「平日展」野濱ありさ、他2016年5月16日~5月20日
会場:アートギャラリーT+
会期:2016年5月16日-5月20日
出展者:
・岩村梨央 (VD領域3年)
・神山朝美 (クラフト領域3年)
・坂上有希乃 (VD領域3年)
・野濱ありさ(構成領域3年)
・疋田奈菜 (構成領域3年)
平日も、がんばる。5人でがんばる。
平日も、がんばる。5人でがんばる。
写真の展示を行います。
春は色に溢れる季節だ。桜は満開になり、多くの木々が芽吹いている。厳しい冬を抜けた先のよろこびである。しかし、この作品の、モノクロームで描き出された春にはどこか憂いを感じた。写真に映る白く優しい光には暖かみがあるが、そこから浮き出るように哀しさが 強調される。
「目に映る世界こそが全てであると どうして断言できましょうか」(本作品コンセプト より)
たとえば、目の前の人が笑みを浮かべていたとしても、自分は相手が嬉しいのか嘲笑っているのか、本当のことはわからない。だから、人のこころは表面にあらわれる現象を追うだけでは理解しえない。そのことを本作品は春という題材の彩度を消すことで、直接的に表現していると思われる。その表現意図も、写真に映りこむ対象の配置や構成を気遣うことで強さを増すように感じられる。(濱田洋亮)
traumatic=外傷性。私たちの周りには常に何らかの外力があり、良くも悪くもそれに影響を受けます。それを視覚化する試みです。
フェティシズムの追究
一般的に10代から20代の女性を指す言葉である「少女」。少女の存在はいつの時代も人々の目に魅力的に映り、頻繁に創作のテーマとして可愛らしく美しい少女の姿が描かれてきた。
本展示も「少女」をテーマにしたものである。しかしこの展示は世間で多くみられる純粋で無垢な少女像とは少し異なっているようだった。
かすかに甘い香りの漂う空間の中で鑑賞者は四方を数え切れないほどの少女たちに囲まれる。こちらに視線を向けるクールな目元、その上で切りそろえられた指通りのよさそうな髪。セーラー服をまとった彼女たちは互いに寄り添いあい、彼女たちだけの甘美な世界を作り上げていた。柔らかく繊細で、かつ勢いのある線によって描かれた美しい少女たちはいつのまにか我々の心を引き寄せ、そして強く絡めとる。非常に艶めかしく魅力的な少女たちなのだが、彼女たちを見て感じられるのは単純にそれだけではなかった。
彼女たちは何色にも染まっていない。透き通るようなその白さは彼女たちの儚さ、清純さを感じさせると同時に、ところどころににじみ出るわずかな黒く深い闇を際立たせる。愛らしく清らかな少女たちだが、一方で黒く毒気のある面も併せ持っている。それは我々が夢見る清純な少女像を打ち砕くかのようでもあった。こどもとおとな、清純と穢れ、それらの合間にとらわれ、宙づりになり、不安定な状態で存在している「少女」。それは非常に危うい存在である。それとも我々は、少女たちの持つただ清らかなだけではない不安定な存在感に底知れぬ魅力を感じているのだろうか。
あふれ出る少女の洪水は、我々にただ甘く可憐な世界を見せるだけではない。可愛らしさや美しさ、その奥深くにあるものを引きずり出し、我々がほんとうは何に魅力を感じているのかを気づかせるのである。(大藪早紀)
「時をかける自転車」に乗って、世界の始まり、そして終わりまでを通り過ぎ、ときには遡り、観測する—そんな体験を提供するメディアアート作品を展示します。
T+review
外から見るギャラリーはいつもと異なり暗幕で覆われ、中の様子を窺い知ることができなかった。引き戸に手をかけようとすると、扉の近くに貼られている古ぼけた加工のされた一枚の紙が目に入る。
-How to use the PASSFINDER
此は旅をするための道具である。
望む者には等しく、此を使用する権利がある。
探究をしたくば、跨り漕いでみよ。
汝が旅するは、空間か。それとも時間か、あるいは…-
扉を開けギャラリーの中へ入ると暗闇の中にぽつんと一台の自転車が置かれている。それはオレンジがかったスポットライトの光に照らされ鈍く輝きを放ち、まるで誰かに置き去りにされてしまったかのようにさびしげな雰囲気をまといながらそこに佇んでいた。自転車、といえば私たちにとって非常になじみの深い乗り物である。しかしここに佇む自転車はそうではない。車体のあらゆるところにチェーン、コンパス、タンク、チューブなどの機械的で古めかしい部品が取り付けられ、スチームパンクの要素が見てとれた。スチームパンクとはSFジャンルの中の一種であり、ヴィクトリア朝イギリスや西部開拓時代のアメリカなどを舞台とした作品が多くみられる。これらの作品は産業革命期の技術革新による未来への底知れぬ期待が感じられ、あくまでフィクションではあるものの現実味があり、レトロではあるものの新しさも感じることができる不思議なジャンルである。この自転車もベースとなっているものは一般的なシティサイクルであるものの、どこか期待感を抱かせる不思議な魅力がそこにはあった。
「探究をしたくば、跨り漕いでみよ。」
この自転車に跨ってペダルを漕ぐか、漕がないか。その判断は鑑賞者に委ねられている。私は促されるままにペダルを漕ぎ出した。突如ギャラリー内に響く轟音。ゴポゴポと水中で空気が漏れるような音。ザアザアと雨が降るような音。ザパァンと波が岩場に打ち付けるような音。アーアーと海鳥の鳴くような音。外界から隔絶されたこの暗い空間の中で、私は土砂降りの雨の中や海底、波打ち際をこの自転車で駆け抜けていたのだ。
思えば海はすべての始まりである。原初の生命は海より生まれ陸へ上がり文明を生み出し、そしてのちには海を渡ることによって大きな発展を遂げてきた。このペダルを漕ぐことはすなわち世界を作ることなのだ。今この瞬間私は神になり、世界を創造しているのである。ふとペダルを漕ぐ足を休めると、同時に鳴り響いていた音もぴたりと止まる。突如訪れる静寂。その中で自転車のタイヤが回るカラカラという音だけが虚しく響いていた。(大藪早紀)
