投稿

「少女群図」飯田瑠璃子2016年4月25日~4月28日

展覧会「少女群図」が開催されます。
会場:アートギャラリーT+
会期:2016年4月25日-4月28日
出展者:飯田瑠璃子(芸術専門学群3年 総合造形領域)

フェティシズムの追究


T+review

一般的に10代から20代の女性を指す言葉である「少女」。少女の存在はいつの時代も人々の目に魅力的に映り、頻繁に創作のテーマとして可愛らしく美しい少女の姿が描かれてきた。
本展示も「少女」をテーマにしたものである。しかしこの展示は世間で多くみられる純粋で無垢な少女像とは少し異なっているようだった。
かすかに甘い香りの漂う空間の中で鑑賞者は四方を数え切れないほどの少女たちに囲まれる。こちらに視線を向けるクールな目元、その上で切りそろえられた指通りのよさそうな髪。セーラー服をまとった彼女たちは互いに寄り添いあい、彼女たちだけの甘美な世界を作り上げていた。柔らかく繊細で、かつ勢いのある線によって描かれた美しい少女たちはいつのまにか我々の心を引き寄せ、そして強く絡めとる。非常に艶めかしく魅力的な少女たちなのだが、彼女たちを見て感じられるのは単純にそれだけではなかった。
彼女たちは何色にも染まっていない。透き通るようなその白さは彼女たちの儚さ、清純さを感じさせると同時に、ところどころににじみ出るわずかな黒く深い闇を際立たせる。愛らしく清らかな少女たちだが、一方で黒く毒気のある面も併せ持っている。それは我々が夢見る清純な少女像を打ち砕くかのようでもあった。こどもとおとな、清純と穢れ、それらの合間にとらわれ、宙づりになり、不安定な状態で存在している「少女」。それは非常に危うい存在である。それとも我々は、少女たちの持つただ清らかなだけではない不安定な存在感に底知れぬ魅力を感じているのだろうか。
あふれ出る少女の洪水は、我々にただ甘く可憐な世界を見せるだけではない。可愛らしさや美しさ、その奥深くにあるものを引きずり出し、我々がほんとうは何に魅力を感じているのかを気づかせるのである。(大藪早紀)

鬟ッ逕ー迹迺・ュ神逕サ蜒・


「PASSFINDER」山森明子2016年4月18日~4月22日

展覧会「PASSFINDER」が開催されます。
会場:アートギャラリーT+
会期:2016年4月18日-4月22日
出展者:山森明子(芸術2年)
    飯田瑠璃子(芸術2年)
    鈴木彩美(知識情報図書館2年) 
    鈴木一平(情報メディア創成1年) 

「時をかける自転車」に乗って、世界の始まり、そして終わりまでを通り過ぎ、ときには遡り、観測する—そんな体験を提供するメディアアート作品を展示します。

T+review

外から見るギャラリーはいつもと異なり暗幕で覆われ、中の様子を窺い知ることができなかった。引き戸に手をかけようとすると、扉の近くに貼られている古ぼけた加工のされた一枚の紙が目に入る。


-How to use the PASSFINDER
此は旅をするための道具である。
望む者には等しく、此を使用する権利がある。
探究をしたくば、跨り漕いでみよ。
汝が旅するは、空間か。それとも時間か、あるいは…-

扉を開けギャラリーの中へ入ると暗闇の中にぽつんと一台の自転車が置かれている。それはオレンジがかったスポットライトの光に照らされ鈍く輝きを放ち、まるで誰かに置き去りにされてしまったかのようにさびしげな雰囲気をまといながらそこに佇んでいた。自転車、といえば私たちにとって非常になじみの深い乗り物である。しかしここに佇む自転車はそうではない。車体のあらゆるところにチェーン、コンパス、タンク、チューブなどの機械的で古めかしい部品が取り付けられ、スチームパンクの要素が見てとれた。スチームパンクとはSFジャンルの中の一種であり、ヴィクトリア朝イギリスや西部開拓時代のアメリカなどを舞台とした作品が多くみられる。これらの作品は産業革命期の技術革新による未来への底知れぬ期待が感じられ、あくまでフィクションではあるものの現実味があり、レトロではあるものの新しさも感じることができる不思議なジャンルである。この自転車もベースとなっているものは一般的なシティサイクルであるものの、どこか期待感を抱かせる不思議な魅力がそこにはあった。
 
