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「Part of Me」 宮本梨衣 2011年2月14日~2011年2月18日

展覧会「Part of Me」宮本梨衣 作品展 が開催されます。
会場:アートギャラリーT+
会期:2011年2月14日~2011年2月18日
出展者:
宮本梨衣(博士前期課程芸術専攻洋画1年)

本年度制作した絵画作品の中から数点展示致します。

T+review

―ヒラヒラした葉を持つ植物、大きな鳥の羽根、女の子の髪の毛、煙、虫の眼、お化け、キスするカップル、美しいくびれ、ビーナス、血管、犬、涎の滴る舌、砂利、桃色の鳩、手品、恐竜、貝殻、手の甲、飛行機雲、心臓、宇宙の星、オーロラ、古代と今と近未来―
ザッと眺めるだけでこれだけの物事を連想させるいろかたち。思い付くままを並べ立ててしまえば雑多なようだが、画面はスマートにまとまっている。彼女の一部であろうものが散りばめられている様にも見える。実際モチーフにしているものはひとつ、ないしはふたつほどかもしれないが、その中にもっともっと無限なテーマが散りばめられているように感じられる。彼女もこの作品を描く間にわたしと同じことを思い浮かべていたのであろうか。手がかりをわざと沢山残してわたしを翻弄しようと図る知能犯に見えるが、実は気ままに頭に浮かんだまま思ったままの像を自分用の日記のように綴っている人なのかもしれない。
重ねられる色彩は緑!ピンク!と保育園のお絵描きに使ったクレヨンのように、単純明解な色の区別は出来ない。色を重ねているはずなのに透き通り、どこまでも地に行き着かない。ぐんぐん進んで行くうちに「あちらがわ」に出てしまいそうだ。
じっと黒の線を追っていくと、白雪姫が森に迷い込む途中、周りの動植物が笑い出す場面が思い浮かべられた。はたまた、尾形光琳の意匠の効いた生きているかのような波の表現が連想された。そして何故か、家族でお好み焼きを食べるときに鰹節をかける父親が『ほらっ!生きてる生きてる~‼‼』と言うのを、半分信じる幼い頃の自分がいたことを思い出した。彼女の画面の中では、普段人間のように動いたり言葉を話したりしないようなものが、「生きてる」感じがしたんだ、と思う。
目に飛び込んでくるもの一つ一つにはそれぞれの物語があった。怪獣映画のように。というのも、わたしにはただの植物が、ただの植物ではなく大きな亀や鳥、大げさにはゴジラにすら見えてきたからだ。勝手な解釈にはなってしまうけれど、彼女の中にこんな衝撃的なストーリーが幾つも隠されているのかと想像するとかなり面白い。少女の頃の続きが気になって仕方がない時のようにワクワクする。美しい描写のくせに、表面だけでなくこんなに内容も魅力的なのは、ズルイ。(辻真理子)

ティータス画像


「身体に忠実」 平野春菜 2011年1月11日~2011年1月13日

展覧会「身体に忠実」が開催されます。
会場:アートギャラリーT+
会期:2011年1月11日~2011年1月13日
出展者:
平野春菜(芸術専門学群構成専攻2年)

展示とパフォーマンスを行います。お気軽にお立ち寄り下さい。

T+review

サーッサーサーッ…..ドドドドドドドドッ…..スタスタ。サーッサーッ。ドドドドッ。
全てが真っ白い世界に響く鼓動のような音を耳にした瞬間、「厄介なトコに来ちゃったな。」そう思った。その恐ろしい程張り詰めた空間の中には、眼から後頭部を包帯でぐるぐる巻きにし、白い緩やかなワンピースを纏い、完璧に漂白されたようなバレエシューズを履いた女の子が独り、隙間の無い白壁に相対しているのだから。小さな手のひらを壁に掛けられたキャンバスに当てて、隠された眼で何かを一心に見つめている。
見渡す限りが白。白、白。白!
展覧会と言うのに、絵なんかどこにも見えはしない。迷子になって、自分の知るところのものが何ひとつ無いと気付く時のように背筋がゾクッとなった。
何かヒントは無いか。
白の少女とでも言い得よう彼女の手は、キャンバス上の何かを辿っている。探っている。自分の横に掛かったキャンバスにふと眼を向ける。
…..!
なんと。純白のキャンバスには小さな小さな穴が無数に空いているではないか。眼で辿るだけでも、穴の軌跡は人智の及ばぬ奇怪な動きをしている。
しかし、彼女を見る限り、自分も眼を閉じ、穴が成す造形を指先で感じてみるべき、な気がした。瞼のお陰で、今度は視界が真っ黒になった。触覚で見る表現は、視覚で見るものとは180度と言って良いほど異なっていた。彼女が瞼の裏に映し出される像を描いていることを知ってはいても、自分が触れているのが何なのかも、画面上のどこなのかも、全体がどんな形、雰囲気なのかもほとんど分からない。
厄介なトコに来て、今度は迷路に迷ってしまった。そんな気分だった。
眼を開くと、辺りが神々しいまでに明るく輝いて見え、相変わらず彼女は包帯の上から眼に手を当ててはドドドドッドドドドドドッとキャンバスに穴を開け続けている。

