「Pit Pit」 尾崎拓磨 2013年5月27日~2013年5月31日

展覧会「Pit Pit」が開催されます。
会場:アートギャラリーT+
会期:2013年5月27日(月)~2013年5月31日(金)
出展者:尾崎拓磨 (構成専攻構成領域3年)

画材屋さんで材料を買ってこなくても、身の回りのちょっとしたものからでも作品はうまれます。今回は付箋紙で作品をつくりました。

T+review

色彩の世界がそこに広がっていた。
 決して特別なことはしていたわけではない。だが、ギャラリーの一面に展示された作品からは噎せ返る程の色彩が溢れている。見慣れた文房具である付箋が、色彩に着目し表現という要素が加わっただけでこうも生き生きと色彩を放つのかと目を疑ってしまった。色彩とは不思議な、だが、視力を持つ者にはかげがえのないものだ。
 わたしたちの暮らす世界には色彩が溢れている。それは太陽の光の恵みであると同時に、生命そのものである。
 日常にある些細な色彩に目を向けること、そしてそれを十分に輝かせることは、それはひょっとすると『生きる』という行為に最も近い作業なのかもしれない。     (太田夏希)

Pit Pit


「絵だ。」 大脇聡史 2013年5月20日~5月24日

展覧会「絵だ。」が開催されます。
会場:アートギャラリーT+
会期:2013年5月20日(月)~2013年5月24日(金)
出展者:大脇聡史(美術専攻洋画コース3年)

絵だ、えだ、枝、絵だ、枝の絵だ。

既成のキャンバスを用いずに枝で絵を描くとどうなるか、やってみました。

T+review

絵だ。木の枝で描かれた絵だ。
その展示タイトルに含まれた遊びに気がついたとき、誰もがくすっと笑ってしてしまうだろう。ギャラリーに並ぶのは何本もの木の枝を組み合わせて作り出された作品である。それらは人工的に着色された枝と自然の木の皮の枝の2つで構成されている。
「既成のキャンバスを用いずに枝で絵を描くとどうなるか、やってみました」という作者の言葉通り、作品はとても実験的であるように感じる。自然と人工の織りなすその構造体は見る人によって違った印象を与えるかもしれない。感覚的に形成された作品の荒々しさとその爆発的な造型表現からは作者の挑戦的な姿勢が伺える。中でもひときわ目立つのは、ギャラリー正面の壁に展示されている「日本」である。赤色に塗られた木の枝はいくつにも重なり合って円を描いている。それは横長の白い壁面の真ん中にどっしりと構えている。作者は白い壁さえもキャンバスに変えてしまったのだ。
一方で、ギャラリーの床には砂場が作られている。その横には木の枝が用意され、キャプションには「ご自由にお描き下さい」の文字。展示を見に来た人たちが気の向くままに砂浜に絵を描くように落書きをしている。非常に茶目っ気のあるおまけである。作者はきっと少年のような遊び心を持った人物なのだろう。そして躍動するエネルギーに溢れる作品たち。彼の中のユーモアとセンスが、彼の手によって芸術表現に転化した例証が、ここにはある。(高橋和佳奈)

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「wako」 武田萌恵子、藤原さや 2013年5月13日~5月17日

展覧会「wako」が開催されます。
会場:アートギャラリーT+
会期:2013年5月13日(月)~2013年5月17日(金)
出展者:武田萌恵子(構成専攻クラフト領域3年)
藤原さや(構成専攻ビジュアルデザイン領域3年)

漆とイラストレーションの二人展。
「流れと蓄積、木理と時間」、「女の子と植物、ペンと曲線」をそれぞれのテーマとし、思い思いに制作しました。
ぜひお越しください!

T+review

はたして、これは二人展なのだろうか。
「木とイラスト」という展覧会名の副題から、二人がそれぞれに作品を出展しているのだろうとギャラリーに入ると、その予想は間違ってはいないが正確ではないと感じた。なぜなら二人の作品から、ギャラリーという一つの空間の中を住み分けているのではなく、空間を共有しているという印象を受けたからである。ギャラリーでは二人の作品が入り混じって配置されている。また、キャプションが設置されていないため作品達が一つ一つ独立しているような印象は受けず、それゆえ互いの作品の関係性は曖昧だ。互いを説明し合っているような関係でもなく、また、同じテーマを違った表現方法で見せているような比較の関係でもない。まるで二人で一つのインスタレーションをしているように感じた。

