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「浮遊するエモーション」 倉持いづみ 2015年5月11日~2015年5月15日

展覧会「浮遊するエモーション」が開催されます。
会場:アートギャラリーT+
会期:2015年5月11日(月)~2015年5月15日(金)
出展者:倉持いづみ(筑波大学芸術専門学群美術専攻日本画コース2年)

知りたくて、描きたくて。
消えないうちに、あせないうちに。

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青い揺らぎを感じるポスターには、彼女の秘めた心が表されているようだった。普段、無邪気に笑い活発な印象を受ける彼女の、見てはいけない面を見るかのような気持ちで展示に向かった。

入口を入ってすぐの壁に,彼女の率直な挨拶文があった。正直何より心を打たれた。描くことに意味があるのか、それで世界が変わるのか、ただの自己満足では・・・多くの不安の中で見つけた彼女の描くことの意味。それがこの展覧会では表現されているのだ。最初に目に入る「よこがお」と題された作者の横顔の作品は、口元がこわばり視線を強く横に向けている。使われた赤のインクは意志の強さを表しているのだろうか。銅版画独特の削りだされたような線の繊細な重なりは、彼女の迷いの跡にも見える。彼女自身は「混沌をほどいて整理するように、そして、つかみかけたイメージが消えないうちに、一つ一つ表現していきました」と語っている。他の作品を見渡すと、身の回りの友達、幼き日々の夢、藤、そして最後に大好きなエビといったものが、銅版画や岩絵の具と言った様々な方法で表現されていた。全て彼女の日常のものたちだ。小さなものが、感情を揺さぶる。彼女の迷いさえもそのまま刺激となり、彼女を攻撃する。しかし彼女は、その攻撃さえも受け止め、表現として生み出す事ができるのだ。

「浮遊する」という言葉は、空中でも水中でも成り立つことに気づく。ポスターに使われた青は、水を連想させた。彼女は溺れて沈んでいくのか、陸に足をつけるのか。しかし、彼女もわかっているのではないだろうか。「浮遊する」ということが、彼女の作品の魅力であるということに。答えをだすことが、陸に足をつけることが、決して正解ではないということに。「よこがお」が決して前を見ようとしないように―。( 古屋花子)

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「日に花に」依岡みどり 2014年6月23日~2014年6月27日

展覧会「日に花に」が開催されます。
会場:アートギャラリーT+
会期:2014年6月23(月)~2014年6月27日(金)
出展者:依岡みどり(筑波大学人間総合科学研究科博士前期課程芸術専攻洋画領域2年)

修了研究提出作品展です。

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本展示は展示者の修了研究提出作品展であり、非常に重みのある展示だった。ガラス越しの第一印象で日本画だと勘違いしてしまったことは、描かれた素材を見てすぐに分かった。展示者は油絵の具だけでなく、墨をはじめとする日本の伝統的な描画材を作品の中に取り入れていた。色彩も絹本を思わせるような薄茶で構成されている。その作品の構図もまた、古典的な日本絵画を彷彿させるようなものだと言っていいだろう。そして、瑞々しいと感じた。
 雨に恵まれ河川や海の多い島国日本は、水とともに文化が発展してきた。そのためか日本絵画において主として使われる媒体は水である。しかし、本展示で使用された媒体は油であった。本来、相反する物質であるはずの「油」から「水らしい」瑞々しさを感じてしまった。それは不思議な感覚だった。意標を突かれたと言っていいだろう。ここで、ギャラリーの扉を押すまで、ガラス越しに覗き込んだギャラリーの壁に展示されているのは日本画だと思っていたことを述べておこう。そんな私の先入観がその不思議な違和感を勝手につくりだしてしまったのかもしれない。油とは、水とは。くせのない、透き通るような自画像も展示者の強いこだわりを感じさせる。
 しかし、見る時間が経過するほど別の違和感を覚えてしまった。前述させていただいたように、彼女の作品は日本独自の古典的な構図や色彩を取り上げて描かれていたが、それが全て自身の中に取り入れきれていないというように思えた。
 日本画で真に重要なのは、空間である。あるようでない、有の無。それが日本画に最も求められる精神だ。その先にたどり着いた彼女の作品を見てみたいと思う。兎にも角にも良い刺激を与えてもらった。

展示用画像データ


「そらいろ」河崎優香 2014年6月2日~2014年6月6日

展覧会「そらいろ」が開催されます。
会場:アートギャラリーT+
会期:2014年6月2(月)~2014年6月6日(金)
出展者:河崎優香(筑波大学芸術専門学群構成専攻ビジュアルデザイン領域4年)

