「porpopolio」 三崎大地 2010年2月8日~2010年2月12日

展覧会「porpopolio」が開催されます。
会場:アートギャラリーT+
会期:2010年2月8日~2010年2月12日
出展者:三崎大地
(人間総合科学研究科 感性認知脳科学専攻)
三崎大地の家具展x個人修了制作展。
お世話になった方々に感謝を込めて 、2006-2009年にかけて制作した家具7点を展示いたします。
頭でっかちになって、ふと根本があやふやなことに気づき、解らなくなること。
についての、インスタレーション。
T+review
現在、美術の世界は、あらゆるものを巻き込んで膨張を続け、さまざまな状況(政治経済、利害関係など)が複雑に絡み合い、芸術とそれ以外のものの境界線がますます曖昧になっているように思われる。視点を定めてしっかりと立っていなければ、強風に煽られて、濁流に飲み込まれて、自分の意図しない方向へ、良くも悪くもどんどん流されてしまう。今回の展覧会では、そんな混沌とした状況の中で見失っていく「原点」をみつめなおし、混沌の中にも自分自身の場所を見出そうとする彼の行為そのものを作品と見なすべきであろう。
ギャラリーに入ると、鉛筆の匂いがつんと嗅覚を刺激する。ギャラリーの真ん中あたりに置かれた台の上には、鉛筆削りとちびた鉛筆、そして削りくずが山積みになっている。会期中、天井から吊り下げられたいくつもの白い額の向こうで、彼はひたすら白い壁を鉛筆で染めていく。書いて削って、書いて削って、の繰り返し。何を描くでもなく、まるで大きな画用紙に夢中でクレヨンを走らせる子供のように、彼はどんどん鉛筆を消費していく。わたしは、一見退屈で無意味に思えるこの行為に、見失いかけている「原点」と必死で向き合おうとする彼の姿を見出した。今やあらゆるマテリアルが芸術となり得る美術の世界で、鉛筆というたよりない筆記具は、芸術における「原点」であるといえる。そう考えると、天井から吊り下げられたいくつもの白い額は、作品という体裁を取り繕う(!)一方、錯綜する世間から自分を隔離して、じっくり「原点」と向き合うための防壁のようでもある。
現代の混沌の中で、迷子になりがちな自分をときどき顧みること、忘れ去られていく物事の本質(「原点」)を振り返ること、は非常に大切である。これらの行為は本来個人的であるが、今回のように展覧会という形をとることによって、彼自身だけではなく、見る者にとっても、ハッと気づかされるものがあったはずである。
(金沢みなみ)
化粧をテーマとした映像作品の展示。
T+review
大きな黒い瞳の中に化粧品・化粧道具の数々が映り込む、完璧に武装された女性の目がある。化粧品会社の広告のように、非の打ち所のないDMだ。
最近、日本が世界で二番目にコスメに投資していることを知った。とはいえ、資金の大半は宣伝に用いられているそうだ。宣伝には、えもいわれぬほど美しい女性達が抜擢され、素顔でも十分に美しいであろう顔に、さらに魅力的にみせるような化粧をする。桃のように滑らかな肌には、毛穴を消しより白く見せるおしろい。みずみずしい果実を口にした後のように潤った唇には、艶やかさや色を際立たせるリップスティック。奥ゆかしく透き通り今にも語りかけてきそうな瞳には、脇から演出するアイラインやつけ睫毛、アイシャドウ。といった具合に、例に暇が無い。商品は、次々により新しくより画期的なものに取って代わり、人々はより良い商品を求め、より進んだ化粧に挑戦する。
何の脈絡もなく綴ったように思われるここまでの話を、この私の頭に浮かばせたのは、他でもない展覧会「make up」である。マニキュアを用いたペインティングや、口紅を塗った唇を花のように見立てた作品もあったが、とりわけ衝撃を受けたのが、顔面の右目を含んで切り取った画面。その右目の瞳には、化粧をする人の動きが鮮明に映っている。すっぴんから始まり、目の縁ギリギリに黒いラインを入れ、睫毛を付け、また一層幅のあるラインを引き、幾重にもシャドウを重ねる。瞳に映る女性の動作に伴い、画面の大半を占める目が変化し、大きく迫力のある目へとぐんぐん進化する。その勢いはあまりに鮮やかで、観る者が気付かぬうちに、独りでに静静と微妙な変化を遂げているのである。
しかし、ある時点から、魅力的か否か判別に困るようになる。瞳に映る人物が、目に留まらず他の部分をも黒で塗り始めるのだ。次第に黒は、顔に占める面積を広げ、終いには顔全体を飲み込んでしまう。
ここまですることは、「make up」と言えるのだろうか?と感じ、思わず辞書で「化粧」と調べた。広辞苑には「美しく見えるよう、表面を磨いたり、飾ったりすること」とあった。しかし、美しさの定義など、文化・国・性別・個人等々により異なるものである。顔面を漆黒に塗り尽くした姿を美しいと感じる人も存在するかもしれない。事実、日本でも、顔面を茶色で塗り、元の形が区別できないほどにパーツパーツに細工を施した姿を良しとする文化があるのだから、なかなかに化粧とは無限の広がりを持っているのであろう。そして、無限性をもつ「make up」を題材に、作品を「make up」しているところが、人々の関心を引き、展覧会そのものも可能性を感じさせるものとなった理由であろう。
(辻真理子)
新・近作を中心に20点を超す銀座での展示です。
http://www.artbox-int.co.jp/competition/abg2009/index.html