ここで眼が覚めた。
と言いたくなるような、夢を見ていたような時間だった。

瞼の裏の宇宙も、昼間に天から舞い降りてくる様に見えるミジンコもそうだけれど、人間の身体は精神とは関係無い可笑しな働きをするものだ。
その働きと、精神に働きかける起爆剤を同じフラスコに入れる時、なんと多彩な反応を見せるものだろうか。魔法のかけ方の秘密を知る彼女は、真っ白と真っ黒というモノトーンの素材を組み合わせることで、私を摩訶不思議な世界に連れ込み、脳裏に万華鏡の如く様々な色や模様を映し出してくれたのであった。(辻真理子)

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「野犬」 本江七緒 2011年1月4日~2011年1月7日

展覧会「野犬」が開催されます。
会場:アートギャラリーT+
会期:2011年1月4日~2011年1月7日
出展者:
本江七緒(芸術専門学群彫塑専攻 二年)

満月の夜の遠吠え。

T+review

タイトルにやられた。小難しいことがあまり好きではない(むしろ嫌い)な私はストレートなものに惹かれる。この直球勝負なタイトルに、展示が始まる前から大きな期待を寄せていた。
 痩せ細ってはいるものの引き締まった体つきをした、真っ白い2匹の彫刻の犬。丹念に、それでいて勢いよく荒く肉付けされた犬からは、作者の情熱と、作品に対する愛情が見てとれる。空を見上げて遠吠えする犬たちは、「力強い」というより「弱々しい」。私が「野犬」でイメージしていたものが剛健で乱暴な獣だったからなのか、とても意外だった。昼間は獲物を狙って常にギリギリの状況にある野生の犬が、月夜に見せるもの悲しげな一面。その瞬間だって確かに「野犬」である。その視線の先には夜空に浮かぶ月を感じることが容易く出来る。ふと視線の先を追うと、満月が犬たちを見降ろしていた。
ギャラリー内には他にも小さな作品がいくつか展示されていて、針金で作られた虫かごの中で、図鑑から飛び出したような美しい蝶が舞う作品が目を引いた。二次元の世界に閉じ込められていた蝶たちが、虫かごのなかでひらひらと踊っている。
もう一方の壁には巨大な一匹の蝶が翅を広げた状態で掲げられていた。本物と見まがうほど精巧で緻密に作られている。作者が昆虫好きなことは前から知ってはいたが、ここまでとは!と驚嘆してしまった。
ギャラリーを出ると、外は夕暮れの一歩手前のような明るくもなく暗くもない微妙な時間。一人ベンチに座る作者を見つけた。
「あの蝶本物みたいだね。」
「ああ、あれ本物なんだ。」
 さらに驚嘆した。
(武藤かおり)


「わたしのあたまんなか展」 那須田和美 2010年12月1日~2010年12月3日

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展覧会「わたしのあたまんなか展」が開催されます。
会場:アートギャラリーT+
会期:2010年12月1日~2010年12月3日
出展者:
那須田和美(構成専攻2年)