移り変わり続けるもの。ちょっと見上げて考えてみた。

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空が映っている。展示者にしか分からない、展示者の日常と地続きになったかけがえのない一枚に収まった一枚がそこにはあった。
 日付と共に撮影された写真を見て、日付自体を作品とし制作した日向温の作品に似たものを感じたのは私だけだろうか。大人になればなるほど、24時間は短くなる。意識しなければ時間というものはあっという間に過ぎ去ってしまう。今日という日に何があったのか、どんなことがあったのか。どんな人と出会い、どんな会話を交わしたのか。カメラを持ち、空を見上げた展示者は何を思っただろう。この空の向こうに、私たちの、展示者の、どんな日常があったのだろう。
 ただ、展示者の撮影した写真の日付が近いことは残念だ。長期的な視点で撮影した空を見たかったと感じてしまう。これは、撮影され展示された空が全て同じようなものに見えてしまったということもある。展示の趣旨としては変化の乏しい同時期の空を撮影した方が意図が伝わるのかもしれないが、「展示」ということを考えてみてほしい。
 しかし、そう思いながら過ぎた日付を見ても、その一日を私は思い出すことが出来なかった。こういう時、無性に幼い頃が懐かしくなるのは私だけだろうか。

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「うつろい」今実佐子 2014年5月19日~2014年5月23日

展覧会「うつろい」が開催されます。
会場:アートギャラリーT+
会期:2014年5月19(月)~2014年5月23日(金)
出展者:今実佐子(芸術専攻総合造形領域修士前期過程1年)

化粧品で描いた絵画を展示します

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女にとって「化粧」とは自分自身を作り上げるうえで切っても切り離せない、そんな深い関係を持つものだ。ガラス越しでは何を使って描かれているのかわからなかったが、何かとても女性的なものを感じた感覚は間違ってはいなかった。そう、この展示作品たちは展示者の化粧品で描かれていたのだから。
 ギャラリーの中には、淡い赤の画面で作られた作品が3点並んでいた。特に正面の壁いっぱいに展示された作品に圧倒された。「何を使用され描かれているのか」という情報もなく、初めて絵を目にしたときはパステルのような素材を使われているのかと思っていた。しかし、化粧品だと思い絵を見てみると以外にも豊かな特性に思わず舌を巻きそうになる。しっとりしたものからざらついたものまで。女性の顔を彩るための道具はなんと多彩な表情を持っているのだろう。
 自分の顔を映した鏡に向かい合いながら化粧品を手に、誰も知らない自分へと化けていく。化粧は日常の始まりを告げるスイッチで、終わりを告げるリセットだ。この「化粧品」というひとつの情報を通し、蓄積された日々の痕跡を見つめていると、この一枚の紙の向こうに鏡を見つめるひとりの女の姿が浮かび上がってくるようだ。展示者の何気ない日常の一部が切り取られ、いまこうしてここに在ること。化粧品は、女の顔と地続きになって観覧者に「彼女らしいもの」の面影を浮かび上がらせる。そこに、展示者がこの展示作品を「自画像」と位置付ける理由が見えてきた気がした。(太田夏希)

うつろい


「こどもたちのじかん/ Children’s hour」田郷美沙子 2014年4月7日~2014年4月11日

展覧会「こどもたちのじかん/ Children’s hour」が開催されます。
会場:アートギャラリーT+
会期:2014年4月7日(月)~2014年4月11日(金)
出展者:田郷美沙子(筑波大学芸術専門学群構成専攻総合造形領域3年)

絵を時間を含めて見せる映像と、絵を会話と含めて見せる映像をそれぞれ展示します。

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中央に椅子が並べられたギャラリーの正面の壁には、ある映像が流れていた。何でもない公園の風景だ。しかし、映像の中心で揺れるブランコに乗っているのは本物の「こども」ではない展示者によって描かれた「こども」だ。そして左手の壁を見れば、ブランコに乗っていた「こども」たちが壁に掛けられている。
「私は、外に影響される絵のあり方や、絵がそこにあることで変わる環境に興味を抱いて製作しています。」
 これは入口に添えられた展示者の言葉だ。絵とは、ただ描かれたものが独立して作品になるわけではない。その作品が展示される環境によって大きく変わることは、作品展示に関わるすべての人間が一度は考えなくてはならないことだろう。
思わずそう考えてしまったのは、ある映像作品が原因だ。映像として正面の壁に投影されていた、ブランコという馴染みの遊具に揺られる彼らには違和感を覚えてしまう。本来、笑顔や掛け声で溢れる公園の中で彼らは異様な静けさを放っているからだ。ギャラリーの壁に収まった彼らはどうだろう。先ほどとは打って変わり、静かな空間に置かれた彼らは何の違和感もなくこちらを見つめてくる。本展示は展示者がこれまでどのような意図をもって作品の「見え方」という作品展示の根本と関わってきたのかが垣間見ることが出来た展示だったといえるのかもしれない。(太田夏希)

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