日本で2番目のMuquarnas?


イスラーム建築を代表する意匠ムカルナス(Muquarnas)の模型を授業で作成しました。イスラーム建築の特徴の1つはドームですが、ドームの平面が円形なのに対して、部屋の壁は四角形で、そのままではうまく支えられません。ドーム部分は壁を多角形にして支えます。平面を四角形から徐々に多角形へ移行させる、隅部の造形がムカルナスです。ムカルナスの形は複雑ですが、基準寸法と角度と三角形の性質という明快なルールから生成します。精巧な根本原理からの形の生成、というのは神の介在の徴としてイスラーム建築のみでなく、ゴシック建築でもヒンドゥー建築でも同時代的に探求された核心的テーマでした。
授業でイスラーム建築が論じられることは稀で、実際にムカルナスを作ったのは日本で2番目のように思います。はじめての経験にもかかわらず、3年生、4年生は、驚くほど手が動き、頭がきれていました。模型作成に際しお知恵をいただいた、深見奈緒子先生、宍戸克実先生には感謝申し上げます。

海洋亞洲的生活與移居


台湾大学芸術史研究所主催のシンポジウム「海洋亞洲的生活與移居(海域アジアの暮らしと移動) Life and Migration in Maritime Asia」に参加しました。「信賴關係網絡與可倫坡(斯里蘭卡)歷史區域的都市景觀(信頼関係のネットワークとコロンボ(スリランカ)歴史地区の都市景観)」として、コロンボ(スリランカ)を事例にインド洋世界の都市景観の生成と変容の仕組みについて報告しました。

ADP (Art Design Produce)

貝島先生と渡先生に声をかけていただき、両先生とビジュアルデザインの原先生のされている、ADP(Art Design Produce)中間発表会にゲスト参加させていただきました。9チーム計約100名の学生が、茨城県の各地域でおこなっているそれぞれの創作活動について、熱くプレゼンテーションする会です。
同じくゲスト参加された、石工さんや市役所の方、1年生から修士までの参加学生、教員が皆、お茶とお菓子をいただきつつ、プレゼンテーションに聴き入っていました。クリスマス前ということで、持ち時間終了を鈴の音が伝えます。
活動が何年にもわたる息の長いものであることに、そして、アートとデザインの力にハッとさせられました。何より、学生が自分たちでやりたいことをする場になっている、やっていることを地域の人が魅力に感じている、形式的には大学の授業のため単位がとれる(最大6単位まで!)、という奇跡的企画です。
尋常ならざるものを感じ、思わず来年度「参戦する宣言」をしてしまいました。

『建築フィールドワークの系譜』発刊

日本建築学会編, 『建築フィールドワークの系譜』, 昭和堂が発刊されました。

https://www.amazon.co.jp/dp/4812217318/

第二次世界大戦以降に、日本を出て海外で建築フィールドワークをおこなった研究者とその研究室の活動、調査方法を幅広く紹介するはじめての本です。
建築デザインにつながる手掛かりをフィールドから見出すために、先達が編み出した多彩な技法がオリジナルのスケッチとともに収録されています。
「地域に世界を読む」と題し、建築計画で戦後初めての国際共同研究として、
スラバヤ(インドネシア)のインフォーマル居住地「カンポン」の調査をおこなった布野修司先生の活動と調査方法について執筆させていただきました。

Yahaya Ahmad先生

マレーシアから来日された、Yahaya Ahmad先生(Dean of Faculty of Built Environment, Universiti Malaya)と奥さま、同僚のSube Hiroyuki先生にお会いし、最近の研究活動と将来の連携研究について意見を交わしました。Yahaya先生とは2年ぶりの再会です。Sube先生はノーマン・フォスター事務所に勤務した後、クアラルンプールで設計事務所をされています。

能海寛生誕150周年記念国際シンポジウム

鳥取環境大学以来お世話になっている浅川滋男先生のシンポジウムに参加しました。明治末に仏教経典を求めてチベットを目指した僧、能海寛の足跡と著書、および、浅川研究室のおこなってきたチベット仏教寺院調査の経過について報告を伺い、浅川先生、岡崎秀紀先生、何大勇先生、今枝由郎先生と有意義な話をさせていただきました。

生を支える建築 architecture of vernacularity

建築は、私たちが生きる上で頼むに足る存在である、と考えます。
様々な苦楽に直面する私たちの生を支える建築の姿と、その実現方法を探求します。

20世紀には、発展途上諸地域の開発は国際社会の共通の課題であり、開発の現場は建築デザインの一大実験場となりました。
開発の現場では、差し迫った生の問題、気候、文化の相違に対して、普遍性を主張したモダニズムの建築は十分な対応力を持たないことが明らかとなり、オルタナティブを模索する実践が各地でおこなわれました。
しかし、その全容は必ずしも明らかになっていません。

発展途上と呼ばれ、開発の舞台となった地域、とりわけ、南アジア、東南アジア、環インド洋世界の経験と建築実践に学びながら、未来の建築の姿を考えています。

Architecture could be worth relying for us living our uncertain lives. 
We search the appearance of architecture which supports our pleasureful and painful lives and search ways to realize such architecture.

In the 20th century, development of developing regions had been the matter shared by international society. And the field of development became a great experimental place of architecture design.
At the field of development, it became clear that architecture of modernism had no adequate ability to respond to urgent matters of life, local climate or local culture despite its claim on universality.
From this experience, practices to search alternative architecture appeared in many regions. However, whole picture of these practices is not clarified.

Learning from experiences and architectural practices of the regions once called developing and became field of practice of development, especially South Asia, Southeast Asia and the Indian Ocean world, we are seeking appearance of architecture for our future.