昇さんのお話。

―――宇宿もかつては今よりも蘇鉄がたくさんあったんですか?

一昔前はこの辺はみんな、個人個人の畑のぐるりに蘇鉄を植えていましたよ。畑の境界のためだったり防風垣だったり。この辺の農地は一枚が非常に小さいですから、隣の人もぐるりに蘇鉄を植えると、場所によっては二重になったりして。その蘇鉄のトンネルが行き交う道になってたり水路になってたり、そういう光景は非常に多かったです。お互いが境界で相争うことないように蘇鉄が植えられてるんです。他にも枯れた葉っぱは焚き物に使ったりとか、いろいろ使っていましたよ。

 

―――蘇鉄はいつ頃から少なくなったんですか?

 

 

ええ。私も高校までは奄美で暮らしてたんだけど、20年間本土で暮らしてたんですよ。その間に高度経済成長期にともなう政策で「畦崩し事業」というのが始まった。大きな製糖工場ができてトラックでサトウキビを運び出す時代になって、農道をトラックが通れるように畑周りの蘇鉄を伐採して切り開いた時代があった。

 

―――このへんは幹線農道ができてて、両側がすごくきれいに区画整理されていました。宇宿も「畦崩し事業」のときに畑周りの蘇鉄がなくなったんですね。

うん。現代的な農地の基盤整備が始まったのが昭和40年頃だから、私が本土暮らしから帰ってきたときには工事の真っ盛りでしたよ。当時の笠利町当局が県や国の補助金を得て、「団体営農地開発事業」という名前で部分的に農地の基盤整備をやっていた。これが現在の「県営畑地帯総合土地改良事業」につながってる。当時は笠利町がモデルを示したみたいです。この地域では当時熱心な農家の方が数名いらっしゃって、その人たちの発想でもってこの一帯をブルドーザーでならして大きくしたらいいんじゃないかと始めて、町がそれを取り上げてそういう事業を導入したようです。それを県がにらんで、もっと桁が違うくらい大規模な事業を導入した。園芸業者が蘇鉄をトラックに積んで持って行ってしまった光景はよく覚えてますよ。

 

―――それは売るためなんですか?

昭和40~50年頃から蘇鉄を盆栽にして売るようになったんです。海外に輸出してる園芸業者もあったんでないですかね?苗だけじゃなくて、若い蘇鉄の葉っぱを買い集めて海外に売ったりもしていますね。お湯に通すと緑素が抜けて真っ白になって、それを生け花に使うんです。だから小遣い稼ぎに蘇鉄の葉っぱを他の家の畑でも取ったりして、それでよく怒られましたよ(笑)女の子なんかは蘇鉄の葉っぱを編んで、郵便受けやら小物入れなんかにして遊んでいた。

 

―――子供の頃から蘇鉄はすごく身近なものだったんですね。蘇鉄の葉っぱは他にも、切って田んぼの肥料にしたりしたと聞きました。

緑肥ですね。蘇鉄の葉を切って田んぼに入れて踏み込んで、あれは堅くて痛くてね。子供までその作業にかり出されるんですよ。子供の足って柔らかいでしょ、それで踏み込むと痛くてね!(笑)そんな記憶があります。

 

―――子供でも畑仕事のお手伝いをしていたんですね。

あの頃はどこの家庭でもそうですね。春先あたりに大雨が降ったなんていったら学校は休みですよ。畑に水気が出るんで、「うるいがある」というんですけどね、そういうときにサツマイモなんか植えるといいんですよ。子供も一緒に畑に出てサツマイモを植える、「農繁休暇」っていう言葉が堂々と通っていた。僕のところなんかは親父が教員だったから常時畑に行けないんで、それでも他の農家と同じようにサツマイモやら野菜やらを育ててたから、農繁休暇になったら他の子供は釣り竿もって遊びに出かけるのに、うちは大人と同じように畑に連れてかれたから、うらやましかったですよ(笑)あと正月の二日は畑に出て仕事しないと、猫になるとか犬になるとかたとえ話がありましたよ。必ずどこか行って仕事してきなさいって子供のとき言われたよ。

 

―――そうだったんですね。畑ではどんなものを育てていたんですか?

サトウキビやサツマイモや、他にも色々野菜を育ててた。麦もつくってた。その頃真っ白いお米なんか滅多に食べられなかったですから、サツマイモやら麦やらを混ぜてね。そいうものを植え付けて育てて刈り入れて、麦だけじゃなくてサツマイモや米もやりますから、あの頃大人は365日季節に合わせて上手くやっていたんだなーとこの年になっても深刻に思うときがありますよ。

 

―――蘇鉄の実から味噌もつくったりしてましたか?

今お店行くと味噌も醤油も売ってるでしょ。当時はそんなもん売ってなかったですから、どこの家庭でもつくってたんですよ。焼酎もつくりました。復帰前後の頃は各家庭で隠れて焼酎をつくるもんだから、税務署がくるぞーってなったらみんな隠してね、においを消すためにこどもはうちわをもって一生懸命あおいだ(笑)そういう時代をかすかに知ってるもんですから、昔の大人と今の大人の働きは全然違うなとつくづく思いますよ。昔の大人は食べるものもみんな自分でつくったでしょ。食べるものも飲むものもお米なんかもみんな自分たちでつくって、自給自足ですよね。

 

―――本当にそうですよね。今日はお話をたくさん聞けて、とても勉強になりました。ありがとうございました。

前のお話へ

次のお話へ

MAP

蘇鉄畑

川端さん

奄美のたべもの

蘇鉄について

おじさんの話

昇さん

蘇鉄焼酎

蘇鉄じゃない植物たち

蘇鉄畑野菜

里さん

田中さん

© 2013 Local Design Studio, University of Tsukuba, Japan