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「明後日が今日」坪坂萌 2016年10月25日~10月28日

「明後日が今日」が開催されます。
会場:アートギャラリーT+
会期:2016年10月25日(火)~10月28日(金)
9:00~18:30
出展者:坪坂萌(人間総合科学研究科
芸術専攻洋画領域博士前期課程)

ドローイングの展示


T+review

 壁一面が、ほとんどがモノクロの、ところどころにわずかな色を添えたドローイングで埋め尽くされている。その大きさはクロッキー帳の1ページから模造紙大まで幅広く、数枚の写真も交えて、どことなく混沌とした空間を作り出していた。
 今回の展示を鑑賞しながら、自分がまるで作者の心象風景を覗いているかのような気分になった。断片的な少女たちの姿、どこかも分からない風景、白黒の空間…。ラフな描線と無造作な作品配置も相まって、整理の付かない不安定な様子であるという印象を受けた。黒く塗りつぶされた「明後日が今日」というタイトルも、差し迫った未来に対する恐れや不安感を表しているように感じ、作品を鑑賞しながら、複雑な感情の渦にのまれそうになった。
(戸田遥)

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「Shortcake Girls」武石早代 2016年10月17日~10月21日

「Shortcake Girls」が開催されます。
会場:アートギャラリーT+
会期:2016年10月17日(月)~10月21日(金)
出展者:武石早代(構成専攻VD領域4年)

ショートケーキがあれば、女の子はいつもしあわせ。


T+review

 壁一面に、ケーキを食べる女子達の笑顔が輝く。白いふわふわしたショートケーキは幸せの象徴のようで、生クリームの上にのった苺の鮮やかな赤が映える。『Shortcake Girls』は、女の子たちがショートケーキを素手でほおばる瞬間をとらえた写真を飾った展示作品だ。写真枚数は100枚を上回る。それだけの数のケーキを作者は調達したのかと無粋な事が頭をよぎりそうになるが、そんな思考をどこかへ追いやるほどの多幸感のあるパワーをこの写真たちは持ち合わせているようにも思える。実際、写真の中の笑顔を見渡すだけで、見ているこちらも言いようのない楽しさに包まれる。ケーキにはそんな力があるのか。
 作者のキャプションに「ケーキがあれば、いつだってしあわせ」とある。ケーキはたしかに幸せの象徴とも言えるかもしれない。誕生日を始めとした祝いの席、クリスマス、記念日などに食卓にケーキが乗ることは一般家庭においてもさほど珍しくない光景だろう。しかしケーキが幸せの象徴のように思われるのは、ケーキは特別な日に食べるものであると同時に、ケーキという食べ物自体に特別な価値があるように感じるからではないだろうか。ケーキは白米のようにいつも食卓にある類のものではない。多くの人が幼少期よりケーキに対して、「お祝いの日に特別に食べるもの」としてスペシャリティーの高いイメージを持ってきたのではないか。そんな植えつけられたような意識があるから「特別な日を祝うためにケーキを食べる」というより「ケーキを食べることは特別で嬉しいこと」として無意識に認識しており、だからケーキ自体が特別な食べ物に感じるのかもしれない。
 家庭になじみが深いのに何か特別なこの洋菓子が引き出す幸せな表情の数々。それを丁寧に映し出した写真から、ケーキの持つ幸福の力を感じた気がした。(山崎祥香)

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「ポップコーン」江崎可音、他 2016年10月3日~10月7日

「ポップコーン」が開催されます。
会場:アートギャラリーT+
会期:2016年10月3日(月)~10月7日(金)
出展者:江崎可音(総合造形領域3年)
梅澤知史(知識情報図書館学類4年)