木の形の大部分を残したり、特別な装飾をしなかったりと、一見できる限り表情を抑えたように見える、武田の木工作品。しかしその分、木そのものの豊かな表情が感じられ、鑑賞者に静かに語りかけてくるようだ。
そして、藤原のイラストレーションは、緩やかにうねる曲線が集まり面を作り、日本風の女性を形作っているというもの。余白と面の境界線は曖昧で、流動的でじわじわと広がっていくようなイラストレーションである。細かい線の集まりは何かを説明しているように見えるが、その意味よりも形態が生む空間や動きに注目させられる。
 簡潔に見えて雄弁な木工作品と、多くを語っているように見えて純粋に造形をしているイラスト。二人の作品は互いにバランスを取っているゆえ、ギャラリーの空間の統一感が生まれているのではないか。その作品たちは、それぞれの作品が独立した役割を持っているのではなく、全体で一つの空間を効果的に作っているのだ。(岡野恵未子)

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「しあわせもよう~日本画4人展~」 勅使河原香苗、平良希望、富澤笑、石井さつき

展覧会「しあわせもよう~日本画4人展~」が開催されます。
会場:アートギャラリーT+
会期:2013年5月7日(火)~2013年5月10日(金)
出展者:勅使河原香苗(筑波大学院博士前期課程芸術専攻日本画領域1年)
     平良希望(筑波大学院博士前期課程芸術専攻日本画領域1年)
     富澤笑(筑波大学院芸術専攻日本画領域研究生)
     石井さつき(筑波大学美術専攻日本画領域2013年度卒業生)

あなたが普段幸せを感じるのはどんな時ですか?幸せというのはどうやら一様ではなく、一人一人違う様です。私達は同じ日本画で同じ「幸せ」をテーマに描いたのですが…そんな4人のしあわせもよう

T+review

4人の作者が、それぞれに「しあわせ」を表現した今回の展覧会。作品たちを見てみると、それぞれに独自のモチーフが使われて「しあわせ」を表現している。しかし、それらは可愛らしさであったり、懐かしさであったり、柔らかさであったりと、なんとなく同じような方向に行きついているように感じるのはどうしてなのだろうか。「しあわせ」を表現すると、この方向性は避けられないのだろうか。

いや、もっとたくさんの「しあわせ」の表現があるはずである。

「しあわせ」の方向性が似ているのは、「『しあわせ』を表現する」ことが「『しあわせ』が伝わるように表現する」ことになりがちだからではないだろうか。つまり、しあわせな出来事や記憶などの、「しあわせの結果を表現している」のではないか。
手あかにまみれた言い回しだが、「しあわせ」に行きつくまでには、困難や苦悩がもちろんあるだろう。「しあわせ」を表現する行為には、このような「しあわせの過程」を表現するという形もあるはずである。それが「しあわせ」な雰囲気をまとっていなかったとしても。

「しあわせ」な雰囲気を表現する、「しあわせ」なイメージを表現する。このような形になってしまうのは、個々人に基づく過程よりも、結果としての「しあわせのイメージ」のほうが、だれとでも共有しやすいと無意識に感じているからかもしれない。

今回の展覧会で、「しあわせ」というものを表現する難しさを、改めて感じた。
それは、「絆」「愛」を表現する難しさにも似ている。ついつい、過程を表現するよりも結果を表現しがちになり、結果、個々の存在感が薄れてしまうような気がするのだ。(岡野恵未子)

T+用


「のら」 本江七緒 2013年4月30日~2013年5月2日

展覧会「のら」が開催されます。
会場:アートギャラリーT+
会期:2013年4月30日(火)~2013年5月2日(木)
出展者:本江七緒(博士前期過程芸術専攻彫塑領域2年)

植物の絵と木彫のマグロを展示する予定です。3日間ですが、お越し頂けたら幸いです!よろしくお願いします!

T+review

繊細であるようで、ざっくばらんな光景がそこに広がっていた。
 精密に描かれた? いや、その境界線も曖昧な、それでいてどこか不思議な絵とぼんと唐突に表れたマグロに視線を奪われ、思わずやられたと感じた。
 この花、この木、この建物を・・・それらを一度目にしたことがあるような、ないような・・・記憶を辿るのだけれど明確に思い出せない。不思議。不思議。としか言いようがないのはもうお手上げだ。
 しかしこのマグロ、生きていたことがあるのだろうか。不思議な絵に囲まれたなか異様なまでの存在感を放つそれはどうぞ切ってくれと言わんばかりの眼差しで、しかし、目を合わせてくれない。展示者の執着心でもあるような眼差しがリアルに感じられる場所と、ふっと気を抜いたような空気が同居する作品たちやその展示空間にふと不安を覚えてしまった。だが不安定ななかにも確かにヒトがつくったという温かみが残っていた。それを感じたとき、何故か「みんなちがって、みんないい」という懐かしい詩を思い出した。
 この不思議な空間に同居する作品たちはみんなちがう。そうありながらなにかひとつの、なんと表現したらいいのかわからないが、おおきな流れのなかに、それは展示者という媒体なのだろうか、そういうなかに在るのだと、そう感じた。(太田夏希)

のら