「FLUFFY」平本みゆき 2016年8月1日~8月6日
会場:アートギャラリーT+
会期:2016年8月1日(月)~8月6日(土)
出展者:平本みゆき(構成専攻VD領域3年)
刺繍で服に、ゆるくおえかきしました
刺繍で服に、ゆるくおえかきしました
過去も現在も、未来も同じように、時は止まることなく流れ続ける。一度として同じ時間は存在しない。そのような「一瞬」を画面にとどめた作品であった。
展示されていたのはスクリーンショットをした画像を引き延ばし、大きく印刷したもの。単なる写真ではないところが面白い。インターネットが普及した現代社会の中で、写真を撮ることよりもさらに手軽なものではないか。スクリーンショットを日常的に使用している鑑賞者も多いだろう。そのような何気ない日常の一動作を制作の手法に用いた作者の発想は独特であった。しかしながら、それは作者が描いたものではない。すでにあるものを私たちに提示するという一種の行為である。レディ・メイドの作家として知られるデュシャンの≪泉≫を彷彿とさせ、鑑賞者に芸術の表現の多様性を感じさせたことだろう。
作品とキャプションに二項対立が生じていた。作品にはその緯度が題名として付けられていた。土地はその上に工場が建とうと、家が建とうと、持ち主が変わろうと、見え方が変わるだけでその土地は「土地」として機能し続けるものであり、永久に変わらない。しかし作品の方はどうだろうか。何かを作品にして残すということは、一瞬を画面に閉じ込めるということだ。この作品を見ると、「そのとき」が記録されているだけで、「現在」は全く違う景色になっているという可能性も否定できない。永遠と刹那という関係性が作品と題名との間に生まれている。
展示全体としては、挨拶文が鑑賞者にとって分かりやすく、作品に入っていきやすい、導入となっており、鑑賞する際の足掛かりとなっていた。また、その挨拶文で、あえて「散策」という言葉を使っていた作者の意図を考えながら見ることができた。
私たちが過ごしている「今」が「過去」になっていくということを感じさせた展示であった。(高田和音)
自然素材を用いた立体作品の展示です。
独特な形状をしたバッグや器、洋服のようなものが、それぞれ青と黄色の四角いシートの上に据え置かれていた。一見した印象では実用的なものではなさそうだし、どういう用途で使うのか分からないものもある。机上の茶色い紙に手書きで荒っぽく書かれたキャプションらしきものによると、漆の濾紙、樹皮、籐、陶を材料に使っているそうである。あまり聞きなれない名前のものや、それらを材料として使った例を知らないようなものだったので、質感が独特で新鮮さがあった。道具として使うものというよりは、作品として鑑賞するためのものという感じがした。
またギャラリー入り口の透明なプラスチックでできたスピーカーも目に付いた。スピーカーとしては見慣れない形である。展示されている作品の雰囲気とは違ってかなり現代的な形状をしている。展示中ずっと音楽がかけられていたが、その音楽と作品とが相まって、ギャラリー内はなんとなく民族的な雰囲気に包まれていた。作品と音楽の2つでギャラリーの空間を作っていたのは興味深い。(市川太也)
インスタレーション作品を展示します。
何から話そうか、なんて自分を隠す言い訳はもうやめにしよう。
経験が私達を作る。
経験は過去である。
過去は思い出になる。
思い出は美化され、肯定される。では我々自身は、美化そして肯定されうる存在であるのか。
T+review
アーティストは良い作品をつくることが全てだと思いがちだが、その作品を取り巻く空間をどのようにつくっていくかも同じ位重要である。今回の作者はそれが上手い。前回の個展でも作品を最大限魅せるための綿密な展示作業を行っていたと記憶しているが、今回は更に大胆でのびのびと空間を活かしている印象だ。カウンターの横には制作の参考にしたという本が並べられ、壁のドローイングは一面を覆いつくし、床にはテープで絵が描かれている。展示のコンセプトを綴ったプリントは数枚にも及び、作者のこれまでの人生さえも細かく記述されている。作品全体の印象としては過去にあったことを思いのまま描いているといった感じだが、この作品群はこの空間が無ければ作品として成り立ち難いだろうと感じた。
よく現代アートと呼ばれるものはよく分からなくてつまらないという声を聞くが、それはそこの空間が作品を活かしきれていないのではないかと考える。作品に沿った空間作りがされている展示は、たとえよく分からなくてもそれはそれで楽しいものだ。それを考慮した時にこの展示は非常に見る人を楽しませるものになっていると感じた。
(堀越文佳)
