「 ’Shikohin’ and the arts」Eliis Laul 2023年11月13日(月)~11月17日(金)
「’Shikohin’ and the arts」が開催されます。
会場:アートギャラリーT+
会期:11月13日(月)~11月17日(金)
出展者:大学院人間総合科学研究群博士後期課程芸術学学位プログラム1年 Eliis Laul
「嗜好品」は森鴎外が1912年に初めて使ったとされる言葉で、私たちが日々の楽しみのために摂取するものを、「生活必需品」であると同時に体にとっては「毒物」でもあると表現したものである。通常、コーヒー、お茶、お酒、タバコなどを指す「嗜好品」は、栄養価のためではなく、純粋な喜びや感覚の高揚のために消費される。それは広い意味における芸術と同じように、「嗜好品」もまた、それ自体が目的であったり有益であったりすることはなく、ただ存分に味わうものである。思想家の内田樹が述べるように、それは日常生活から別の見方や在り方へとわれわれの現実を高め、シフトさせるものである(Dig the Tea. 2022.06.23)。それは、新しい思考や出会いのためのスペースを作る方法であり、意図的に一時停止することである。私たちの行動や決断のひとつひとつがその有用性や利益に基づいて厳密に評価されているように見える今日、私たちは、非合理的であったり本質的でないと思われるようなことを軽視しがちである。「嗜好品」の考え方は、それとは正反対である。その本質において「非本質的」なものの必要性を私たちに思い出させようとするのだ。素晴らしい芸術は、コーヒー休憩のように、私たちが楽しむのに必ずしも有用である必要はない。実のところ、私たちの活動や「必需品」のほとんどは私たちにとってまったく必要のないものなのだが、それでもなぜかそれらをとても必要としていると主張する。結局のところ、私たちが楽しんだり驚嘆したりするものが何も残らないとしたら、人生の価値とは一体何だろうか?そうして、どんな芸術作品でも、美味しく淹れられたコーヒーでさえも、その本当の素晴らしさはその背景を構成する言葉にあるのではなく、「私たちはそれを用いて実用的なことはまったくできない」という事実にあるのだ。私たちはただ耳を傾け、観察するのみである。言い換えれば、「何もせずに」ただ驚嘆するための時間を取るだけである。ここには、新しい何かを発見するためのこれまで忘れられていたチャンスがある。問題は、芸術のために、少なくとも一度は、そのような自由がもう一度許されるような時間と空間をどうやって取り戻すかということである。(展示者様からいただいた和訳での掲載です。)