「歩いてかえる」 山越梓 2012年12月10日(月)~2012年12月14日(金)

展覧会「歩いてかえる」が開催されます。
会場:アートギャラリーT+
会期:2012年12月10日(月)~2012年12月14日(金)
出展者:山越梓(構成専攻2年)

学校から家まで、歩いてかえる。
その途中で知っている人に会うかもしれないし、誰とも会わないかもしれない。
どちらにせよ、かえったらあったかいご飯が食べたいです。

Twitter :@aruite_kaeru

T+review

黒い暗幕に覆われたギャラリーに入ると、ザッザッと歩く足音が聞こえてきた。正面の壁には道路の写真が移り変わる映像が写しだされている。ギャラリー入り口のキャプションからは、作者が筑波大学から群馬にある自宅まで歩いて帰った様子を作品にしていると分かる。その距離は112km、かかった時間は23時間半(休憩含まず)とある。
薄暗いギャラリーにプロジェクターで映し出されているのは、家への帰路で通った昼間の裏路地や車が走る夜の道路の写真だ。映像を眺めながら、私はふと小学校のころの登下校を思い出した。どこか懐かしい気持ちになる。同時に流されている音声には足音以外にも様々な音が記録されていた。道路を走る車の音。スーパーの店内の音楽。学校のチャイム。電車の走る音と共に踏切の警報音が響く。時折、出会った人との会話が聞こえてくる。相手は言葉がなまっていて作者は何度も聞き返している。
ギャラリー壁面のパネルには縦書きの長い文章。家に歩いて帰るまでのエピソードがつづられている。
鑑賞者は左から右へと少しずつ移動しながらそれを読む。ここから彼女の家まで歩くのはどれほど大変だっただろうかと想像しながら私もそれを読み進める。

作者はなぜ歩くのか
歩くことで景色はゆっくりと流れ、普段気にしないことにも気付いたりする。
知らない場所の知らない人とつながったりする。
そういった偶然の出会いを彼女は楽しんでいるように感じる。
文章の中の光景が作者の見知った土地にさしかかるところで、私はなんとも言えない安心感を得た。
ずっと歩いてきた道の光景が自分の中の記憶と一致したとき、彼女はおぼろげな追憶をたどる。
幼い頃に通った教会、歯医者さんの看板、通学路― 
あの頃、あの場所で出会ったものや人を懐かしみながら歩く。

追憶 ― ノスタルジア
過ぎ去った時間に思いをはせる。幼い頃の記憶はどこか曖昧なものではあるけど、それが自分をほんのり甘く幸せな気持ちにしてくれることは間違いない。きっと彼女は忘れかけていた何かを拾い上げるように、一歩ずつ今を生きる自分の家へと旅路を進めたのだ。(高橋和佳奈)

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「未定」西脇慶 2012年12月3日~2012年12月7日

展覧会「未定」が開催されます。
会場:アートギャラリーT+
会期:2012年12月3日(月)~2012年12月7日(金)
出展者:西脇慶(構成専攻総合造形領域3年)


「まっかだな」 田中あかり 2012年11月19日~2012年11月22日

展覧会「まっかだな」が開催されます。
会場:アートギャラリーT+
会期:2012年11月19日(月)~2012年11月22日(木)
出展者:田中あかり(美術専攻洋画コース2年)

「秋のおわりに
まっかな秋の
まっかな恋を
あつめてみたり
おもってみたり
ちらしてみたり
ないてみたり
わらってみたり ね」

T+review

「まっかな秋の/まっかな恋を/あつめてみたり」した展覧会。恋人や、恋愛感情をテーマにした小さな作品達がギャラリーの壁をぐるりと囲んでいる。恋愛とはごくごく個人的で、主観的な感情だが、それが作品のテーマになると、その主観的な感情は「共有」されうるものになるということに気が付いた。

今回の展覧会で特にそれを感じたのは、ギャラリーの中心で起きていた現象だ。ギャラリーの中心では、天井から紐が吊り下げられており、手のひらほどのハート形の色画用紙がたくさん留められていた。そのすぐ下の展示台と床には、同じハート形の画用紙が散らばっている。そのたくさんのハート形には、何枚か言葉がつづられているものがある。鑑賞者が、自由に言葉を書くことができる。特に書く内容は指定されていないが、展覧会のテーマの影響か、恋愛に関係する言葉が圧倒的に多い。それは、(おそらく)意中の人に対する想いであったり、恋の幸せであったり、切なさであったり。ちょっと照れてしまうような、しかし読んでいるとなんだか心温まるような、素直な言葉が鑑賞者の手によって記されているのだ。

この言葉たちは、誰に読んでほしくて書かれたものなのだろうか。書かれたときは、特定の誰かを思って書かれたものが多いだろうが、その特定の誰かだけが読んでくれるものだとは言えない。ギャラリーに展示されている以上、不特定多数の人間が目を通すことは避けられないからだ。しかも、自分の名前が書かれていない画用紙は、ことばの受け手だけでなく、発信者も特定できない存在にする。
匿名であるから、そして誰でも見れる状態にあるから、つづられた言葉は書き手のもとを離れて、独立していく。そして、そのように主を離れた言葉たちは、純粋にその「想い」だけのものになり、作品の一部として他の鑑賞者と「共有」できるものになっていくのだ。

 作者の作品達もそのような役割を持っているだろう。恋愛という、極めて個人的な感情の動きのテーマは、作品となることで「共有」できるものとなる。発信者も受け手も不特定になったそれを見る鑑賞者は、自身とその作品とを照らし合わせ、共感したり自分の気持ちに確信を持ったりするのだ。(岡野恵未子)

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「かくかくしかじか」 大島玲子 2012年11月12日~2012年11月16日

展覧会「かくかくしかじか」が開催されます。
会場:アートギャラリーT+
会期:2012年11月12日(月)~2012年11月16日(金)
出展者:大島玲子(構成専攻総合造形領域4年)

どうもこんにちは、私です。

T+review

 
 ギャラリーにぽつんと置かれたモニターから、何気ない日常の一コマが絶えず流れている。わたしはひとりモニターの前に立ちながら「自分」をつくりあげる日々の行為を淡々と見詰める展示者の眼差しを感じていた。
 モニターの中では寝て、起きて、新しい一日が始まるというサイクルがただひたすら繰り返される。そう、全世界の誰もがこのサイクルを繰り返し生きている。そしてそのサイクルに付随する「洗う」という行為は、わたしたちの生活に直結する行為ではないかと考えた。ここに何か示唆的なものを感じた。
 一日の終わりに身体を清め、生きる為に必要な食物の摂取に使用した道具を清め、それを噛み砕いた口を清める。
 その行為はまるで、一度ずつ丁寧に「自分」をリセットしていくみたいではないか。
 「自分」とは決してひとつの個体として留まらない。常に変化していく。何の変わりもない日常の中で淡々と変化していく「自分」を探し、肯定し、その変化を受け入れることができたとしたら、そんな「自分」を好きになれ、愛することができたとしたら、わたしたちがいま生きるこの世界はほんのすこしだけ鮮やかに色づくのかもしれない。(太田夏希)


「ところてんの雨がふる」 松井千夏 2012年11月5日~1012年11月9日

展覧会「ところてんの雨がふる」が開催されます。
会場:アートギャラリーT+
会期:2012年11月5日(月)~2012年11月9日(金)
出展者:松井千夏(美術専攻洋画コース3年)

雨は降り続けるから

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