何気ない日常をポップコーンが
埋め尽くすパフォーマンス。
毎日少しずつ様子が変わっていきます。


T+review

 ギャラリーはしょっぱい匂いに包まれていた。床一面に乱立したポップコーン。ところどころ容器が倒れて中がこぼれ落ちている。奥には山のようにポップコーンが盛られている。また、中央に設置されているテレビには映画『CASABLANCA』(1942年アメリカ制作のプロパガンダ映画)が上映されており、観覧者はコントローラーで自由に見ることができた。
 その空間に入ったとき、私たちはポップコーンに埋め尽くされる。はじめにポップコーンの匂いが嗅覚を刺激する。そして、ギャラリーに入った瞬間、ポップコーンの圧倒的な存在感を見て感じ取る。映画の音声は映画館にいるような感覚を呼び覚まし、一度は体験したことがあるだろう劇場で食べたポップコーンの味を思い出させる。もしかすると、直接食べた方もいるだろうか。また、奥のポップコーンの山からはポップコーンをわしづかみに取りたくなるような手触りも思い出す。作品を構成するすべてが人間の五感を刺激し、私たちはその空間から飛び出す感覚に支配されるのだ。
 作品からは堕落、大量消費、何かに没頭しているゆえの無意識を感じる。スナック菓子であることがそれを象徴的にあらわしているように思う。空間の異様さに驚きはするが、映画によってイメージが映画館に意識されるため、もしポップコーンの圧倒的な存在を強調したいのであれば映画はそれを弱めてしまったかもしれない。それでも、五感で感じるインスタレーション作品であったことはおもしろかった。(濱田洋亮)

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「宝島展」辻村梨紗、他 2016年9月26日~9月30日

「宝島展」が開催されます。
会場:アートギャラリーT+
会期:2016年9月26日(月)~9月30日(金)
出展者:辻村梨紗(洋画4年)
市川由佳(構成4年)
大井直人(デザイン4年)
勝部里菜(デザイン4年)

肉が食べたい4人組の、
ノリだけではじまった異色のグループ展


T+review

・小さい頃、丸まって身を固めているダンゴムシをわざと石で押し潰したことがあるんですが、その時の感覚を思い出します。カメは頭や手足を固い甲羅の中に引っ込めて自分の身を守るわけですが、カメの種類にもよりますけど、その気になれば甲羅を割ってカメを殺すぐらいの力は我々にはあるわけです。
・合わせ鏡にまつわる話というと、何番目に映る顔は自分の死に顔だとか、呪文を唱えると悪魔を召喚できるだとか、不吉なものが多いように思われます。鏡の中の空間が無限に奥へ伸びるに従い、だんだんと闇に飲まれていくのがやっぱり不気味なんでしょう。
・「某氏」だとか「何某」とかいう表現は、分かっているけどあえて明らかにしないだとか、本当の名前があるけど分からないから仮にこう呼ぶだとか、そんな感覚があるように思います。だからちょっとごまかされてるような、じれったいような、そんな感じがします。
・普通の町中の宝くじで一等賞が雑巾だったりしたら多分成り立たないんです。「ふざけているのか」と思われてしまうと思います。けどまじめに商売をやるわけではなく、相互理解の上で本当にふざけてやっているのであればだれも文句は言わないでしょう。けれどまじめとふざけの境界線は結構あいまいであるように思います。まじめにふざけるだとか、ふざけてまじめをやるだとか……。
(市川太也)

宝島展_③14


「|○ 」駒田六花 2016年9月12日~9月16日

「|○ 」が開催されます。
会場:アートギャラリーT+
会期:2016年9月12日(月)~9月16日(金)
出展者:駒田六花(デザイン専攻建築領域3年)


T+review

 あたり前なことですが、何に価値を見出すかというのは人によって変わってしまうものです。例えば英語で書かれた本を英語の読めない人に渡しても、その人にとってその本の価値は分かりません。本の中の文章を理解するための文法を知らないからです。このようなことは芸術作品においてもあるでしょう。作品の持つ色彩や形態、または歴史的な文脈性や作品に付随する物語性を「いい」と思えるような思考回路を頭の中に持ち合わせてないと、どうしても作品を理解するのが難しくなってしまいます。より多くの人に「いい」と感じてもらうためには、より普遍的な美術への価値観を刺激するような表現を探してゆかなければならないのかもしれません。
 …というようなことを考えさせられる展示でした。
(市川太也)

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