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「T+を5日間、ぼくらのアトリエにします。」町田紗記、他 2014年3月31日~2014年4月4日

展覧会「T+を5日間、ぼくらのアトリエにします。」が開催されます。
会場:アートギャラリーT+
会期:2014年3月31日(月)~2014年4月4日(金)
出展者:町田紗記(筑波大学芸術専門学群美術専攻洋画コース3年)、田中あかり(筑波大学芸術専門学群美術専攻洋画コース3年)、瀧本泰士(筑波大学芸術専門学群美術専攻日本画コース2年)

T+を5日間、ぼくらのアトリエにします。

T+review

そこにあったのはアトリエだ。
 別に驚くこともないだろう。展覧会のタイトル通り、T+ギャラリーが集まった展示者たちのアトリエになっているだけ。そう、それだけ。しかし、見慣れたはずの「ガラス越しに見えるギャラリーの様子に少々戸惑いを覚えたのは正直な感想だ。
 この5日間、同じアトリエを共有し、「なにかをつくる」という同じ行為を行った彼らにはどのような接点があるのだろう。あの決して広いとは言い難いアトリエを所狭しと埋める人間と制作物。ある人は裁縫を、ある人はデッサンを、ある人はイラストレーションを。「制作」という二文字だけが彼らを繋ぐ言葉となり、かろうじてこの不思議な空間を繋ぐ。統一感があるようでないこの部屋は、「展示を見る」という本来の目的を持ってギャラリーを覗きに来た観覧者を拒絶する。
 「つくる」という共通の行為の中で生まれたこの不思議な一体感の中、その一体感に溶け込めない私たちは、これ以上ここにはいられないという妙な感覚に陥る。そう、本当にタイトル通り、この5日間でこの空は彼らのアトリエになってしまったのだ。(太田夏希)


「まちくたびれたいんで」田中あかり 2014年2月12日~2014年2月14日

展覧会「まちくたびれたいんで」が開催されます。
会場:アートギャラリーT+
会期:2014年2月12日(水)~2014年2月14日(金)
出展者:田中あかり(筑波大学芸術専門学群美術専攻洋画コース3年)

「ほしいのはきっかけ と タイミング。
だから この日をうんとまちくたびれたいんで」

T+review

2月14日。日本ではいわゆるバレンタインデーと呼ばれる日である。偶然だったのか、必然だったのか。本展示の最終日は聖なる日、バレンタインデーだった。
この日は特別な日だ。淡い期待に不安や戸惑い。人間らしい色とりどりの感情がこの日を目指して交錯する。少女だった頃、そんなことに胸を躍らせて落胆もしたそんな日があったらことをギャラリーを巡る中で思い出し少しだけ感傷的な気分になる。
左手の壁には、少年少女特有の危うさと初々しさを持ったイラストレーションが並ぶ。このようなイラストレーションは大概が可愛らしいという月並みな言葉で片付けられることが多いだろう。しかし、展示者のイラストレーションは決してそれだけで終わってしまう作品ではない。逆にその可愛らしさが展示に入り込む入り口になっているのではないのではないだろうか。入り口に立つからこそ見える世界がある。
企業の戦略から始まったと言われるバレンタインデーというイベントだが、それでもここまでこれだけの人間がこの日の訪れを待つことには理由がある。それはきっとこの日が普通の1日とは違う、何でもなくない1日となるからだ。
その日をまちくたびれて少年少女は走り出す。淡さの中にほんの少しの苦さがあるからこそ、この日はただ甘いだけの1日ではなくそれぞれの思い出が生まれる。そこにまた新たな思いと記憶が生まれるからこそ、わたしたちはこの日をまたまちくたびれるのかもしれない。(太田夏希)

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「刻」當銘弓佳 2014年1月14日~2014年1月16日

展覧会「刻」が開催されます。
会場:アートギャラリーT+
会期:2014年1月14日(火)~2014年1月16日(木)
出展者:當銘弓佳(人間総合科学研究科芸術専攻日本画領域2年)

