投稿

「ガキ」 陳泳勳 2013年4月8日~2013年4月12日

展覧会「ガキ」が開催されます。
会場:アートギャラリーT+
会期:2013年4月8日(月)~2013年4月12日(金)
   9:00~18:30(最終日は17:00まで)
出展者:陳泳勳(大学院芸術専攻プロダクトデザイン領域2年)

私は、台湾科技大学で、プロダクトデザインを専攻している大学院二年生です。日本の文化とデザインを体験するために、去年の九月から、筑波大学の交換留学生になって、日本に来ました。初めて習う言葉や文化、ルールの中で暮らしていると、幼稚園の頃を思い出します。この春、帰国するにあたり、展覧会「ガキ」にて、台湾で制作した作品を展示します。是非見に来てください。よろしくお願いします。

T+review

「日本で初めて触れる文化やルールによって、まるで自分が幼稚園生に戻ったような気分になった」と、あいさつ文で述べている作者の思いは、展覧会名である「ガキ」にも表れている。今回展示された作品は台湾で制作していたものが多いそうだが、異文化の地で自分が過ごしていくうちに、自分の、台湾で生まれた作品がこの地でどう受け止められるのだろうか、ということが見たいと感じたのではないだろうか。
ギャラリーの中央につりさげられている大きなポートレイトには、おそらく作者と思われる人物が写っている。口を引き結び、こちらに向かってすっと立っている男性の姿からは「どうですか?」という声が聞こえてきそうだ。

言葉や文化の違いはあれど、作者の思考は、作品を通して鑑賞者にちゃんと伝わってくる。
 実物または画像として展示されている作品たちは、どれも非常に隙がなく、丁寧なものだった。とても滑らかに削り出されたまな板。その優しい曲線とぴったり合うように作られたスプーンやフォーク、ナイフ。片手だけで、針先に保護キャップがはめられる注射針。その丁寧な作品たちからは、「こういうものを作りたい」というアイディアを作者が洗練させていった過程が感じ取れる。そして、その理想像と作者の造形力が無理することなくつり合って、完成度の高いモノが生まれている。

また、作品のアイディアからは優しさや遊び心が感じられ、作者は自身の体の動きや無意識の部分への想像力を駆使して生活しているのだろうな、という印象を受けた。(岡野恵未子)

gaki


「あいうえお」 花莉涵 2013年4月1日~2013年4月5日

展覧会「あいうえお」が開催されます。
会場:アートギャラリーT+
会期:2013年4月1日(月)~2013年4月5日(金)
   9:00~18:30(最終日は17:00まで)
出展者:花莉涵(芸術専攻ビジュアルデザイン領域)

「あいうえお」から、日本を巡る旅始めましょう!
花莉涵、台湾から来ました。
絵本とイラストレーションが大好きなビジュアルデザイン学生です。
いま日本語のレベルと絵はまだ子供みたいだからって、
皆さんに紹介したいです!
よろしく、お願いいたします:^)

T+review

日本人がはじめに教えられ、覚える日本語は「あいうえお」だ。そんなことに今回、この展覧会のタイトルを見てはっと気づいた。
 どこか懐かしさを覚える・・・そんな色とイラストたちに囲まれたギャラリー内はいつものギャラリーとは少し違う姿でわたしの目に飛び込んできた。ももいろの帽子を上げ、あおいろのスーツに身を包んで微笑む青年だろうか、彼に出迎えられたからか扉を押す気分はいつもとすでに違っていたのかもしれない。
 わたしたちが普段使い慣れてしまっているもの、それは日本語。
 服よりも、鉛筆よりも、なによりも近くにありすぎて、本当に見えなくなってしまっていた。だからこそ、ゆっくりと回っていったこのいつもとすこしだけ違うギャラリーの中でそのことに気づいてしまったのかもしれない。
 展示者は「子供みたいだから」と述べていたが、わたしたちのように使いすぎて手垢にまみれていない展示者の選んだ言葉の数々はきらきらとひとつひとつが確かな意味を持って輝いているようにも見えた。
 あいうえお、
 すべてのはじまりは、
 あいうえお。
 結局、わたしたちの操るこの言葉は「あいうえお」にはじまり「あいうえお」へ返っていくのだろう。(太田夏希)

20130401-あいうえお


「卒業式」 YUKA×kajumin(松添由夏、石田かずみ) 2013年3月25日~2013年3月29日

展覧会「卒業式」が開催されます。
会場:アートギャラリーT+
会期:2013年3月25日(月)~2013年3月29日(金)
   9:00~18:30(最終日は17:00まで)
出展者:YUKA×kajumin
    松添由夏(構成専攻ビジュアルデザイン領域4年)
    石田かずみ(構成専攻総合造形領域4年)

卒業する人、しない人、
みんなで祝おう卒業式!

