『陶のスペース・コンポーザー』 (2004、 渡部誠一 岐阜県現代陶芸美術館 副館長)

「空間を空虚なもの、単に消極的なものとして捉える慣習を捨てて、逆に、我々の存在意識を確認し、我々の生命感を高める、積極的で決定的なものとして把握するとき、はじめて美術は姿を現すのである」(バーナード・ベレンソン)[註1]

気がかりな物体

今日では、立体作品を必ずしも「彫刻」とは呼ばない。それはことに今世紀半ば以降、一瞥絵画とも彫刻とも言い難い作品が、少なからず表現されるようになってきたことによる。ハロルド・ローゼンバーグは『芸術の脱定義』(1972年)において、こうした芸術の領域を不確定なものにする作品群を「気がかりな物体」(an anxious object)と呼んでいる。そうして見ると、今日のアート・シーンには、その「気がかりな物体」が、なお横溢しているように思われる。

しかし非絵画的表現、非彫刻的表現と見えながら、その「気がかりな物体」の内の少なからぬものには、実はその絵画や彫刻などの伝統的な美術のシステムに、依然として根本のところで依拠していると思われるものもある。とらえどころの無いような作品も、つぶさに見ると、解体・再構成された伝統的美術のシステムの痕跡が、または楽天的に言えばその進化形と思しきものが、垣間見えることがあるのである。

例えばフランク・ステラのレリーフ・ペインティング以降の立体作品は、絵画か彫刻か、あるいはそのいずれでもないのか。結論からいえば、ステラの求める「ワーキング・スペース」(作動するあるいは生動する空間)が、絵画の属性であるイリュージョン[註2]の中でのみ生成するという限りにおいて、ステラのそれは「絵画」である他はない。ステラはミニマル絵画から出発し、70年代半ばにドラスティックな変貌を始める。その絵画はダイナミックに壁面から突出し、まさにレリーフ(浮彫)と名付けられるように、現実空間を占有し、現在では床上に自立する立体作品となっている。それは今日の美術にかかわるものにとって、きわめて「気がかりな」出来事であったと言ってよい。

彫刻ではなく絵画でもなく

齋藤敏寿は、多摩美術大学絵画科から同大学院へ進み、在学中の1987年頃から発表活動を開始している。その表現は、さまざまな表情をもつ不定形の陶板をアッセンブル(寄せ集め)するもので、当初壁面に設置された平面的なものであった。それが早くも1988年には、壁面から突出・離脱して、空間に吊られて浮遊し始め、1989年の「水蒸気破裂89911」では、床上に立体として自立するのである。その立体は、モンスターのように圧倒的な存在感をもつものであったが、同時にそれは、まさに件のステラの「変貌」とパラレルであった。床上の自立という点では、齋藤がステラに先立っていると思われるが、やはり齋藤にとってもステラの変貌は「気がかりな」出来事であったのではなかろうか。齋藤自身もステラは関心のある作家の一人であることを表明している。

80年代もまた、非絵画的表現が量産された時代であった。絵画はといえば、純化の過程ののちに、なお継続する閉塞状況からの離脱が試みられようとしていた。齋藤はこうした状況のもとで、絵画から陶芸に向かっている。齋藤自身の言う「絵画とも彫刻とも違う造形原理」[註3]を求めてのことである。ただし、齋藤の表現はいずれかといえば絵画に近い。その立体も「決して彫刻家の発想する立体ではない」(齋藤)であろう。いわばペインタリネス(painterliness.絵画性)の議論が可能な表現であると言える。

ペインタリネスには、さしあたり二つの要素がある。ひとつは「表面性」もうひとつは「物質性」である。齋藤の表現が、最初期から一貫して「表面」への意識によって成立しているということは、見易いことである。さまざまな形象、微妙な階調の隣り合う色斑、肌理の表情の変化などがそれである。付け加えれば、二次元的表現の陶板の表面の強調は、やはりペインタリネスの要素である「正面性」を伴うものでもある。ところでここで重要なことは、齋藤が、絵画における「物質性」である「絵の具」を、自らの表現において「陶」に置換しているということである。いわばそこに齋藤独自の造形原理の契機がある。

80年代はまた、大型化した陶芸表現が登場してきた時代でもあった。陶のパーツを何らかの方法で結合し大型化するという手法は、今日ではめずらしいものではない。ここで陶という素材からさらに齋藤独自の造形原理の契機について、二つの点を指摘しなければならないだろう。その第一は、鉄の両義的性格の採用であり、第二は、活性する空間意識である。

鉄の両義的性格

鉄という素材は、世界初の鉄構造の建造物であるコールブルックデールの鉄橋(1779年)やエッフェル塔(1889年)のように、建築の分野では、構造材として早くから用いられているが、芸術の分野では、今世紀に入ってからの素材といってよい。しかし鉄は、大理石やブロンズあるいは木などのような素材とは異なり、カーヴィング(彫り刻む)やモデリング(肉付けする)などの、彫刻の手法によって用いられるものではない。鉄線や鉄板が溶接によって結合されるコンストラクションが基本的構造であって、自ずと量塊性によらず、一定の空間を取り込む構造となる。そこで立ち現れるのは、結合された部分の「関係」なのである。

「『鉄』の二律背反性」(『鉄─四つの対話』佐倉市美術館、1996年)という文章の中で早見堯は、「何が鉄を美術作品として可能にさせたのだろうか」と設問して、建築に用いられた鉄による構造体の、いわばこの構造、「つまり関係の骨組みこそが、鉄を美術へと招き入れたのではなかったか」とし、ピカソ、ディヴィッド・スミス、アンソニー・カロを論じながら、「結局のところ、彫刻での素材としての鉄は、その登場のとき以来、鉄という『もの』でありながら、同時に鉄という『もの』ではないという二律背反的なかたちで現れている」と指摘している。

