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「伝播(ん)」 安田泰弘 2103年11月11日~2013年11月15日

展覧会「伝播(ん)」が開催されます。
会場:アートギャラリーT+
会期:2013年11月11日(月)~2013年11月15日(金)
出展者:安田 泰弘(構成専攻2年)

水を使ったインスタレーション作品です。

T+review

 見慣れたギャラリーに黒いマイクが一本立っているのが見えた。近づいて中の様子を見てみると、マイクの前には白い小さな5つのボードが並べて置いてあるのがわかった。指示に従って備え置かれている白い砂を適当にいくつかのボードの上に振り掛け、マイクに向かって発声してみる。音を吹き込むと、順番に数段階の音階に変換されてボードに伝わり、振動して、それに伴い砂が動き、波のように不規則な模様を描いては滑り落ちていく。小さなギャラリーを無機質な音が満たして反響する。やがてそれは鳴りやんで、心地よい残響が耳に残るのみだ。どこか海鳴りを思わせるそれは自然と昔のことを思い出させる。
 この展示のタイトルの一部でもある「伝播(でんぱ)」という言葉は、物事が伝わり広まること、また波動が媒質の中を広がっていくことを意味する。慣用読みとして「でんぱん」と読まれることも多い。この読みの代用表記が「伝搬」とのことらしいが、これらの境界線は非常に曖昧なものだ。
 しかしここで私たちを取り巻く社会にもはっきりとした境界線をもつものはほとんどないのだと気づく。一寸先は闇、打ったボールは返ってくるどころか壁に当たっているのかすら分からないことも多い。されどここで確実に返ってくるものと言えば自分自身に対する問いや思いであろう。年齢や経験を重ねることによって、遠い昔に投げかけたこれらは時に思いがけない形で返ってくる。このプロセスは、今回の展示によく似ている。(山崎玲香)

伝播(ん)


「逃亡」 和田彩 2013年10月15日~2013年10月18日

展覧会「逃亡」が開催されます。
会場:アートギャラリーT+
会期:2013年10月15日(火)~2013年10月18日(金)
出展者:和田彩(芸術専攻ヴィジュアルデザイン領域博士前期課程1年)

イラストレーション作品の展示

T+review

「逃亡」という展覧会タイトルをつけられた作品たちは、黒一色でシンプルにまとめられたイラストレーションである。インクを使った濃い黒のやわらかな線が特徴的だ。作品は人間の頭部のような形が描かれているものの、どれも顔のパーツが描かれていない。顔の複雑な要素が取り除かれたことで線そのものの美しさや体のラインがストレートに伝わってくる。「書道のようなイメージで自分が納得した線を描いています」と作者は言う。描かれているモチーフから離れて線だけに目を向けてみると、ゆるやかに伸びたラインは見ていて心地良い気分にさせてくれる。また、具体的な要素が少ないことで見る者は幅広くイメージを膨らませることができる。こうした鑑賞の自由度の高さも彼女の作品の魅力のひとつと言えるだろう。
 ギャラリーに入ってまず目につくのは、顔の輪郭が曖昧でブレたような表現がされている作品だ。「ブレる」という動きはある時点を描いた一コマから少しだけ前後の時間に幅を持たせた表現である。それは一所に定まらない不安定さを生み出し、今ある実体から逃げているような感覚をもたらす。反対に、もう一方の壁に並んだ5つの作品は、まるで交差点ですれ違った人の一瞬を捉えたかのような、静止した時間を感じさせる。彼女が捉えた「瞬間」は私たちがどこかで見たことがあるような場面をもう一度頭のなかに再生させる。
 この展覧会の題名「逃亡」は、現実逃避のそれとは違う。批判されがちなその行動は、逃亡の先に輝かしい未来があるとすれば自らを成功へと導くひとつの過程にすぎないのだ。彼女の描いた逃亡は、その一コマを切り出したものなのかもしれない。(高橋和佳奈)

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「うんこ展」 蓑拓真、大図岳、出水田紘子 2013年9月16日~2013年9月20日

展覧会「うんこ展」が開催されます。
会場:アートギャラリーT+
会期:2013年9月16日(月)~2013年9月20日(金)
出展者:蓑拓真(構成専攻総合造形領域3年)
    大図岳(総合造形領域3年)
    出水田紘子(構成専攻ビジュアルデザイン領域3年)

うんこに魅せられた3人によるグループ展です。

T+review

展覧会のタイトルから、まさかまさかと内容を想像しながら展示をのぞいてみると、そのまさかだった。この展示は3人によるグループ展で、彼らの作品はそれぞれ“あれ”を表現している(察しているかとは思うが、タイトルに表われている“それ”である)。トイレで用を足すハムスターのアニメーションや、“あれ”の形のコントローラーで遊ぶゲームなど。
実はこの展示を見た後、かなり戸惑った。展示を楽しんだ自分がいる反面、心に何かが引っ掛かっている。これは、ただの遊びではないか?軽い気持ちで展示しているのではないか?というような疑問がどうしても湧いてくるのである。正直「もっと“カタい”展示をしたほうが良いのじゃないかな」とさえ思ってしまった。同じような引っ掛かりをおぼえた方もいるのではないだろうか?しかし、よく考えるとこの感覚はとても奇妙なものである。
「“カタい”展示」などという絶対的なものがあるだろうか?作品や展示が“カタい”かどうかは、自分の勝手な基準に頼らざるを得ない。だから、この展示にネガティブな思いを抱いたとしても、「“軽い”から」という理由は説得力をもたないであろう。
 それをふまえて展示を思い返してみると、展示や作品のコンセプトがどうとか、そのような背景から離れて、作者らが純粋に楽しんで制作したということが感じられてくる。テーマはある意味軽いものかもしれないが、それを思い思いに、自分の興味のある形で表現することを楽しんでいた。「作ってみたい、やってみようよ」という思いを実際に形にして、それぞれがそれぞれの手法でやりきった、という瞬発力や実行力を感じられる展示だった。(岡野恵未子)