アニメーション&インスタレーション

T+review

筑波大学で平成24年度の卒業式が行われた3月25日、T+ギャラリーで始まった展覧会。今年度の最後を飾ったその展覧会は、2人の卒業生による「卒業式」だ。
ギャラリーの中は、作者たちの世界観と遊び心が隅々にまで満ちていた。見る者の郷愁を誘うようなモチーフが随所にちりばめられている。例えば、ギャラリーの壁に沿って並ぶ机は、天板が木製で足が金属製の見慣れた机。小学校から大学に至るまで、教室にあるこの机に毎日のように座ってきた。その机にはめられた青いプラスチック製の引き出しには、小学校時代お世話になった人も多いだろう。ギャラリーの中央で流れているアニメーションに映っているのは、卒業式ではしゃぐセーラー服の女学生たち。これらは、作者だけでなく私たちが人生の節目で経験してきた数々の“卒業式”で別れを告げてきたモノたちだ。
このように、今までの“卒業式”が一度に押し寄せたような、それでいてなぜか統一感のある作者たちの世界が表現されている。
しかし、作者たちは単に自分たちの世界を表現しようとしているのだろうか。それだけではなく、“卒業”を観客と一緒に祝おうと、記憶に残そうとしているように感じられる。誰にでも親しみやすいモノを展示に使っていることに加え、入り口の先にある“受付”で卒業生はブローチを持って帰ることで、在校生は紙ふぶきを散らすことで展覧会に参加できるようになっているのだ。
受付のすぐ隣の壁には、作者たちからのこんな言葉が記されていた。

「そして今日は、その学び舎から旅立つ日。
 辛いとき支えとなった仲間たち、
 楽しさを分かち合った仲間たち。
 彼らと分かれ、新たな道へと
 あなたは旅立ちます。」

 大学の卒業式が、最後の「学び舎から旅立つ日」になる人も少なくないだろう。これまで育ってきた、小学校、中学校、高校、大学という学び舎。大学の卒業という節目に立つ作者たちが、それらのすべてを振り返り、愛おしんでいるような気持ちが感じられる展示だった。(岡野恵未子)

卒業式DMura400x270


「見たくない現実」 山口大空翔 2013年3月4日~2013年3月8日

展覧会「見たくない現実」が開催されます。
会場:アートギャラリーT+
会期:2013年3月4日(月)~2013年3月8日(金)
出展者:山口大空翔(構成専攻2年)

くだらないことを思いつきました。
少しだけ面白いと感じました。
でも、とてもくだらなくて笑えました。
おたのしみに

T+review
知らなくてよかったこと、知るべきだったこと。世の中はそのふたつで成り立っている。
 さてはて今回の展示はなんだろうと入り口のドアを押した瞬間、どきりとする音量のベルが鳴り響いた。驚いて左を見ればその音の主は目覚まし時計だった。
 今朝、見たくなかったもの。それは8時25分を指した目覚まし時計。
 う、うそでしょと思わず言葉を飲み込んだ・・・のが、つい数時間前のおはなしである。瞬時にそれを思い出し、そして扉を閉じて静まり返った目覚まし時計を見下ろしてぞわっとした。どれもこれも、自分が自ら見ようとしなければ見えないものたちである。しかし人間は天の邪鬼なもので僅かに見えないと逆に興味をそそられわざわざ見ようとしてしまう。それがどれほど危険な行為なのか知っているのにも関わらず。おかしなおはなしだ。だが、時には「そういうこと」を知っていかなければならないときもある。
その「知るべきこと」と「知らなくてよかったこと」を少しずつ経験してわたしたちはここまできたのだろう。 (太田夏希)


「garbage dump」 安酸利倫 2013年2月27日~2013年3月1日

展覧会「garbage dump」が開催されます。
会場:アートギャラリーT+
会期:2013年2月27日(水)~2013年3月1日(金)
出展者:安酸利倫(美術専攻洋画コース2年)

最初の二十年間、その残留。

T+review

脚立やロープ、大量のごみ袋などによって、まるでよくある荷物置き場のように演出されたT+ギャラリー。意外と違和感を覚えないのは、ここはT+ギャラリーとなる前、実際に荷物置き場のように使われていた場所だからだろうか。

さて、「garbage dump」という攻撃的な展示名通り、ギャラリーの中には膨らんだゴミ袋がうず高く積まれている。中身は新聞紙が入っているようだが、よく見てみると、ちらほらと作者の描いたドローイングが入っていることに気付く。この展示で、作者は自分の過去の制作物を捨てている。
作者が自分の過去を捨てようとした目的はなんだったのだろうか。過去との自分と決別し、制作に新たな姿勢で向かおうという意思か。

過去に描いたドローイングを「捨てて」いる作者。しかし段々と、作者のしている行為がそれだけではないことが分かってくる。袋の中のドローイングは画面が良く見えるように向きや位置などが考えられて配置されており、意図的なものが感じられる。ただ単に捨てているようには思えない。つまり、作者は自分のドローイングを「捨てて」いることを、観客に「見せて」いるのだ。そのような「結果的にドローイングを見せている」という作者の意思があるにしろ無いにしろ、ギャラリーという場所で行っている以上、そこにあるものが「見せられている」ものであることはどうしても拭えないのだ。(岡野恵未子)

2.27-garbage dump