『現代陶芸の精鋭展』より (2001、外舘 和子とだてかずこ 美術工芸評論家)

湾曲した陶板の連なり、ロクロで挽いた円筒の集積、そしてタタラを刻んで寄せた陶魂が、空間を抱き込むようにからみあう。それらの陶にまとわりつく鉄の網目は、陶の”動き”に合わせてうねり、ねじれ、あたかも陶によって引きずり出されあるいは押さえ込まれるような動勢をみせる。破格のスケールをもつフォルムの内部には、作者の、あるいは人間の深層に在るアーキタイプ(原型)が潜んでいる。

齋藤の作品を初めて目にする者が一種”異常事態”とも思われる衝撃を受けたとしても無理はない。齋藤敏寿の作品<archetype00021>では通念的なイメージにおける陶(土)と鉄の役割が逆転しているのである。通念的とは、たとえば建築物の鉄筋であり、彫刻(モデリング)の芯棒である。建築や彫刻の常識では、コンクリートや粘土などの可塑材は、鉄に添って賦されていくものだ。頑丈な鉄がやわな可塑材を支えてかたちが成り立つ。初めに鉄ありきというのがこれらの素材の常套である。

齋藤自身も、一時期(95年頃)、鉄を先に組み、土を後から添わせていくという方法を試みた。先に鉄を組む方が合理的であろうことは建築家や彫刻家ならずとも誰しも予想する。しかし、実際にはその合理的な手法は齋藤のフォルムを硬直させてしまったようである。作家がしばしば制作に先立って描く大らかなドローイングの伸びやかな気分が、先に骨組みをつくることで消失してしまいがちであったという。

本展の齋藤の作品は陶主導である。制作の手順は、まず、ハンモックの布の丸みを利用して土の板・ロクロで挽いた円筒・タタラを刻んで寄せたパーツを湾曲させる。釉薬をかけて1230度で焼成した後、陶のパーツにネジを取り付け、それを受ける小さな鉄の丸管を起点として鉄の棒が網目状に溶接されていく。続く陶板の形や方向に添って溶接が続きその陶板のネジを受ける丸管が必要に応じて登場する。つまり陶の連なりに合わせて鉄の溶接が続けられるのである。1ピース10キロ近くもある重量と不規則なかたちを持つ陶は、自身で自律的に拡大していくことは物理的に困難である。そこで陶は鉄を利用し、鉄を介しながらフォルムを展開していくに至ったのである。”したたかな陶”である。

齋藤の初期作品では、不定形な形を提示するために、壁に貼り付けられ、あるいはワイヤーで吊されるなどの方法がとられてきた。しかしそれらは重力からの解放に至る一方、いかにも空間に”固定される”という代償を支払うものでもあった。しかし、重力と真っ向から向き合い、床の上に立ち上がることで、逆に作品は伸びやかに展開してゆく自由と動勢を獲得していったのである。

陶をつむぎ、陶に添って鉄もまたつむぐ。それは塑像の彫刻家ならば恐らく採用しない一見、非合理な手法である。しかしそうすることで陶は自在にフォルムを展開させていく。そしてこの時、はからずも鉄の方もまた、作品自立の補助構造体としてだけではない視覚的な造形要素としての役割をも果たし始める。それはもはや骨格や芯としての”硬直した”鉄ではない。陶とのセッションによって、うらがえされ、あるいは正面から飛び込んでくるような、作品の動的なダイナミズムに貢献する鉄である。齋藤敏寿は、陶の造形論理の範疇に無理なく鉄を取り込み、フォルムを活性化させることに成功している現代陶芸の若き精鋭なのである。