「Type in accident」 金森陽子 2013年6月19日~2013年6月21日

展覧会「Type in accident」が開催されます。
会場:アートギャラリーT+
会期:2013年6月19日(水)~2013年6月21日(金)
出展者:金森陽子 (構成専攻ビジュアルデザイン領域4年)

偶然性の中で文字はどのように変化するのか、そのかたちを追いました。

T+review

ギャラリーの壁に、いくつかの“漢字”が記されたパネルが飾られている。「記された」という表現が正しいのかどうかははっきりとは言えない。「描かれた」と言った方が適切かもしれない。なぜなら、これらの漢字たちは単なる文字として表わされていないからだ。屈折している“屈”の字。潰れている“潰”の字。漢字たちは自身にこめられた意味に合わせて変形し、より視覚的に訴える存在となっている。
漢字という文字記号が表わす意味と、見た目による視覚的な図解。“屈”の字を見たときに私たちはその意味を理解するが、その理解は実感的なもの、つまり“屈する”という現象を感じていることからは離れたものである。“崩”という字を見て、どのような意味なのかを理解することと、“崩れる”を感じることは違うのである。しかし、今回の展覧会の漢字たちにはその二つが同時に存在している。パネルの変形した文字を絵として観ることもできなくはないし、しかし漢字が読めてしまうため否応なしにその意味が頭へと入ってくる。そのことで、二重に重なった理解―その字の意味の理解と、漢字が表わしている現象を五感で知ること―が一度に頭の中で起きるのだ。
漢字の成り立ち方には、モノの形をそのままかたどった象形文字から生まれたもの、音と意味との組み合わせによって生まれたもの、意味の組み合わせによって生まれたものなどがあると小学校や中学校で学んだ。つまり、現象やモノをその実態から切り離して、記号として表わすために生まれたと言える。だとしたら、今回の文字たちはそのプロセスを逆戻しさせたものだとは言えないだろうか。何かの実態から離れた記号としての漢字を、もう一度記号ではなくもっと視覚的に、つまり感覚で感じられるように表現しているのである。

しかし今回のすべての文字が以上のように、意味の理解と実感的な体験とが重なったものだというわけではなかった。“屈”“潰”“崩”などの中で、“風”と“熱”の二つだけが異質であり、若干統一感が揺らいでいるように感じた。風で飛ばされる“風”と、熱で溶けていく“熱”。この二つだけは、自身の意味そのものを視覚化したのではなく、それによってもたらされる現象が表現されていたからだ。(岡野恵未子)