「わたしのあたまんなか展」 那須田和美 2010年12月1日~2010年12月3日

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展覧会「わたしのあたまんなか展」が開催されます。
会場:アートギャラリーT+
会期:2010年12月1日~2010年12月3日
出展者:
那須田和美(構成専攻2年)

わたしのあたまのなかにはたくさんのひとがいます。
そのこたちがかってにおしゃべりしています。

T+review

他者の頭の中にある物事はいつだって波のように静かに私の肉体・精神を襲っては離れていく。波に乗ってしまえれば好調。波乗りを存分に楽しんだ挙げ句、報酬すら与えてくれる波に感謝することができる。でも、絶妙にも波に呑まれてしまう時は、ひたすらに流されて何処か見当も付かない場所に漂着するまで、失敗なりに乗り切るしかない。
世界の中のたった一つ、しかし確実に存在する点から染み出して、逆に世界を覆ってしまうような人の精神性や想像力には驚嘆せざるを得ない。
私は今日、その小さな点から溢れ出る小さな小さな精神の使いたちを見た。
何かをきっかけに、いつもは閉められている塀の鍵が空いてしまったのか、精神の使いたちがそろりそろりと歩みを進めて、裏舞台という狭い世界からあまりに広過ぎる表の世界に堂々と姿を現していた。
極めて簡素で、独特な味をだすという意味で丁寧な線で描かれた小人たちは、なんだか気怠そう。彼ら、いや、彼女ら(?)は、思い思いの付属物を片手にポツリポツリ。何かを呟いている。こちらに構わず勝手に為される所作に、思わず目が垂れ、口元が緩んでしまう。彼女らの呟きに、ああ、あるある!え、それは無いでしょ!と共感や反発をしてしまっている自分に気がついてハッとさせられる。自分の精神でも飼い慣らしている種の使いとそうでない使いが対面するのを感じたのだった。それは異文化の人々や趣向と出会うときに得るのと同じ衝撃。
知っているつもりでも真の意味では永遠に知ることのない他者の頭の中を公開されることは、遠回りして自分の頭の中を覗くことにもなってしまう。那須田と私の頭の間には環状の透明なトンネルが出来、那須田の精神の使いたちが私の頭へとなだれ込んで来るのだ。心えぐられるようなズバ抜けた人間的なやらしさが、心地よく緩い描線のリズムに乗せられ、可愛くて愛すべきマスコットに姿を変えているのが皮肉っぽくて心地良い。表象の陰に潜む真意を見つけたときの心は、拒否はしないにしても、ズキン、チクッ、グスン、ドキン、ドキドキ…とんでもなく抑揚の効いた反応をするものである。
波乗りは、様々な経験が出来るという意味で失敗することは無いのかもしれない。
今日の波は、私に程良い刺激を与えてくれた。今度はいつ同じ波、しかも良い意味でより刺激的になった波と出会えるのだろうかと期待は膨らむばかりだ。(辻真理子)