「探究をしたくば、跨り漕いでみよ。」
この自転車に跨ってペダルを漕ぐか、漕がないか。その判断は鑑賞者に委ねられている。私は促されるままにペダルを漕ぎ出した。突如ギャラリー内に響く轟音。ゴポゴポと水中で空気が漏れるような音。ザアザアと雨が降るような音。ザパァンと波が岩場に打ち付けるような音。アーアーと海鳥の鳴くような音。外界から隔絶されたこの暗い空間の中で、私は土砂降りの雨の中や海底、波打ち際をこの自転車で駆け抜けていたのだ。
 思えば海はすべての始まりである。原初の生命は海より生まれ陸へ上がり文明を生み出し、そしてのちには海を渡ることによって大きな発展を遂げてきた。このペダルを漕ぐことはすなわち世界を作ることなのだ。今この瞬間私は神になり、世界を創造しているのである。

ふとペダルを漕ぐ足を休めると、同時に鳴り響いていた音もぴたりと止まる。突如訪れる静寂。その中で自転車のタイヤが回るカラカラという音だけが虚しく響いていた。(大藪早紀)

passfinder


「invisible」当田亜利2016年4月11日~4月15日

展覧会「 invisible 」が開催されます。
会場:アートギャラリーT+
会期:2016年3月28日-4月1日
出展者:当田亜利(芸術専門学群VD専攻3年)

もしかしたら存在しているのかもしれない、あるいは造られた記憶

T+review

 モノクロの作品というのは、カラー作品とはまた違った魅力があるように思います。色でごまかされたりせずに、画面の細かいところまではっきりと目に見えますから、マチエールなども非常に目立ちます。白と黒のコントラストもモノクロ作品の魅力の一つです。強い光で強いコントラストになると、とてもドラマティックになります。モノクロはカラー以上に照明には気を使っているのではないでしょうか。
モノクロはドキュメンタリー的だとも言います。ドキュメンタリーというと、記録作品といういかにも事務的な印象の言葉に言い換えられてしまいますが、それでも映されたモチーフの裏に情感のようなものを感じられる時もあると思います。これらの作品にはそういったものが強く感じられるように思います。それを表すことができるのはたいへんうらやましいものです。(市川太也)


「imaginary life」勝部里菜2016年4月4日~4月8日

展覧会「imaginary life」が開催されます。
会場:アートギャラリーT+
会期:2016年4月4日-4月8日
出展者:勝部里菜(芸術専門学群4年)

インスタレーション作品


T+review

映像作品は一般的には平面上のスクリーンに映されるものと誰もが思われると思います。一方、立体の作品となれば、どうしても動きのない静的なものを連想させられます。そういうところから考えると、今回の展示はその両方とも全く違うものになっています。天井からつるされた薄い布にプロジェクターで青い映像を映し、されにそれを風で揺れ動かしているというものです。とにかく非常に幻想的で美しい作品になっています。
 床に注目するとカーペットが敷かれているのが分かります。クッションも二つ置かれています。寝そべってくつろげるようなスペースです。仰向けに寝れば、オーロラみたく揺れ動く作品を見上げるようになるでしょうか。さながら夢の中の風景のようです。(市川太也)

画像


「立入禁止」諏訪春佳2016年3月28日~4月1日

展覧会「立入禁止」が開催されます。
会場:アートギャラリーT+
会期:2016年3月28日-4月1日
出展者:諏訪春佳(構成専攻2年)

インスタレーションを展示します。
立ち入れます。


T+review

 ギャラリー内につるされた金網に糸が無数に編み込まれていて、まるで毛細血管のようである。素材は無機質なものであるが、とても有機的な雰囲気が漂っている。キャプションから察するに、この金網は「越えることのできない目に見えない境界のようなもの」を表現していると思われる。また作者は「自分自身がその網をはり巡らせている」ときもあるということを指摘している。
 この金網はいかにして境界として成り立っているのかを個人的に考えてみた。決して作品の構造的に、ギャラリー内を完全に仕切るようにして、作品を後ろに回って見ることができないようにしているわけではない。つるされた作品の下をくぐっていけば向こう側に抜けることができる。しかし私は実際に作品の下をくぐってみるのに少し抵抗を感じてしまった。作者は決してくぐられるのを厭わないだろうが、くぐりやすいようには作られていない。この微妙なバランスが、鑑賞者にとって作品の向こう側へ行くことへの抵抗、すなわち「境界」を生み出しているのではないだろうか。(市川太也)

立入禁止