「越えることについて」ツチ屋サユリ2016年1月12日~1月14日
展覧会「越えることについて」が開催されます。
会場:アートギャラリーT+
会期:2016年1月12日-1月14日(但し最終日は14:00まで)
出展者:ツチ屋サユリ(総合造形、大学院1年)
T+review
会場:アートギャラリーT+
会期:2016年1月12日-1月14日(但し最終日は14:00まで)
出展者:ツチ屋サユリ(総合造形、大学院1年)
インスタレーション作品
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「超えること」とは何だろう。目の前の白い線を跨ぐことだろうか、過去の自分に打ち克つことだろうか。私の想像ではその程度しか出てこない。だがこの展覧会は全く別の角度から「超えること」について考えている。ギャラリーの真ん中より少し奥にコンクリートのブロックが横一列に整然と並べられている。コンクリートブロックの上に少しかかる白はなんだろう。奥にはヘッドフォン。静けさと床のブロックの構成されるこの奇妙な空間が問いかける。それに答えるのはヘッドフォンから流れてきたさざ波の音だった。展覧会は作者が2015年6月に東北の沿岸地域の巨大防湖堤の建設工事とそれを取り巻く人々の話を聞いた記録がベースとなっている。波の音か風の音か、渦巻く自然を背景に話す初老の男性の声は海よりも深いものを背負っているように聞こえた。作者がいうには塩作りを生業としている男性の声だ。防潮堤に見立てたのだろうコンクリートブロックと塩にも見える白い色。私は容易にそれを跨いで奥まで辿り着いたことに気づいた。それを跨ぐ時、超える時何を思っただろうか。何も考えずただ先に進もうと歩みを進めた。
東北には巨大防塩堤を作ることで街を守るが、その影で塩作りへの影響を心配している人がいる。私のような若いものが前だけを見て先に進もうと思った時、それは通過地点にすぎない。軽く超えてしまうのだろう。けれど其の地に安住し深く深く海の底まで根付いてきたものにとってはそこが居るべき場所だ。いま東北には防潮堤を上から跨ぐものと下から見上げる物がいる。「超えた」と思った時、私たちは何を超えてしまうのだろう。何を踏み台にしたのだろう。(古屋花子)