「なにかにつけて」田中あかり、他2016年2月8日~2月12日

展覧会「なにかにつけて」が開催されます。
会場:アートギャラリーT+
会期:2016年2月8日-2月12日

出展者:田中あかり(洋画M1)

昨日は
つめたい風につけて
遠いあなたをおもいだし
今日は
記念の日にかこつけて
秘密の約束をさがしていて
明日は
とっておきを身につけて
外に出る

なにかにつけて


T+review

きゅん。乙女心とはこういうものを言うのだろう。彼女の展示はいつも心温まり胸にときめきを与える。恋心をテーマに描く彼女はキャプションの一つ一つにさえピンクのリボンをあしらい、乙女心満載の展示を作り上げた。本展覧会ではいつもは愛らしい少女達の表情の多くが覆われてしまっているのが特徴だ。何かにつけて行動してしまう彼女たちの精一杯の照れ隠しとでも言うのだろうか。ハートを形作るキャンバス、ハートで隠した顔、表に出てくる可愛らしさとは裏腹によく見ると黒や毒々しいピンクがまるで溶け出したように画面に乗せられている。ときめきを与える反面、不安を覚える要素も見え隠れする。乙女の気持ちは複雑なわけだ。
古典の巨匠も恋愛がテーマの絵画を描いたが、彼女の描く絵はそれらとは異なる。今を生きる彼女が描くのは生きた感情である。それは古典絵画を見た時の高尚な気持ちになるような一歩引いたところにあるものではない。つい目を背け、けれどちらっと見てしまいたくなるようなそんな恋愛感情なのだ。見たい、けれど見たくない、そんな感情を覚えた頃には彼女の世界に引き込まれてしまっている。

きゅん。ドアノブにかけてあるハートにまでときめいてしまった。

(古屋花子)

PicsArt_1453911367669


「魅男子展」奥原薫、他2016年2月1日~2月5日

展覧会「魅男子展」が開催されます。
会場:アートギャラリーT+
会期:2016年2月1日―2月5日
出展者:奥原薫 (芸術専門学群一年 構成専攻)
有賀睦 (芸術専門学群一年 洋画コース)
櫻井美歩 (芸術専門学群一年 デザイン専攻)
武藤有希乃 (芸術専門学群一年 日本画コース)
横手風 (芸術専門学群一年 構成専攻)
山田梢絵 (芸術専門学群一年 構成専攻)

芸術専門学群1年生6人、それぞれが思い描く魅力ある男子像。それはある意味、一種のフェティシズム宣言。

image1-1


「a landscape」北友花2016年1月26日~1月29日

展覧会「a landscape」が開催されます。
会場:アートギャラリーT+
会期:2016年1月26日-1月29日
出展者:北友花(洋画・院1年)

風景

image2


「日本、ニホン、nippon」駒田六花2016年1月19日~1月22日

展覧会「日本、ニホン、nippon」が開催されます。
会場:アートギャラリーT+
会期:2016年1月19日-1月22日
出展者:駒田六花(デザイン専攻建築領域2年)

T+review

生け花において草木の役割とは大地に根をつけて生きたつ草木の有機的バランスを描いて完結する生命の消長をあわすことである。「消長」とは物事が衰えて消えるか伸びて盛んになるか、というなりゆきのことであるが今回の作品「日本 ニホン nippon」で使われていた材料は枯れ木であった。しかし不思議なことにこの作品には圧倒的な生命力を感ぜざるおえなかった。小さいギャラリーに、大量の枯れ木を使い形態づくられた「なにか」は観察し続けるうちに大きな動物のようなものに見えてくる。その枯れ木で形態づくられた周りには、2本の青と赤のホースが有機的に絡み付いている。この作品を「動物」と捉えるのなら、そのホースはおそらく動脈と静脈だろうか。そうとらえると、枯れ木は命の終結を感じるが、絡み付く赤と青のホースは命の伸びやかさや生命力を感じ、それがなんとも絶妙な緊張感をもってギャラリーを支配していたように思える。すると窓ガラスに大きく貼られた「日本 ニホンnippon」という題名にも目がついた。「ニホンらしさである木材」「ニホンのホース」。きっと偶然ではないだろう。では「nippon」とはなにを指しているのか。海外からみた日本の姿なのか。いや、もしかしたらただ言葉遊びかもしれない。私は答えを見つけることができなかった。しかしいずれにしても大量の枯れ木に絡み付く2本のホースからは得体のしれない躍動感、生命力を感じ、おのずと自らも活気づけられる作品である。今日、都市化が進む一方で負けじと雑草もアスファルトの地面を突き破って芽吹いている。大木ともなると人間の作ったものなど物ともせずに浸食していく。どれだけ人間が鉄とコンクリートで文明を築いたとしても、いつかは木々に覆われ大地に帰ってしまう。それと同じくして人間もいつかは大地へ帰っていく、生命力と反して完結する命の消長をこの作品から学んだ。(下釜 早貴)

tたす


「越えることについて」ツチ屋サユリ2016年1月12日~1月14日

展覧会「越えることについて」が開催されます。
会場:アートギャラリーT+
会期:2016年1月12日-1月14日(但し最終日は14:00まで)
出展者:ツチ屋サユリ(総合造形、大学院1年)

インスタレーション作品


T+review

「超えること」とは何だろう。目の前の白い線を跨ぐことだろうか、過去の自分に打ち克つことだろうか。私の想像ではその程度しか出てこない。だがこの展覧会は全く別の角度から「超えること」について考えている。ギャラリーの真ん中より少し奥にコンクリートのブロックが横一列に整然と並べられている。コンクリートブロックの上に少しかかる白はなんだろう。奥にはヘッドフォン。静けさと床のブロックの構成されるこの奇妙な空間が問いかける。それに答えるのはヘッドフォンから流れてきたさざ波の音だった。展覧会は作者が2015年6月に東北の沿岸地域の巨大防湖堤の建設工事とそれを取り巻く人々の話を聞いた記録がベースとなっている。波の音か風の音か、渦巻く自然を背景に話す初老の男性の声は海よりも深いものを背負っているように聞こえた。作者がいうには塩作りを生業としている男性の声だ。防潮堤に見立てたのだろうコンクリートブロックと塩にも見える白い色。私は容易にそれを跨いで奥まで辿り着いたことに気づいた。それを跨ぐ時、超える時何を思っただろうか。何も考えずただ先に進もうと歩みを進めた。
 東北には巨大防塩堤を作ることで街を守るが、その影で塩作りへの影響を心配している人がいる。私のような若いものが前だけを見て先に進もうと思った時、それは通過地点にすぎない。軽く超えてしまうのだろう。けれど其の地に安住し深く深く海の底まで根付いてきたものにとってはそこが居るべき場所だ。いま東北には防潮堤を上から跨ぐものと下から見上げる物がいる。「超えた」と思った時、私たちは何を超えてしまうのだろう。何を踏み台にしたのだろう。(古屋花子)

塩