私は、「素材(material)」について、二つの性格を指摘したことがある[註4]。それは、「物質(substance)としての素材」と、「構成要素(constituentelement)としての素材」である。素材におけるこの二つの性格についての自覚は、私見によればきわめて重要である。例えば、素材があらかじめ前提されることのない現代美術における「素材」は、基本的に「構成要素としての素材」として、「関係」を問うコンテキストにおいて用いられていることが少なくはない。一方、例えば工芸(ここでは陶芸)のように、素材が所与のものとして与えられている場合は、素材は「物質としての素材」という性格を、より濃厚に帯びるのである。美術と工芸を横断的に述べようとする場合、この素材観が未整理であれば、議論は混濁する。

さて、陶と鉄を素材とする齋藤敏寿の場合であるが、ここでも陶と鉄は同義的に用いられてはいないことに注意すべきである。陶は明らかに「物質」であり、横溢するエネルギーを発しながら「もの」としての役割を演じているが、鉄は陶の力動感を伝達し、関係付け、支持しながら、「もの」であって「もの」ではないエレメントとして機能している。鉄はこうした物質性を捨象された機能と、錆やスケルトン(骨格)構造などの視覚的効果との、両義的な振幅の中にある。齋藤は制作にあたって、しばしばイメージを探るためのドローイングを制作するが、そこには動感に満ちた、おそらく陶らしき形象は描かれても、鉄は描かれないのである。

活性する空間

前項で、齋藤のドローイングについてふれたが、そのドローイングは、齋藤にとって、あくまでイメージソースであり、完成形態を決定するものではない。齋藤はまた忠実なマケット(模型)などを作ることもしない。完成形態は制作のプロセスの中で、次第に姿を現すのである。ただし、齋藤にとって、ドローイングから完成形態まで、保持されるべきものがある。それは、そのドローイングに満ちている力動的な活性する空間意識である。

フランク・ステラは、その著『ワーキング・スペース』において、カラヴァッジョを称揚し、カラヴァッジョが切り拓いた達成について、幾つかの指摘をしている。

「カラヴァッジョ以前の絵画は奥へ退いたり、横へ踏み出したり、壁面を登ったりすることはできたが、前へ進み出ることはなかった。絵画自身の運命を作り出すことができなかったのである。突出した空間に対する練り上げられた感覚がなければ、絵画はリアルなものになり得ない。絵画的リアリティーへの道は外形と表面をうち破って進まなければならない。この道こそ、偉大な芸術を今日我々が偉大な絵画と呼んでいるものへ導くためにカラヴァッジョが切り拓いた道なのである。」[註5]

「カラヴァッジョの空間は、先行するラファエッロやティツイアーノとも、後から現れたルーベンスやプーサンとも異なっている。突出しているがバランスのとれた球体感覚が重要な理由は、カラヴァッジョ以前には存在せず、不思議なことに彼以降にほどなく衰退してしまったひとつの契機を絵画に与えたからである。彼が作りだした空間は20世紀絵画が使うことのできる空間であり、それは型にはまったリアリズムの空間や、紋切り型のペインタリネスに堕してしまった空間に取って代わるべきものなのである。」[註6]

やや難解な引用だが、要はカラヴァッジョが、観客のいる現実空間へと突出し、前進する空間効果を用いたこと、そしてその空間はまた、絵画空間において一般的な箱形の空間ではなく、球状をなす空間として形成されていることなどである。そうしてみると、ステラによるカラヴァッジョのこうした分析が、ステラ自身のレリーフ・ペインティング以降に、実践的に適用されていることが知られるのである。

齋藤敏寿の空間形成も、ステラのそれと符合するところが少なくはない。突出する空間については、既に述べたとおりだが、初期の平面的作例から「水蒸気破裂」にいたる作例に「箱形の空間」が認められ、それ以降の「やわらかい鉄・かたい陶」から「archetype」を経て今日に至る作例には、「球状をなす空間」を見出すことができる。これはおそらくテキストから導き出されたものではなく、齋藤自身が、制作のプロセスの中で、その完成形態を探りながら到達した符合であり、結果であるに違いない。齋藤の表現は、陶芸作品として、他に並ぶもののない力動感と活性する空間を獲得しているのである。ここでは、ステラがベレンソンにならって、カラヴァッジョを「スペース・コンポーザー(空間構成家)」と呼んだように、私も齋藤敏寿を「陶のスペース・コンポーザー」と呼んでおきたいと思う。

2000年5月目黒陶芸館個展リーフレット

現代陶芸研究 (1), 57-61,4〜5, 2004-03  岐阜県現代陶芸美術館

 

註1:Italian Painters of the Renaissance, vol. 2, Florentine and Central Italian Schools, London, Phaidon, 1968, p.88この一文は、1986年にハーヴァード大学出版局から刊行された、フランク・ステラの『ワーキング・スペース』の中に、引かれていたものである(邦訳:福武書店刊、p.19)。ベレンソン自身は、ここでペルジーノとラファエロについて述べているが、ステラは「これを読みながら我々はカラヴァッジョのことを念頭に置かざるを得ない」としている。カラヴァッジョは、この『ワーキング・スペース』のライトモティーフである。

註2:イリュージョンとは、本来実在しない形象を、あたかも実在するかのように知覚する働き、あるいはその形象であるとされる。絵画の平面上に表された形象は、それが具象であれ抽象であれ、実在しない幻影(イリュージョン)である。

註3:『現代陶芸の若き旗手たち』展(1996年)カタログのアーティスト・ステートメントより

註4:「造形する意志の現代性について」”GLASS& ART”No.14, p.120-121

註5:フランク・ステラ、前掲書、p.19

註6:フランク・ステラ、前掲書、p.11