「まっかだな」 田中あかり 2012年11月19日~2012年11月22日

展覧会「まっかだな」が開催されます。
会場:アートギャラリーT+
会期:2012年11月19日(月)~2012年11月22日(木)
出展者:田中あかり(美術専攻洋画コース2年)

「秋のおわりに
まっかな秋の
まっかな恋を
あつめてみたり
おもってみたり
ちらしてみたり
ないてみたり
わらってみたり ね」

T+review

「まっかな秋の/まっかな恋を/あつめてみたり」した展覧会。恋人や、恋愛感情をテーマにした小さな作品達がギャラリーの壁をぐるりと囲んでいる。恋愛とはごくごく個人的で、主観的な感情だが、それが作品のテーマになると、その主観的な感情は「共有」されうるものになるということに気が付いた。

今回の展覧会で特にそれを感じたのは、ギャラリーの中心で起きていた現象だ。ギャラリーの中心では、天井から紐が吊り下げられており、手のひらほどのハート形の色画用紙がたくさん留められていた。そのすぐ下の展示台と床には、同じハート形の画用紙が散らばっている。そのたくさんのハート形には、何枚か言葉がつづられているものがある。鑑賞者が、自由に言葉を書くことができる。特に書く内容は指定されていないが、展覧会のテーマの影響か、恋愛に関係する言葉が圧倒的に多い。それは、(おそらく)意中の人に対する想いであったり、恋の幸せであったり、切なさであったり。ちょっと照れてしまうような、しかし読んでいるとなんだか心温まるような、素直な言葉が鑑賞者の手によって記されているのだ。

この言葉たちは、誰に読んでほしくて書かれたものなのだろうか。書かれたときは、特定の誰かを思って書かれたものが多いだろうが、その特定の誰かだけが読んでくれるものだとは言えない。ギャラリーに展示されている以上、不特定多数の人間が目を通すことは避けられないからだ。しかも、自分の名前が書かれていない画用紙は、ことばの受け手だけでなく、発信者も特定できない存在にする。
匿名であるから、そして誰でも見れる状態にあるから、つづられた言葉は書き手のもとを離れて、独立していく。そして、そのように主を離れた言葉たちは、純粋にその「想い」だけのものになり、作品の一部として他の鑑賞者と「共有」できるものになっていくのだ。

 作者の作品達もそのような役割を持っているだろう。恋愛という、極めて個人的な感情の動きのテーマは、作品となることで「共有」できるものとなる。発信者も受け手も不特定になったそれを見る鑑賞者は、自身とその作品とを照らし合わせ、共感したり自分の気持ちに確信を持ったりするのだ。(岡野恵未子)

まっかだなimms