「馬鹿な機械展」 土屋恒人、早川寛人、打田雅俊、私市瑞希 2013年1月15日~2013年1月17日

展覧会「馬鹿な機械展」が開催されます。
会場:アートギャラリーT+
会期:2013年1月15日(水)~2013年1月17日(金)
出展者:土屋恒人、早川寛人、打田雅俊、私市瑞希
    (デザイン専攻3年)

あけましておめでとうございます。このたび私達「ねじクラブおまつり」はT+様のご支援を受けまして第一回物理博覧会「馬鹿な機械展」を開催する運びとなりましたのでお知らせ申し上げます。さて、私達が今回発表申し上げるのは「馬鹿な機械」ひたむきな機械達との触れ合いが行われます。火事にならないように気をつけます。(※実際には火事になることはありません)

T+review

誰もいないギャラリーの中は賑やかであった。部屋のどこにいても、ぎっちりと並んだ機械たちの発する音が聞こえてくる。首を振る扇風機の生む風音、次々に画面が切り替わるテレビの声、足踏みミシンの激しい音、アンケートボックスから聞こえるかすかな振動音。勝手に動いている機械たちもあれば、スイッチを押すなど私たちが何か働きかけることで動き出すものもある。彼らの機能は様々だが、共通していることもある。それは、彼らの動きが人間の要望・欲望に従った動きであるということ、そして、その動きしかできないということだ。
人間の要求に律儀に答えようと、与えられた役割通りに淡々と動く馬鹿共。しかし、その答えが常に完璧であるとは限らない。この展示ではその不完全さが垣間見える。例えば、“小せつ”“たつ巻論文”などの、単語の不自然な変換。また、展示された“小せつ”の中に出てくる「くるみですら」というフレーズの後には、「『くるみ』は名詞、『です』は丁寧語、『ら』は彼らのら」という、丁寧だが何ともトンチンカンな説明が挿入されている。壁にある「静かに」という張り紙は、執拗なまでに何枚も打ち出されている。
生真面目だけどもどこかずれている彼らの姿に、私たちはちょっと笑ってしまう。しかしその不自然さと同時に気味の悪さも感じはしないだろうか。なぜならその間違いはあまりに非人間的で、無感情だからだ。彼らは機械なりに頑張っている。自分に与えられた使命を淡々とこなしている。だが、当たり前ながら、彼らは自分のしている仕事が何であるのか、自分は失敗しているのかどうか、なんてことは考えていない。だから滑稽な、理解しがたい失敗をする。しかし、彼らを創り出したのは人間なのだ。人間の生み出したものが人間に理解できないような間違いを犯している…。
もちろん、この展示の機械たちの失敗は、意図的に演出されているのだろう。“小せつ”を見て、私たちは笑っていられる。しかし心の中では普段の生活での、機械との大小さまざまな不具合を思い出しているのではないだろうか。見過ごしてしまっているのかあるいは見ないふりをしているのか、普段深刻に考えることのない機械と人間との噛み合わなさを。(岡野恵未子)

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「九州展No.8~90309~」 幣島正彦、他 2013年1月7日~2012年1月11日

展覧会「九州展No.8~90309~」が開催されます。
会場:アートギャラリーT+
会期:2013年1月7日(月)~2013年1月11日(金)
出展者:幣島正彦、他

九州出身者による作品の展示。今回で第8回をむかえます。


「よりみち展」 魚住幸加、大岡詩音、松井千夏、田中あかり 2012年12月25日~2012年12月28日

展覧会「よりみち展」が開催されます。
会場:アートギャラリーT+
会期:2012年12月25日(火)~2012年12月28日(金)
出展者:魚住幸加(美術専攻洋画コース3年)
    大岡詩音(構成専攻総合造形領域3年)
    松井千夏(美術専攻洋画コース3年)
    田中あかり(美術専攻洋画コース2年)

まったり焼く。4つのお味をふぁさーして、ほら、おいしくなった。寄り道していく?

よりみち展


「eni」 竹澤藍 2012年12月17日~2012年12月21日

展覧会「eni」が開催されます。
会場:アートギャラリーT+
会期:2012年12月17日(月)~2012年12月21日(金)
出展者:竹澤藍(構成専攻構成領域3年)

平面作品を展示します。

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「歩いてかえる」 山越梓 2012年12月10日(月)~2012年12月14日(金)

展覧会「歩いてかえる」が開催されます。
会場:アートギャラリーT+
会期:2012年12月10日(月)~2012年12月14日(金)
出展者:山越梓(構成専攻2年)

学校から家まで、歩いてかえる。
その途中で知っている人に会うかもしれないし、誰とも会わないかもしれない。
どちらにせよ、かえったらあったかいご飯が食べたいです。

Twitter :@aruite_kaeru

T+review

黒い暗幕に覆われたギャラリーに入ると、ザッザッと歩く足音が聞こえてきた。正面の壁には道路の写真が移り変わる映像が写しだされている。ギャラリー入り口のキャプションからは、作者が筑波大学から群馬にある自宅まで歩いて帰った様子を作品にしていると分かる。その距離は112km、かかった時間は23時間半(休憩含まず)とある。
薄暗いギャラリーにプロジェクターで映し出されているのは、家への帰路で通った昼間の裏路地や車が走る夜の道路の写真だ。映像を眺めながら、私はふと小学校のころの登下校を思い出した。どこか懐かしい気持ちになる。同時に流されている音声には足音以外にも様々な音が記録されていた。道路を走る車の音。スーパーの店内の音楽。学校のチャイム。電車の走る音と共に踏切の警報音が響く。時折、出会った人との会話が聞こえてくる。相手は言葉がなまっていて作者は何度も聞き返している。
ギャラリー壁面のパネルには縦書きの長い文章。家に歩いて帰るまでのエピソードがつづられている。
鑑賞者は左から右へと少しずつ移動しながらそれを読む。ここから彼女の家まで歩くのはどれほど大変だっただろうかと想像しながら私もそれを読み進める。

作者はなぜ歩くのか
歩くことで景色はゆっくりと流れ、普段気にしないことにも気付いたりする。
知らない場所の知らない人とつながったりする。
そういった偶然の出会いを彼女は楽しんでいるように感じる。
文章の中の光景が作者の見知った土地にさしかかるところで、私はなんとも言えない安心感を得た。
ずっと歩いてきた道の光景が自分の中の記憶と一致したとき、彼女はおぼろげな追憶をたどる。
幼い頃に通った教会、歯医者さんの看板、通学路― 
あの頃、あの場所で出会ったものや人を懐かしみながら歩く。

追憶 ― ノスタルジア
過ぎ去った時間に思いをはせる。幼い頃の記憶はどこか曖昧なものではあるけど、それが自分をほんのり甘く幸せな気持ちにしてくれることは間違いない。きっと彼女は忘れかけていた何かを拾い上げるように、一歩ずつ今を生きる自分の家へと旅路を進めたのだ。(高橋和佳奈)

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