「平和な森の日常展」大橋あずみ2023年12月4日(月)~12月8日(金)
「平和な森の日常展」が開催されます。
会場:アートギャラリーT+
会期:12月4日(月)~12月8日(金)
出展者:大橋あずみ 芸術専門学群 2年
森のどこかで平和にのんびり暮らす仲間たちの日常の作品を展示します。
「平和な森の日常展」が開催されます。
会場:アートギャラリーT+
会期:12月4日(月)~12月8日(金)
出展者:大橋あずみ 芸術専門学群 2年
森のどこかで平和にのんびり暮らす仲間たちの日常の作品を展示します。
2024年1月のギャラリー利用者が決定したのでお知らせします。
・B週【1月15日(月)~1月19日(金)】小川晃平「Globe」
・C週【1月22日(月)~1月26日(金)】尾坂拓郎「やじるしまみれ」
・D週【1月29日(月)~1月31日(水)】大江愛佳「ゆめゆめ・」
「音で遊ぶ展」が開催されます。
会場:アートギャラリーT+
会期:11月20日(月)~11月24日(金)
出展者:筑波大学大学院人間総合科学研究群デザイン学学位プログラム修士1年 岡島紫穂
目を閉じて、さあゲームを始めよう!
音だけで遊ぶことができるミニゲームを集めました。
どんな体験ができるのか、ぜひ遊びに来てください。
2023年1月のギャラリー利用者を募集します。
利用申し込みの締め切りは11月25日12:00とします。
同じ週に利用希望者が重なった場合は、スタッフの方で厳正な抽選のもと決定いたします。
また申請の無い週が出た場合はトップページで再度利用者を募ります。
【利用可能期間・時間】
1月8日〜1月31日 9:00〜17:00
【特別条件】
・搬入搬出を含めて、該当週の利用可能時間を厳守して行なってください。
利用規約に同意の上、以下の必要事項を記入し【t.tasu.webstaff@gmail.com】まで送信してください。
※同アドレスでご質問等もお受けしております。
必要事項
※「(申請者名)1月展示希望」という件名でお送り下さい(括弧の中に申請者の名前を明記するようお願いいたします)。
1) 利用を希望する週を以下の週から第一希望から第三希望まで選択。・・・記入例)第一希望A週、第二希望B週、第三希望C週
・B週【1月15日(月)~1月19日(金)】
・C週【1月22日(月)~1月26日(金)】
・D週【1月29日(月)~1月31日(水)】※~1月4日(木):冬季一斉休業
1月12日(金)~1月14日(日):大学入学共通テスト
A週【1月8日(月)~1月11日(木)】ペンキ塗り替えのため利用不可特別な事情がない限り土曜日は原則使用禁止、搬出は最終日となっております。
※この他学内事情などによりギャラリーを使用できない日が判明次第、随時変更していく可能性があります。ご了承お願い致します。2) 申請者の名前、所属、学年、連絡先(アドレス・電話番号 ※携帯等直ぐに連絡がつくもの)
3) 申請者以外の展示者名、所属、学年
4) 展覧会名
5) 展覧会概要(WEBの告知の際に使用します。何を展示するのか、関連するイベントや授業について教えてください。)
「’Shikohin’ and the arts」が開催されます。
会場:アートギャラリーT+
会期:11月13日(月)~11月17日(金)
出展者:大学院人間総合科学研究群博士後期課程芸術学学位プログラム1年 Eliis Laul
「嗜好品」は森鴎外が1912年に初めて使ったとされる言葉で、私たちが日々の楽しみのために摂取するものを、「生活必需品」であると同時に体にとっては「毒物」でもあると表現したものである。通常、コーヒー、お茶、お酒、タバコなどを指す「嗜好品」は、栄養価のためではなく、純粋な喜びや感覚の高揚のために消費される。それは広い意味における芸術と同じように、「嗜好品」もまた、それ自体が目的であったり有益であったりすることはなく、ただ存分に味わうものである。思想家の内田樹が述べるように、それは日常生活から別の見方や在り方へとわれわれの現実を高め、シフトさせるものである(Dig the Tea. 2022.06.23)。それは、新しい思考や出会いのためのスペースを作る方法であり、意図的に一時停止することである。私たちの行動や決断のひとつひとつがその有用性や利益に基づいて厳密に評価されているように見える今日、私たちは、非合理的であったり本質的でないと思われるようなことを軽視しがちである。「嗜好品」の考え方は、それとは正反対である。その本質において「非本質的」なものの必要性を私たちに思い出させようとするのだ。素晴らしい芸術は、コーヒー休憩のように、私たちが楽しむのに必ずしも有用である必要はない。実のところ、私たちの活動や「必需品」のほとんどは私たちにとってまったく必要のないものなのだが、それでもなぜかそれらをとても必要としていると主張する。結局のところ、私たちが楽しんだり驚嘆したりするものが何も残らないとしたら、人生の価値とは一体何だろうか?そうして、どんな芸術作品でも、美味しく淹れられたコーヒーでさえも、その本当の素晴らしさはその背景を構成する言葉にあるのではなく、「私たちはそれを用いて実用的なことはまったくできない」という事実にあるのだ。私たちはただ耳を傾け、観察するのみである。言い換えれば、「何もせずに」ただ驚嘆するための時間を取るだけである。ここには、新しい何かを発見するためのこれまで忘れられていたチャンスがある。問題は、芸術のために、少なくとも一度は、そのような自由がもう一度許されるような時間と空間をどうやって取り戻すかということである。(展示者様からいただいた和訳での掲載です。)
