長:真田久
委員:伊輿田康夫、本間崇、入江康平、本間三和子、進藤正雄