20130917-うんこ展


「ろうかのゆうれい」 高橋香緒理 2013年9月9日~2013年9月13日

展覧会「ろうかのゆうれい」が開催されます。
会場:アートギャラリーT+
会期:2013年9月9日(月)~2013年9月13日(金)
出展者:高橋香緒理(芸術専攻ビジュアルデザイン領域修士過程1年)

「いると おもえば いる
 いないと おもえば いない」

絵本の展示です。

T+review

一見、絵本の原画展のように見える「ろうかのゆうれい」。しかしこの展示では、“絵本を読む”という行為にごく近い体験をすることができるのだ。
 ギャラリーの中は、絵本のテキストと原画が飛び出して、壁に張り付いてしまったかのようだ。原画は真っ直ぐに並んでいるのではなく、上へ下へとずらして配置され、テキストはその動きに合わせて原画の周りの壁に直接書きつけられている。楽しげにばらばらと配置された原画は、それによってギャラリー全体の空間を使っているかのような効果が生んでいる。ゆえに鑑賞者は絵本の世界に包まれていると感じるだろう。
 しかし、「体験」と先述したのはこれだけが理由ではない。絵本のストーリーはギャラリーの入り口付近の壁から始まって、その対角線上の壁へと進んでいる。絵本の中では、暗闇を怖がる女の子がぬいぐるみと一緒にトイレを目指してそろりそろりと廊下を進んでいく。鑑賞者も、それを読みながらそろりそろりと歩きながら作品を鑑賞する。文字通り、歩きながら絵本を“読み進めて”いるのだ。
 絵本はもともと、“ページをめくる”という身体的な行為があって初めてストーリーが進むものである。今回の展示では、その“ページをめくる”という行為が“歩く”という行為に置きかわり、より動きを持って“読み進める”ことができるものになっていた。まさに、絵本のストーリーを体験できるものだったのだ。(岡野恵未子)

20130909-ろうかのゆうれい


「空の呼びかけ|empty calling」 高橋大地 2013年8月25日~2013年8月30日

展覧会「空の呼びかけ|empty calling」が開催されます。
会場:アートギャラリーT+
会期:2013年8月25日(日)~2013年8月30日(金)
   ※オープンキャンパスのため8月25日(日)から開館
出展者:高橋大地(構成専攻総合造形領域4年)

身のまわりの誰か、あるいは遠く離れた誰でもないだれかに対して、どう自らを開くことができるのか。そんなことに関心があります。

T+review

「今、見えているもの」と「今、見えていないもの」に同時に向き合うこと。それがこの展覧会で鑑賞者がしなければいけないことだ。しかも、その「見えているもの」と「見えていないもの」は鑑賞者の目の前でくるくると切り替わる。
 《思考のプラットフォーム》は、鏡の表面にラッカー塗料がボーダー状に塗られている作品だ。鏡に映る像を見ようとすると、どうしても表面のボーダーが邪魔をする。それゆえ、映りこんでいるものに集中しようとするとボーダーを「無視」しなければいけないのだ。逆に表面のボーダー模様に意識を向けると、鏡に映りこんでいるものは目に入ってこなくなり、鏡という素材(モノ)とその上に塗られた塗料とが見えてくる。鏡に映りこんでいる像と、鏡というモノは、もちろん同時に存在しているものだが、同時に見ること―つまり両者に同じだけ意識を向けること―はできない。モノだと意識できる部分を無視して映りこんでいる像を「見る」か、映っているものを無視してモノとしての鏡を「見る」か、どちらかに集中せざるを得ないのである。《無題(イマージュ)》も同様に、光沢のある黒い画面に映りこんでいる像とそれが映っている画面の素材とを切り替えて見なければいけない。
《the Books》もまた、「見る」ことを切り替えることが必要とされる作品だ。まるで透明な本棚の上に並べられているかのように、底部をそろえて宙に固定された本たち。この作品で、見えない本棚を意識しているときは本というモノの存在感は薄い。重力を感じない。一方、本というモノに注目しているとき、見えない本棚は“見えない”のである。
見方を二通り使わなければいけないこの作品たちとは、必然的にゆっくりと向き合う時間が生まれる。同時に存在しているものなのに、一度に観られない。そんなもどかしさと不思議さが、鑑賞者を包む。静かで緊張した空間の中で、何かを見るときに私たちはいったい何を見ているのだろうかということをじわじわと感じた。(岡野恵未子)

20130825-空の呼びかけ|empty calling