川端さんのお話。
―――僕たちは奄美大島にとって蘇鉄はどれだけ大切かを調べています。蘇鉄が畑の周りに植えられているのは防風林の意味はもちろん、昔はその蘇鉄を食べていたというのも聞いたのですが蘇鉄はいつ頃どんな風に食べられていたんですかね?
味噌とそれとナリガユ。毒抜きして。いつぐらいってゆうたら、ナリが出来たらすぐ、旧暦でナリガユ炊くのは5月から10月ぐらいかな。豆腐もつくってたし、あと団子作っとった、お盆やらなんやらのときに。ナリの粉を小麦の代わりに使ってた。
―――これ(目の前のナリの粉)が団子になるの?
これね、そのまま使うと舌がしびれるんよ。だからデンプンが下に沈んで水が上に上がるでしょ、その上澄み液を3回ぐらい流してから使うの。でもミソはなぜか知らないけど、毒抜きしなくても大丈夫なの。
―――デンプン粉にするときはどうしてました?道具とか。
杵と木臼でね。旧の9月ぐらいだから正月前後かなー。一人じゃ出来ないからみんな隣近所の人たちがね、加勢しにくるの。小屋のところで蒸す人は蒸して、運ぶ人は運んで。それをまた、表(家の中のひろいとこ)にバーッとムシロを広げてね、麹とつぶしたナリと大豆を一緒に広げてね。
―――この粉は人から頂いたと聞きましたが、今でもこうやってナリの粉は作られているんですね。
うーん、作ってる人がまだ残ってる、って感じかな。作ってる人も少ないけどいるんだろうね。もうナリガユも頻繁には食べなくなったからソテツの実を集める人もいなくなってる。でもこのもらった粉はナリガユにして食べるよ。
―――じゃあ現在でも機会は少なくなってはいますがナリガユは食べられるんですね。味はどうなんですかね?
味はおかず次第ですよ
―――おかずはなにを食べるんですか?おかゆにまぜて炊いたりすることはないんですかね?
普通にご飯のおかず。まぜて炊いたりはせんね。
―――戦争の時はあんまりナリガユは食べなかったと聞いたのですが、それはなぜなんですか?
まめご飯とかは食べてた。戦前・戦後はナリガユを食べていたけど、戦中はナリの加工に時間を食うので食べることはなかった。
奄美は昭和28年までアメリカの領土となってたから、ヤマト(本州など)からの物資は調達できなかったのね。だから、戦後も食糧難でナリガユも食べてたの。でも戦中はナリガユを作る時間や設備を十分に出来なかったし、爆弾も落ちてくるしね。だから食べなかったの。
―――ナリミソはどうやってつくるんですか?水にさらして毒抜きなどはしますか?
ナリを砕いてそれを干してそれをまた臼に入れて細かく砕いて、それをふるいにかけてそれを蒸して麹たてるの。ナリを取ったらまず、日にさらすのね。実離れをするの。その後「ナリ切り」って言う道具があって、それで砕くのよ。水にさらすのは食べるものの時だけ。味噌は毒抜きとか、そんなものはいらん。
―――蘇鉄は毒抜きをしないと駄目だと思ってたいたですが、味噌を造る時には毒抜きはいらないんですね!麹はどうやって作るんですか?
一升枡に麹とナリの粉、それに塩が3合。ナリの粉を漉してあるでしょう、二晩ぐらいそれを玄米に浸けるのよ、これを引き出して混ぜて。真っ白くプツプツしてくるから、それを麹の具合にもよるんだけども、黄色くなったり黒くなるまで置くの。
―――今はもうナリミソはお作りにはならないんですか?作るのはやはり大変?
大変。もうつくらないねー。でもここはみんなキビの収穫でずっと外でてるから、一度にいっぱいに作ったみそ汁を何遍も温め直して飲むんだけど、普通味が落ちるでしょ、都会のみそ汁は。一回炊き直せば風味も落ちるし、でもナリのみそ汁は何度炊き直しても美味しかった。だからね、本当に食べ物を粗末にすることはなかったのよ。なんでも食べてたから。ミソは食べない時は瓶の上の方に塩をのっけてね、保存してた。みんな家でつくっとったから。もう本当に自給自足だったんだから。テレビが出てきた時代あたりからか、そういうの(=自給自足的な生活)がだんだん無くなってきたかなー
―――おおーっ、こんな大きい瓶にミソを作って入れるんですねー!
ホントは3つぐらいこの瓶があってね。1年味噌2年味噌ってね、3年味噌を食べてた。1年目は青臭いってゆうか、パサパサして味がしない。
―――あの、一説には蘇鉄の焼酎を作ってたってゆう話も聞いたんですけど、そういう話はご存じないですかね?
ナリではある。麹炊いて。麹一升に、それを水に混ぜこぜして、それで発酵させて、鍋をねおいて、蓋をするんだけど、沸騰させるとね、水蒸気がね蒸発させるでしょ、蒸留させてね。
―――それはどんな鍋で作ったんですかね?
下はフーナベってゆう普通のおっきい鉄鍋で、湯気が立ったら、それをすくって…
一番最初にでてくるハナゼイはおいしいよー。最初でてくるのはきついから。
―――その蘇鉄の焼酎を作る時は蘇鉄の毒抜きはしてた?
そんなものしとらんー
―――味噌もしなくていいし、麹と関係してるんですかね?おじいさんはその酒の作り方は誰から教えてもらったんですか?
たぶん親からだろう?私なんかにも教えはせんよ?ただ見物してそれを覚えるのよ。税務署が来るってゆうと急いで隠して。お酒って家で勝手に作っちゃいけないから。
―――お酒はいつまで作ってましたか?
あたしが学校いるまではつくってたかなー。ヤドリってゆう、いわゆる結みたいなものがあってね。みんなそうやって色んなものを一緒に作ってた。キビから砂糖作るのは一人じゃ出来ないから、そうやってみんな集まってやるのはサト(=砂糖)ヤドリって呼んでた。
―――そうやって奄美のみなさんはずっと繋がりを大事にしながら自給自足の生活をしてきていたんですね、今日はありがとうございました!
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田中さん
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