日本画作品を展示します。生と死。巡ること、流れること。絶え間ない刻(とき)の一瞬をテーマに。
確かな息遣い、湛える煌めきを探るように描ければ、と思います

T+review

日本画とは一言で形容しがたい分野だ。「日本画」という言葉自体が明治時代に海外から持ち込まれた「西洋画」と日本独自の芸術を分けるためにつけたためでもある。一般的に日本画と言われれば水墨画や美人画、花鳥風月などといった画材、主題を連想するだろう。うす塗の淡い色彩、墨の濃淡、開け放たれた空白・・・しかし、彼女の展示はそんな一般的に思われがちな日本画の世界とは一風変わったものだった。
 生と死、そして流れ巡る絶え間ない「刻」をテーマに制作された作品たちに圧倒された。重厚な岩絵の具の重なりと、その余韻は鑑賞者に心地のいい印象を与える。
 岩絵の具の最大の魅力は重なり合う砂の深みと、光に当てられ煌めく粒子であると考える。イメージで抱かれる日本画と現代日本画は大きな隔たりが生まれたのには理由がある。その理由が生まれた原因は、新たに数多くの顔料が開発されたことにあるのではないかと考える。かつての日本画が墨の濃淡を生かし、空間表現を何故得意としたかというと、それは単純に使用可能な顔料の数が少なかったからだ。極端な言い方になってしまうが、限られた色の中でいかに表現するのかがかつての日本画の課題だった。それが現代日本画でも変わりはないといえる。対して、近代の技術を活かし作られた様々な顔料をいかに表現として昇華していくのかというのが現代日本画の課題ではないだろうか。
 その大きく変わりつつある現代日本画の確かな息吹を、彼女の作品に感じた二日間だった。(太田夏希)

Web提出用完成


「TYPŒ」谷尚樹 2013年12月24日~2013年12月27日

展覧会「TYPŒ」が開催されます。
会場:アートギャラリーT+
会期:2013年12月24日(火)~2013年12月27日(金)
出展者:谷尚樹(人間総合科学研究科感性認知脳科学専攻修士1年)

作品というにはおおげさな、文字に関する他愛もない習作を、ほんの少し展示します。

T+review

文字とは人間の文明から切っても切り離せないものだ。文字を書くという行為は、人間として生きるという行為と密接に繋がっている。
特に印象に残った作品は、中央の壁に展示された外国人留学生が書いた文字をフォント化したという文字展示だった。パソコンでつくられた文字にしては人間的な温かみのある文字だと思ったのが第一印象だ。しかし、それが手で書かれた文字から起こされたものだと知ったとき不思議と納得してしまった。
手で書かれた文字からその人となりが分かる。という言葉があるように、文字はその人そのものを表すものだ。パソコン等の電子機器が発達した現代では、こうして画面に表示されてプリンターで出力されるフォントを選ぶという行為がひょっとするば手で文字を書くという行為と同じ意味を持つのではないだろうか。
そして、それはきっと文字として外に現れる言葉を誰もがその胸の中に持っているからかもしれない。(太田夏希)

eyecatch


「ぴかぴかしてる」 山越梓 2013年11月18日~2013年11月22日

展覧会「ぴかぴかしてる」が開催されます。
会場:アートギャラリーT+
会期:2013年11月18日(月)~2013年11月22日(金)
出展者:山越梓(構成専攻総合造形領域3年)

漠然とある事象にどうやって関係を結べるのか。

T+review

このタイトルを聞いてギャラリーの様子を見たとき、多くの人が「そのとおりだ」と思うのではないだろうか。ギャラリーの中では、天井からつるされた電球がランダムに点滅し、文字通り“ぴかぴかしてる”。壁には銀色のアルミシートや小さなペインティングがあり、床には砂が丸い形に敷かれている。電球が点滅すると、それらが照らされて“ぴかぴか”する。展覧会のタイトルが、ギャラリーの事象をそのまま説明しているようだ。しかし段々と、この直接的な描写に思えるタイトルが実は、ごく曖昧なものなのだと感じられてくる。
“ぴかぴかしてる”という言葉には主語が無い。我々は反射的にそれを3人称の、自分とは無関係に起こっている事象だと感じる―“寒い”“明るい”“ざわざわしている”のように―が、本当に“ぴかぴか”していることは私たちとは関係のないことだろうか。よく見ると、光っているのは電球はもちろん、アルミシートの反射やガラスへの映り込みも電球の点滅に伴って“ぴかぴか”しており、そして自分さえそれらの変化する光に照らされていることに気付く。自分以外のものだけではない、私たちも“ぴかぴかしてる”のだ。
 自分とは関係なく起きていると思った事象に、いつのまにか巻き込まれている曖昧さ。この曖昧さは、作者がこれまでテーマの一つにしてきた“記憶”にも関わってくるものであるように感じられる。“記憶”を思い起こす時、誰がどうしたのか?何が変わったのか?何がどんな様子だったのか?などのようにと、私たちは自問する。その過程で、無意識のうちに自分とその出来事の関係が設定され、事実と想像は入り混じって、主語が記憶の中で変わっていたり主体が不明確なまま記憶が残ったりする。この不明確さは、今回の展覧会で“ぴかぴかしてる”ものを説明するときに生まれる曖昧さと似てはいないだろうか。身の回りの出来事は私たちと無関係に起こっているのではない。私たちはそれを体験している・記憶しているという時点ですでに出来事に巻き込まれており―つまり、その出来事と自分との関係をはかっており―、その記憶の中で“ぴかぴかして”いるのである。(岡野恵未子)

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