わたしのあたまのなかにはたくさんのひとがいます。
そのこたちがかってにおしゃべりしています。

T+review

他者の頭の中にある物事はいつだって波のように静かに私の肉体・精神を襲っては離れていく。波に乗ってしまえれば好調。波乗りを存分に楽しんだ挙げ句、報酬すら与えてくれる波に感謝することができる。でも、絶妙にも波に呑まれてしまう時は、ひたすらに流されて何処か見当も付かない場所に漂着するまで、失敗なりに乗り切るしかない。
世界の中のたった一つ、しかし確実に存在する点から染み出して、逆に世界を覆ってしまうような人の精神性や想像力には驚嘆せざるを得ない。
私は今日、その小さな点から溢れ出る小さな小さな精神の使いたちを見た。
何かをきっかけに、いつもは閉められている塀の鍵が空いてしまったのか、精神の使いたちがそろりそろりと歩みを進めて、裏舞台という狭い世界からあまりに広過ぎる表の世界に堂々と姿を現していた。
極めて簡素で、独特な味をだすという意味で丁寧な線で描かれた小人たちは、なんだか気怠そう。彼ら、いや、彼女ら(?)は、思い思いの付属物を片手にポツリポツリ。何かを呟いている。こちらに構わず勝手に為される所作に、思わず目が垂れ、口元が緩んでしまう。彼女らの呟きに、ああ、あるある!え、それは無いでしょ!と共感や反発をしてしまっている自分に気がついてハッとさせられる。自分の精神でも飼い慣らしている種の使いとそうでない使いが対面するのを感じたのだった。それは異文化の人々や趣向と出会うときに得るのと同じ衝撃。
知っているつもりでも真の意味では永遠に知ることのない他者の頭の中を公開されることは、遠回りして自分の頭の中を覗くことにもなってしまう。那須田と私の頭の間には環状の透明なトンネルが出来、那須田の精神の使いたちが私の頭へとなだれ込んで来るのだ。心えぐられるようなズバ抜けた人間的なやらしさが、心地よく緩い描線のリズムに乗せられ、可愛くて愛すべきマスコットに姿を変えているのが皮肉っぽくて心地良い。表象の陰に潜む真意を見つけたときの心は、拒否はしないにしても、ズキン、チクッ、グスン、ドキン、ドキドキ…とんでもなく抑揚の効いた反応をするものである。
波乗りは、様々な経験が出来るという意味で失敗することは無いのかもしれない。
今日の波は、私に程良い刺激を与えてくれた。今度はいつ同じ波、しかも良い意味でより刺激的になった波と出会えるのだろうかと期待は膨らむばかりだ。(辻真理子)


「I FELL IN LOVE AND BROKE IT」 Caroline Näslund 2010年11月8日~2010年11月12日

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展覧会「I FELL IN LOVE AND BROKE IT」が開催されます。
会場:アートギャラリーT+
会期:2010年11月8日~2010年11月12日
出展者:
Caroline Näslund(総合造形 特別研究学生(院生))

Installation and drawings about failure (and love).

T+review

まずギャラリーへ足を踏み入れると、作品たちの“黒”という統一感から来る静寂に包まれる。それはギャラリーの白い壁によって効果を増しており、その静寂によって壁にかざられた生活品のイラストたちは、黒い額縁の中でますますその存在感を獲得している。
描かれた題材はティーバックやパンツなど、少しひねった面白い目線で選ばれている。白い画用紙の真ん中に黒い線で描かれたそれらは、普段私達が気付くことのできない個性に溢れている。イラストをじっくりと鑑賞していると、作者の身の回りの物に対する目線が、どこかユーモラスでいて愛情に満ちたものなのではないかと暖かな気持ちにもなるが、その気持ちで終わるのを妨げているのは、黒い雲である。ギャラリーの中央に置かれたまっ黒なベッドの上に立ちこめている、まっ黒な雲。それは、眠れない夜に止めどなく溢れてくる考え事を表しているようである。思考はだんだんと不安や不満に変わり、余計眠れなくなるどころか不幸感さえ湧いてくる孤独な夜。それらはすべて黒い雲となりベッドの上を覆い尽くす。雲に囲まれてしまった空間へは、いつも私の身の回りにいる生活品たちも近づくことはできない。それらにいくら個性や愛着があろうと、思考の連鎖が生んだ暗雲は自らで打破するしかないのである。しかし来る日も来る日も夜になれば暗雲は立ち込め、なんて自分は小さいのだろうと、iの無力さに打ちひしがれる。これは誰もが恋をしているときに経験したことがあるのではないだろうか。相手のことばかりに思考が支配されて、心に平安などは到底訪れない。この展示はそんな作者の心の中を具現化したものでもあるのかもしれない。我々はその世界の中を彷徨い楽しみ、だんだんと不安に駆られ、最後には、それぞれの心にあるまっ黒な雲は、自ら打破するしかないのだということに改めて気づくことができるのである。(池田寛子)