「@odd」篠倉彩佳 2016年6月20日~6月24日
会場:アートギャラリーT+
会期:2016年6月20日(月)~6月24日(金)
出展者:篠倉彩佳(総合造形領域3年)
いきているここちがしないときがありませんか
T+review
「神は死んだ。」と、ニーチェの言葉を思い出した。
展示室に置かれた教室机と教壇は懐かしい空気を思い起こさせる。芳名帳として置かれた学習帳には来観者らの童心に帰った字で名前が記入されている。しかし、その前の教壇に座るのは不気味な雰囲気をかもしだす一体の人物像である。髪の毛はなく、目はどこかをじっと見つめている。決してこちらを見つめているわけではないのだが、何かに監視されるような恐怖感が漂ってくる。
子どもの一日を支配するのは大半が学校生活であって、子どもの社会は教室という狭い空間に縛られている。学校は村社会であり、異端の排除、すなわちいじめによって社会からの追放が執行される。その学校生活を支配するのが教師であり、先生は神となりうるか と、コンセプトから問いかけられている。
教壇に座るのは教師、すなわち神の象徴となっていると思われる。それは手の向きがイエス・キリストの祝福をあらわす形になっていることからだ。また、生徒の立ち位置である机の席に座ってみると像を見上げることになり、神としての崇高さを演出している。本来の教室のような雑多な雰囲気ではない、展示室の閑散とした空間にうまく緊張感を与えている。
コンセプトには続きがある。世代交代と情報の加速化が確実に進んでいるなかで子どもたちは誰に教わるのか。教師は大人でなければならないのならば、大人とはいったい誰のことを指すのか。本当の大人になれるのだろうか。そのようなことがつづられている。
確かに、頭が大きく髪の毛のない人物像は赤子のような雰囲気も感じさせる。そうとなれば、この像には「大人」と「子ども」の矛盾した二面性を内包していると考えられる。
教師である絶対的な「神」の存在が不確かなものであることを、この作品はあらわしているといえる。「神は死んだ」のだ。
人類の歴史は速度を追い求めた歴史でもあった。今ではその速度は自らの存在をも追い越してしまっている。私たちはこれからどこへ向かえばよいのか、情報が、社会が敷いたレールの上を走ればよいのだろうか。現代が負っている問題を、教室という空間で演出し、 多面的な観点から考えさせる、巧みなインスタレーションであった。(濱田洋亮)
