「ノート」 平野春菜 2011年5月16日~2011年5月20日

展覧会「ノート」が開催されます。
会場:アートギャラリーT+
会期:2011年5月16日~2011年5月20日
出展者:平野春菜(芸術専門学群構成専攻3年)

写真展示

T+review

白い壁に、9枚の写真が掛けてある。遠くから見ると全て真黒で、何のことやら分からない。そんな訳はない、写真なのだから、何か写っているはずだと、吸い込まれる様に近づいていって、一枚一枚じっと見ると、白っぽい煙みたいなのや、何か分からない、言い様のないものが、写っているのか、写っていないのかといった微妙さで、しかし、確かにあるのである。ここまで思いついたとき、わたしは思わずどきりとした。目の前にある9つの写真は、9つの空間ではないだろうか。
 黒という色には、思いがけない奥行きがある。夜になって目を瞑ると、わたしの眠っている部屋の天井や壁といったものは、もはやなくなってしまって、ただ深い暗闇が、どこまでも続いている様に感じられる。そういう感覚が、これらの写真にはある。白い壁に掛かっている9つの写真は、その果てしない空間に一体何を孕んでいるのやら、考えるのもおそろしい。何があってもおかしくない、無秩序な、無気味な奥行きをもった空間である。茫茫たる空間の奥底から、ぼんやりと現れるものは何であろう。そうして、この空間の正体は。
 展覧会名である「ノート」、noteという単語には、メモ、記録という意味がある。これら9枚の写真は、一体何の記録なのか。それはおそらく、作者の深い心の様子であろう。はっきりした心象となる以前の、意識することさえない様な、混沌の記録。もしそうであるのなら、そこに写っているものが、一体何なのかということは意味がない。それは誰にも分からない。あざやかな心象の、もっと深いところで、もやもやと、ゆらゆらと、ちらちらとしている、何だか分からないものを、一瞬の光が捕らえる。記録という冷静な態度で、自分の心の奥底を覗くまなざしが心強い。
 などといろいろ思ってみても、果てしない黒色の空間は、やっぱりわたしには不安である。こうして見つめたまま、二度と目を離せない様な感じがする。本作品を見るのと同じ様な感覚を、他でも味わう様な気がすると思ったが、それは、ひとの目ではなかったか。わたしは9枚の写真を見ているつもりが、いつのまにか、作者の眸を覗いている気がした。(金沢みなみ)