「記憶の終わり」長田絵理香 2015年6月22日〜6月26日
会場:アートギャラリーT+
会期:2015年6月22日(月)~2015年6月26日(金)
出展者:長田絵理香(人間総合科学研究科芸術専攻1年)
かつての記憶と広がりゆく距離について。
6.23に向けて。

かつての記憶と広がりゆく距離について。
6.23に向けて。
我々にとって過去とはどんな意味があるのでしょうか。
誰もがそれぞれに持つ過去を不定形なものと捉えることで、
我々は周りの物事と柔軟に向き合うことができるのではないか。
『やがて過ぎ去れば、いづれまた、あどけない話。』
たくさんのうさぎみたいなともだちをおひろめします。
ともだち100人できるかな~。
T+review
「うさぎ展」という可愛らしい題名と、垂れ幕からちらりと見えるふわふわの展示物に惹かれてギャラリーの中へ。それぞれ三段づつある二つの棚には、色とりどりのうさぎの形をしたぬいぐるみが並べられていた。耳の垂れているもの、眠そうな目をしているもの、眼鏡をかけているもの、小さな冠をかぶっているもの。一つとして同じ外見のものはいない。おめかしをしておりこうさんに並ぶ様子はまるで、これから見知らぬ誰かに貰われていくのを今か今かと待っているようだった。
彼らの名前は「neighbor」という。心の隣人という意味の、誰かの心に寄り添うために生み出されたうさぎたち。顔には目しかパーツがないためはっきりとした表情は読み取れないがどこかあたたかみのある彼らからは、作者のとてつもなく大きな愛情を感じた。きっとたくさんの時間をかけて、大事に大事に作られたのだろう。そんな彼らは、今度の芸術祭でコンセプトの一環として販売され、みんな離ればなれになってしまう。少し勿体ない気もしたが、これも作者が望んだ形。彼らもそれを楽しみにしているように見えた。親の愛情を一心に受けてここに展示されている彼らは、親の手を離れ誰かの元へ貰われていった時、きっとその人の心に寄り添ってあたたかい気持ちを届けるのだろう。
芸術祭でも是非彼らに会いに行こうと思いギャラリーを後にした。こっそり心に決めたお気に入りのあの子が、私の心にも寄り添ってくれることを願って。(堀越文佳)
既存のものの新たな使用方法の提案。
出展者それぞれにとっての「かわいい」を展示します。
T+review
そこには11の「かわいい」が存在していた。ふわふわとしていてとらえどころのない「かわいい」。対価を払って作り出された「かわいい」。一見グロテスクでありながらもどこか感じることのできる「かわいい」。ギャラリーの中で私は、これらの作品たちに「わたしたちはこれがかわいいと思うのだけれど、あなたはどう思う?」そう問われているように感じた。
そもそも「かわいい」とは何だろうか。日々のわたしたちの会話、コンビニに並ぶ雑誌、タレントの出演するテレビ番組、とりとめのない呟きが並ぶSNS・・・日常のあらゆる場面がこの言葉であふれている。しかしそれらが指す対象に一貫性はほとんど無い。飼っている子猫がかわいい、電車で見たおじさんの行動がかわいい、あれがかわいい、これがかわいいと人の数だけの「かわいい」がある。それはまるで自分の好みに合ったものにはとりあえず「かわいい」というラベルをべたべたと貼りつけているようにも思える。「かわいい」という言葉はひどく曖昧なものだ。
ギャラリーに展示された11の作品たち。その中には少し奇妙に感じるものや恐怖を感じ、素直に「かわいい」と感じることのできないものもある。しかしどれも制作者にとって、そしてそれを「かわいい」と感じた人にとって、その作品は間違いなく「かわいい」なのだ。
わたしたちが普段なにげなく使う「かわいい」という言葉。「かわいい展」は自分の中でその言葉と向き合うきっかけとなったように思う。(大藪早紀)