アーティスト

原口寛子さん/アーティスト

原口寛子さんは、アーティストとして活躍しています。原口さんは、筑波大では総合造形領域にて現代美術を学んでいました。4年次からアーティストユニット「佐藤史治と原口寛子」を結成し、パフォーマンスを伴う映像作品や、展示空間そのものを作品として作り上げるインスタレーション作品を数多く制作しています。

現在のお仕事について教えてください。

大学時代の先輩であった佐藤史治さんと「佐藤史治と原口寛子」というアーティストユニットを組んで、制作活動をしています。

「2人」というユニットを起点に、人間が2人集まったときに生じる空間や対話、協働やそれに付随する失敗などといった、人やものを結びつけたり隔てたりしている「あいだ」に着目した作品を制作しています。

映像を用いて表現したり、インスタレーションといって展示空間全体を作品にすることを手法として取り入れたりしています。自分のスタジオでコツコツ制作して作品を届けるというよりは、作品を発表する場所に行って撮影をしたり、滞在したりして作品を作ることが多いです。2人で一緒にその場所に行き、「ここはこうだよね」と確認し合う作業や、場所の特徴を収集するプロセスそのものも作品制作のヒントとしています。

―どのようなきっかけでユニットでの活動を始めたのですか

私が4年生だった2011年に、同じ芸専の先輩の佐藤さんと2人で学内で作品発表したことがきっかけです。その後も展覧会の機会に恵まれ、そのまま共同制作をするようになりました。ユニットでの活動を始める前から大学院修了までは1人でも作品を作って発表していたのですが、自分1人では予想やコントロールできないことをポジティブに扱うことができる2人での制作が面白く、この活動を続けています。

―アーティストとして活動する中で、特に印象に残っている制作はなんですか

直近の展覧会になりますが、2021年の9月に発表した「すべておぼえる」というプロジェクトです。このプロジェクトでは、日比谷公園内の看板などに書かれた文字をできるだけ多く収集し、それらを素材とした作品を制作しました。東京を舞台に2年に1度開催される国際芸術祭「東京ビエンナーレ2020/2021」の参加企画として制作し、公園内にある日比谷図書文化館にて発表しました。

日比谷公園には、都や様々な団体、あるいは個人が設置したオブジェや植物の解説板がたくさん設置されています。樹木の解説から公園の歴史に関する記述が多数あるほか、都の事業の一環で作られた「思い出ベンチ」というベンチには、本当に個人的な、結婚記念や家族の思い出なんかが書いてあったりするんです。そのように様々な書き手による文章が膨大にある日比谷公園にて、私たちはそれらの文章を全て覚える、ということの不可能性をテーマにし、収集した文章の編集方法に着目した作品を制作しました。展覧会では、私たちが集めた解説板の文章をカードに書き写す様子をランダム再生した映像とそのカードの束を展示したほか、集めた文章を時系列にまとめた本を制作し、発表しました。また、会期中には会場で私たちが先述の本をめくり、書画カメラを用いて手元を観客に見せるパフォーマンスも行いました。新型コロナウイルスの感染拡大防止のため芸術祭が1年延期になり、待ちに待ってやっと作品が発表できたので印象に残っています。

―芸専時代にはどんなことを学び、現在の活動にどうつながっていますか

総合造形領域で主に現代美術とメディアアートを学びました。学群2年次から始めた映像の勉強は今の活動にそのまま活きていると思います。

授業では、複数人で課題に取り組むことも多かったのですが、グループで作品を作ることはあまり得意ではなく、そこでの苦労なども現在の「2人での共同制作」という制作方法やテーマにつながっているのかもしれません。一方で、素材やテーマがあらかじめ指定された課題に応えて作品を作ることにも馴染めませんでした。今は自らテーマを設定して制作をすることができていますが、たまに学生時代に授業課題がうまくこなせず悩んでいたことを思い出します。

高校生の頃はアーティストのサポートをする仕事に興味があり、入学時は美術史やアートマネジメントを学ぶことができる芸術学専攻に所属していました。また、授業の他に、大学のアートギャラリーT+のスタッフとしてギャラリーの運営に参加したり、アーティスト・イン・レジデンスのインターンとして制作者のサポートに挑戦していたのですが、作品制作の際に生じる苦労や過程を知らずにアーティストをサポートしたり企画を考えたりすることに対して難しさを感じ始めました。むしろ制作を自身で行うことに興味を持ち始め、2年次に構成専攻の総合造形領域に移りました。芸専は制作に使う素材や手法によって専攻が分かれていますが、総合造形は素材を限定せずに、現代美術の考え方や手法を使って自分のやりたい表現ができるところが特徴です。

私は、「自分に合わないな」と気づくこともまた学びであると考えています。いろんなことを試してその都度「合わないな」「向いてないかも」と思いながらも、筑波大はとにかく挑戦できる環境でした。当時は自分が何にも向いていないのかもしれないと辛く思うことも多かったのですが、そこで得られる体験は決して成功体験でなくとも、自分の将来を考えるには意味のあることだったのだと今は思っています。

―筑波大の後輩たちにメッセージをお願いします

筑波大の芸専は他の領域との垣根が低く、異なる専門分野を学ぶ友人や先輩・後輩と広く交流できたことは自分の糧になっています。私は在学中に専攻を変えましたが、その分いろんなことにチャレンジできました。ですので、皆さんも気楽に興味のあることに挑戦されたら良いのかなと思います。東京の美術館なども1時間くらいあれば行けますし、大学の外の公募の展覧会などで展示する機会があると、色んなアーティストの作品や活動を知ることができ、世界が広がります。身近にいる人と関わりながらも、大学の外で刺激を受けたり挑戦したりすることができる、バランスの良い環境だったと思っています。この大学はいい意味でゆったりした環境なので、とにかく気軽に挑戦してみてください。

文・三橋美音(教育学類3年/筑波大学新聞記者)

原口 寛子さん

アーティスト

2011年度 筑波大芸術専門学群構成専攻総合造形領域卒業

2013年度 筑波大大学院芸術専攻総合造形領域修了