「ヒマラヤ」 上野郁代 2012年5月21日~2012年5月25日
会場:アートギャラリーT+
会期:2012年5月21日~2012年5月25日
出展者:上野郁代(洋画4年)
山の絵画
T+review
壁にかかっているのは、「まさにヒマラヤ」といった感想を抱かせるイメージの集合体だ。大きな四角形が10ほどに分割され、それぞれの画面には色彩やアングルが様々な山地が描かれている。夕日が当たっているように、柔らかいオレンジ色の光に染まっている山々。星空の下の山々。現実にはありえないような緑色で表現された山々もあれば、氷河のように真っ白な山々―私たちがよく目にするヒマラヤの姿―、闇に浮かぶ山々、と表情豊かな「ヒマラヤ山脈」が集まっている。
「ヒマラヤ山脈」?ここで、不思議な違和感を覚えた。この描かれた山々は本当に「ヒマラヤ」なのだろうか?確かにこの展覧会の名前は、「ヒマラヤ」である。しかし描かれた山々がヒマラヤ山脈であるという情報はどこにも提示されていないのだ。作品を観るときに私たち鑑賞者は、展覧会名から受け取った情報を勝手に作品に結び付けてしまっているのではないだろうか、という問いが思い浮かぶ。本当はヒマラヤ山脈を描いた絵ではないのかもしれないのに、私たちはこの作品を「ヒマラヤ」だと思い込む。これは、情報を頼りにするという普段からの姿勢の表れなのかもしれない。
私たちがある作品を観るとき、なんらかの先入観、前情報をもたずに観ることはできるのだろうか。先入観は、作品が伝え得るものを限定する。つまり、私たちが受け取り得るものも限定するのである。この展示「ヒマラヤ」を、描かれた山々がヒマラヤ山脈であるという思い込みの情報を持たずに観たとき、描かれた山々に残っているものは何であろうか。それは、山が純粋に一山として持つ個性であろう。描かれた山々が「ヒマラヤ山脈」と決まる以前に一つの「山脈」として持っているもの、表情、それらが純粋な状態で画面に留まっているのではないだろうか。夕日を浴びてオレンジ色に染まっているこの山は、ヒマラヤ山脈なのかそうではないのか。どちらにせよ、純粋な「山」のイメージの存在が画面にあるのだ。(岡野恵未子)