「必殺技ジェネレーター」 大図岳 2013年9月23日~2013年9月27日

展覧会「必殺技ジェネレーター」が開催されます。
会場:アートギャラリーT+
会期:2013年9月23日(月)~2013年9月27日(金)
出展者:大図岳(総合造形領域3年)

あなたのとるポーズで、必殺技が生まれる!必殺技生成装置の展示です。人はみな、ヒーローになれる…

20130924-必殺技ジェネレーター


「うんこ展」 蓑拓真、大図岳、出水田紘子 2013年9月16日~2013年9月20日

展覧会「うんこ展」が開催されます。
会場:アートギャラリーT+
会期:2013年9月16日(月)~2013年9月20日(金)
出展者:蓑拓真(構成専攻総合造形領域3年)
    大図岳(総合造形領域3年)
    出水田紘子(構成専攻ビジュアルデザイン領域3年)

うんこに魅せられた3人によるグループ展です。

T+review

展覧会のタイトルから、まさかまさかと内容を想像しながら展示をのぞいてみると、そのまさかだった。この展示は3人によるグループ展で、彼らの作品はそれぞれ“あれ”を表現している(察しているかとは思うが、タイトルに表われている“それ”である)。トイレで用を足すハムスターのアニメーションや、“あれ”の形のコントローラーで遊ぶゲームなど。
実はこの展示を見た後、かなり戸惑った。展示を楽しんだ自分がいる反面、心に何かが引っ掛かっている。これは、ただの遊びではないか?軽い気持ちで展示しているのではないか?というような疑問がどうしても湧いてくるのである。正直「もっと“カタい”展示をしたほうが良いのじゃないかな」とさえ思ってしまった。同じような引っ掛かりをおぼえた方もいるのではないだろうか?しかし、よく考えるとこの感覚はとても奇妙なものである。
「“カタい”展示」などという絶対的なものがあるだろうか?作品や展示が“カタい”かどうかは、自分の勝手な基準に頼らざるを得ない。だから、この展示にネガティブな思いを抱いたとしても、「“軽い”から」という理由は説得力をもたないであろう。
 それをふまえて展示を思い返してみると、展示や作品のコンセプトがどうとか、そのような背景から離れて、作者らが純粋に楽しんで制作したということが感じられてくる。テーマはある意味軽いものかもしれないが、それを思い思いに、自分の興味のある形で表現することを楽しんでいた。「作ってみたい、やってみようよ」という思いを実際に形にして、それぞれがそれぞれの手法でやりきった、という瞬発力や実行力を感じられる展示だった。(岡野恵未子)

20130917-うんこ展


「ろうかのゆうれい」 高橋香緒理 2013年9月9日~2013年9月13日

展覧会「ろうかのゆうれい」が開催されます。
会場:アートギャラリーT+
会期:2013年9月9日(月)~2013年9月13日(金)
出展者:高橋香緒理(芸術専攻ビジュアルデザイン領域修士過程1年)

「いると おもえば いる
 いないと おもえば いない」

絵本の展示です。

T+review

一見、絵本の原画展のように見える「ろうかのゆうれい」。しかしこの展示では、“絵本を読む”という行為にごく近い体験をすることができるのだ。
 ギャラリーの中は、絵本のテキストと原画が飛び出して、壁に張り付いてしまったかのようだ。原画は真っ直ぐに並んでいるのではなく、上へ下へとずらして配置され、テキストはその動きに合わせて原画の周りの壁に直接書きつけられている。楽しげにばらばらと配置された原画は、それによってギャラリー全体の空間を使っているかのような効果が生んでいる。ゆえに鑑賞者は絵本の世界に包まれていると感じるだろう。
 しかし、「体験」と先述したのはこれだけが理由ではない。絵本のストーリーはギャラリーの入り口付近の壁から始まって、その対角線上の壁へと進んでいる。絵本の中では、暗闇を怖がる女の子がぬいぐるみと一緒にトイレを目指してそろりそろりと廊下を進んでいく。鑑賞者も、それを読みながらそろりそろりと歩きながら作品を鑑賞する。文字通り、歩きながら絵本を“読み進めて”いるのだ。
 絵本はもともと、“ページをめくる”という身体的な行為があって初めてストーリーが進むものである。今回の展示では、その“ページをめくる”という行為が“歩く”という行為に置きかわり、より動きを持って“読み進める”ことができるものになっていた。まさに、絵本のストーリーを体験できるものだったのだ。(岡野恵未子)

20130909-ろうかのゆうれい


「色」 堀真実(2013年9月2日~9月6日)中止のお知らせ

2013年9月2日(月)~9月6日(金)に行われる予定でした堀真実さんの展覧会「色」は、展示者の都合により、やむを得ず中止となりました。
なお、この期間はギャラリーを閉館いたします。

「空の呼びかけ|empty calling」 高橋大地 2013年8月25日~2013年8月30日

展覧会「空の呼びかけ|empty calling」が開催されます。
会場:アートギャラリーT+
会期:2013年8月25日(日)~2013年8月30日(金)
   ※オープンキャンパスのため8月25日(日)から開館
出展者:高橋大地(構成専攻総合造形領域4年)

身のまわりの誰か、あるいは遠く離れた誰でもないだれかに対して、どう自らを開くことができるのか。そんなことに関心があります。

T+review

「今、見えているもの」と「今、見えていないもの」に同時に向き合うこと。それがこの展覧会で鑑賞者がしなければいけないことだ。しかも、その「見えているもの」と「見えていないもの」は鑑賞者の目の前でくるくると切り替わる。
 《思考のプラットフォーム》は、鏡の表面にラッカー塗料がボーダー状に塗られている作品だ。鏡に映る像を見ようとすると、どうしても表面のボーダーが邪魔をする。それゆえ、映りこんでいるものに集中しようとするとボーダーを「無視」しなければいけないのだ。逆に表面のボーダー模様に意識を向けると、鏡に映りこんでいるものは目に入ってこなくなり、鏡という素材(モノ)とその上に塗られた塗料とが見えてくる。鏡に映りこんでいる像と、鏡というモノは、もちろん同時に存在しているものだが、同時に見ること―つまり両者に同じだけ意識を向けること―はできない。モノだと意識できる部分を無視して映りこんでいる像を「見る」か、映っているものを無視してモノとしての鏡を「見る」か、どちらかに集中せざるを得ないのである。《無題(イマージュ)》も同様に、光沢のある黒い画面に映りこんでいる像とそれが映っている画面の素材とを切り替えて見なければいけない。
《the Books》もまた、「見る」ことを切り替えることが必要とされる作品だ。まるで透明な本棚の上に並べられているかのように、底部をそろえて宙に固定された本たち。この作品で、見えない本棚を意識しているときは本というモノの存在感は薄い。重力を感じない。一方、本というモノに注目しているとき、見えない本棚は“見えない”のである。
見方を二通り使わなければいけないこの作品たちとは、必然的にゆっくりと向き合う時間が生まれる。同時に存在しているものなのに、一度に観られない。そんなもどかしさと不思議さが、鑑賞者を包む。静かで緊張した空間の中で、何かを見るときに私たちはいったい何を見ているのだろうかということをじわじわと感じた。(岡野恵未子)

20130825-空の呼びかけ|empty calling