「ballad」 柴野千鶴 2009年5月18日~2009年5月22日

展覧会「ballad」が開催されます。
会場:アートギャラリーT+
会期:2009年5月18日~2009年5月22日
出展者:柴野千鶴(彫塑専攻3年)

光と影と色が空間で調和してくれればなあと。シンプルな空間造りができたらいいなと。


「極彩モノクローム」 小熊かおり、藤田奈々子 2009年5月11日~2009年5月15日

展覧会「極彩モノクローム」が開催されます。
会場:アートギャラリーT+
会期:2009年5月11日~2009年5月15日
出展者:小熊かおり(構成専攻2年)、藤田奈々子(構成専攻2年)

二人による写真展です。私達が切り取った世界、ご堪能ください。


「解夏」 佐藤学 2009年4月27日~2009年5月1日

展覧会「解夏」が開催されます。
会場:アートギャラリーT+
会期:2009年4月27日~2009年5月1日
出展者:佐藤学(人間総合科学研究科日本画領域1年)

日本画の作品でT+の空間を構成する個展です。
季節のように滞ることなく、結んで解けていくものをテーマにして制作しています。

T+review

暗天に立ち上る竜巻、ほどばしるイナズマ― 龍だ。そんな私のほぼ確信に近いファースト・インプレッションは、「いや、龍ではないです。」偶然居合わせた出展者、佐藤学氏にあっさり否定されてしまった。龍は、古来より中国やインド神話に登場する空想上の動物で、雲雨を呼ぶとされている。画面上から3分の2を占める墨色の闇は黒雲に見えなくもなく、画面下方から螺旋(らせん)をえがきつつ中空へ昇っていく白い筋の四方には、同じく白い稲光が、今まさに炸裂し雷鳴が聞こえてきそうである。
まさに龍さながらではないか。
「やっぱり、そう見えますよね。でもこれ、イメージの根底にあるのは、うなぎなんです。」
佐藤氏には、幼いころ夏に故郷で父親とうなぎを釣った思い出があった。うなぎのぬめる質感、手の中の躍動感。その記憶を足掛かりに制作に臨んだ。イメージは筆を動かすうち、少しずつ変化していったという。そうして完成したのが、今回の大作『夏を解く』である。
白い螺旋は、ぎゅっと結ばれていたものが解放されていくかのように、上空にいくにしたがいほどけていく。螺旋のはじまりには、ちょうど滝の奔流にかかるのに似たもやがたちこめている。この流れは、どうやら画面左下の泥色の濁流につながっているようだ。流れているものは、はたして何なのか。岩絵具のざらざらした質感が奇妙な現実感を持って、流れる世界の空気を私のいる場所まで届けている。
「搬入してみたら、意外と小さかったなと。」ギャラリーの天井からななめに吊り下げて足元までかかる縦2m超の作品を眺め、佐藤氏は苦笑いする。「来年3月、つくば美術館で個展が決まっています。そのときは、もっと大きな画面に描きますよ。」穏やかな表情のなかにある強くまっすぐな瞳は、やはりうなぎのそれではなさそうだ。
(善名朝子)


「「Fractal Ⅳ」の展開」 吉岡聖美 2009年4月20日~2009年4月24日

展覧会「 「Fractal Ⅳ」の展開 」が開催されます。
会場:アートギャラリーT+
会期:2009年4月20日~2009年4月24日
出展者:吉岡聖美(芸術専攻デザイン学博士後期課程1年)

Fractal … 自然界に繰り返される形象。
ヒトが地球に生まれた時からそれは既に存在し、何十億年もの年月を越えてヒトはずっとそれを見ていたのです。
すべての人がこころの奥底に感じることができる“もの”だと考えます。


「ちゃんと自律します」 渡辺のり子 2009年4月13日~2009年4月14日

展覧会「ちゃんと自律します」が開催されます。
会場:アートギャラリーT+
会期:2009年4月13日~2009年4月14日
出展者:渡辺のり子(構成専攻2年)

最近なんか全体的に堕落してきたので、そろそろ自分のことは自分で管理しなきゃなーと思いました。
管理の意味は管轄・運営または処理や補修をする事らしいです。なかなか大変ですね!
…やっぱやめよっかな(笑)

T+review

 掌に納まりそうなサイズの箱たちが、ギャラリーの壁面に1本の横線を描いている。それぞれの箱の中には、それぞれに異なる世界。そんな展示空間に入った者たちは、作者の目線の高さに設置されたと思われる箱の中を1つ1つ、蟹のように横歩きをしながら眺めていた。
箱の中に広がる情景はそれ単体で完結しており、一貫性はない。ある箱には映画館が、またある箱には工場が、異なる色や素材で表現されており、それらの下に1つ1つ取り付けられたキャプションの番号もバラバラだ。「個人的」と言えそうなその空間を、見る者は自身の感覚や経験と照らし合わせることによって作者の中の世界に入り込む。そして、全ての作品を見終わった瞬間、見る者の前に広がるのは「個人的な空間」とは真逆であるギャラリーの外の風景、すなわち「一般的な世界」である。その瞬間、日常で溢れる世界に投げ出された彼らは自分にとっての「自律」の意味を自問する。
ホワイトキューブの中にまたキューブが立ち並ぶ空間はどこか病院のような神経質さを漂わせ、展覧会名である「ちゃんと自律します」という決意ともとれる言葉の中に潜む気だるさとは相反するものであるようだ。しかし、その静かな空間の中で、作者は自身の感覚を再確認するために1つ1つ作り出した世界へ、同じ感覚器官をもちながら異なる感性や感情をもつ他者を、ゆっくりと誘おうとしていたのかもしれない。(原口寛子)