VI.体操伝習所の伝習員

1.体操伝習所伝習員の種類

体操伝習所の伝習員には大きく分けて4つの種類が存在した。「給費生」「伝習員」「別科伝習員」「修業員・体操専修科生」であった。

給費生
給費生は試験によって選抜され、修学期間2年を基本として生徒1名につき1ヶ月6円の学資金が支給された。給費生は第1回生(修業年限が2年3ヶ月)と第2回生(修業年限が1年9ヶ月)のみであった。明治11年の体操伝習所規則によると給費生となるには18歳以上20歳以下身長5尺以上、健康で天然痘の種痘を終え、肺病その他の不治の病に関係ないという条件を満たしていることが必要であった。また和・漢・英の素養を持ち、算術を理解する学問的条件を満たしていなければならなかった。給費生の修業年限は2年であったが第1回生は2年3ヶ月、第2回生は1年9ヶ月であった。
 
伝習員
(府県派遣)
(自費志願)
明治14年7月2日にリーランドが帰国し、体操伝習所は同年9月5日から伝習員制度を採用、府県派遣や自費志願の伝習員に体操術を授くる所に変わった。明治15年の「伝習員規則」によれば体操術を本科として体育論及生理学を副科とし、修業期間は6ヶ月を基本とすることになった。伝習員は明治15年1月入学の第1回から明治19年3月入学の第7回まで続いた。
 
別課伝習員
明治17年2月の伝習所規則の改正によって「別課伝習員規則(丙号規則)」が制定された。以後、別課伝習員のコースが伝習員のコースと並列して設けられることになった。別課伝習員は公務の余暇に業を修めるものが多かったために、充分修業に打ち込めないものが現れた。
 
修業員体操専修科生
明治18年11月、文部省は兵式体操を兼修した体操科教員を養成するため、体操伝習所に修業員制度を設けることにした。主な入学資格は、常備現役を離れて1年以内の陸軍歩兵下士で、年齢35歳以下の者とされた。修業期間はおよそ4ヶ月であった。修業員は明治19年1月20日に入学し、制度上、体操伝習所が廃止された後の同年6月に26名が卒業している。高等師範学校の体操専修科も実質的にこの修業員制度と同様であり、明治20年7月に22名が卒業した。これらの修業員制度と体操専修科は、明治19年の学校令によって体操科に導入されることになった兵式体操に対応するための体操科教員養成機関であったといえる。