「鉄道枕木の可能性」蛭田香菜子 2016年8月8日~8月12日
会場:アートギャラリーT+
会期:2016年8月8日(月)~8月12日(金)
出展者:蛭田香菜子(芸術専攻彫塑 博士前期課程1年)
鉄道枕木を用いた作品の展示。
関連展覧会
ミナトメディアミュージアム(2016年8月7日~28日)
那珂湊駅

鉄道枕木を用いた作品の展示。
関連展覧会
ミナトメディアミュージアム(2016年8月7日~28日)
那珂湊駅
刺繍で服に、ゆるくおえかきしました
過去も現在も、未来も同じように、時は止まることなく流れ続ける。一度として同じ時間は存在しない。そのような「一瞬」を画面にとどめた作品であった。
展示されていたのはスクリーンショットをした画像を引き延ばし、大きく印刷したもの。単なる写真ではないところが面白い。インターネットが普及した現代社会の中で、写真を撮ることよりもさらに手軽なものではないか。スクリーンショットを日常的に使用している鑑賞者も多いだろう。そのような何気ない日常の一動作を制作の手法に用いた作者の発想は独特であった。しかしながら、それは作者が描いたものではない。すでにあるものを私たちに提示するという一種の行為である。レディ・メイドの作家として知られるデュシャンの≪泉≫を彷彿とさせ、鑑賞者に芸術の表現の多様性を感じさせたことだろう。
作品とキャプションに二項対立が生じていた。作品にはその緯度が題名として付けられていた。土地はその上に工場が建とうと、家が建とうと、持ち主が変わろうと、見え方が変わるだけでその土地は「土地」として機能し続けるものであり、永久に変わらない。しかし作品の方はどうだろうか。何かを作品にして残すということは、一瞬を画面に閉じ込めるということだ。この作品を見ると、「そのとき」が記録されているだけで、「現在」は全く違う景色になっているという可能性も否定できない。永遠と刹那という関係性が作品と題名との間に生まれている。
展示全体としては、挨拶文が鑑賞者にとって分かりやすく、作品に入っていきやすい、導入となっており、鑑賞する際の足掛かりとなっていた。また、その挨拶文で、あえて「散策」という言葉を使っていた作者の意図を考えながら見ることができた。
私たちが過ごしている「今」が「過去」になっていくということを感じさせた展示であった。(高田和音)
自然素材を用いた立体作品の展示です。
独特な形状をしたバッグや器、洋服のようなものが、それぞれ青と黄色の四角いシートの上に据え置かれていた。一見した印象では実用的なものではなさそうだし、どういう用途で使うのか分からないものもある。机上の茶色い紙に手書きで荒っぽく書かれたキャプションらしきものによると、漆の濾紙、樹皮、籐、陶を材料に使っているそうである。あまり聞きなれない名前のものや、それらを材料として使った例を知らないようなものだったので、質感が独特で新鮮さがあった。道具として使うものというよりは、作品として鑑賞するためのものという感じがした。
またギャラリー入り口の透明なプラスチックでできたスピーカーも目に付いた。スピーカーとしては見慣れない形である。展示されている作品の雰囲気とは違ってかなり現代的な形状をしている。展示中ずっと音楽がかけられていたが、その音楽と作品とが相まって、ギャラリー内はなんとなく民族的な雰囲気に包まれていた。作品と音楽の2つでギャラリーの空間を作っていたのは興味深い。(市川太也)
インスタレーション作品を展示します。