カーク・ヴァルネドー著 「デュエイン・ハンソン」 

カーク・ヴァルネドー『デュエイン・ハンソン カーク・ヴァルネドー著 』(Kirk Varnedoe, “DUANE HANSON By Kirk Varnedoe” 1985)による先行研究では、ハンソンの制作技術と作品テーマの関係性について述べています。

ハンソンの生まれは、主に中産階級または下位中産階級に属しました。少し時代遅れの家具、ポリエステルのファッション、ビニール、合成樹脂等は、家庭的で民俗的であり田舎的でも都会的でも無い、当時のアメリカの生活環境を表現しました。1970年代初頭のフォトリアリストの画家たちの作品に登場した世界にハンソンもこのリアリスト作家として加わりました。ハンソンの初期作品には暴力的なテーマが表現されました(ヴァルネドー、1985、筆者訳、2020、p.11.)。

ハンソンより先に人体から直接、型取りをした彫刻家は、エドワード・キーンホルツ(Edward Kienholz、1927-1994、アメリカ)とジョージ・シーガル(George Segal、1924-2000、アメリカ)です。彼らは、現代のアメリカの生活を主題に彫刻や絵画を制作しました。シーガルは真っ白な石膏による人体彫刻を作ってきた彫刻家です。彼の主題は聖書の中からイメージを取り上げ、現実と幻想の境界線を曖昧にした夢の世界を表現しました。一方で、中絶(1965)やレース暴動(1967)等の60年代から70年代における社会的重要なテーマをハンソンは取り扱い、特定の個人を彫刻によって表しました。ハンソンとキーンホルツ、シーガルとの共通点は、高い制作技術です。彼らは直接、人体から型を取ることによってリアリティを表現しました。特にシーガルにとってより重要だったのは石膏を最終的な素材とすることでした。厚い表面を持たせる石膏は、表情をはっきりと出すことが出来ません。このことによって感情的な意味を覆い隠しました。対照的にハンソンは、型に不飽和ポリエステル樹脂やビニル樹脂を流し込むことによって表情は明快に表され、明確なテーマを打ち出しました(ヴァルネドー、1985、筆者訳、2020、pp.13-15.)。

ハンソンは写真による一瞬の動きに不満を持ち、カメラを積極的に使用しませんでした。彼の理想に最も適したポーズは、動きのないポーズです。彼は人々の生活の中で典型的で永続的なものについて明確な信念を持っていました。エロティシズムや身体の動きだけでなく、笑い、笑顔、さらには対人コミュニケーションを除外し、「決定的な瞬間」とは対照的に、彼は習慣の状態を描写したいと考えました。各モデルの個性と調和に気を配り、配達員、ウェイトレス等の特定の「役割」を「キャスティング」し、彼らの側面を彫刻に取り入れました。個人的に特徴的な豊かさは、彫刻の「肉付け」に役立ち、彫刻に再現することによって個性の要素を超えるのです。モデルが普段着ている洋服や小道具を彫刻に取り付けることによって最終的にモデルのアイデンティティを表しました。モデルの背景からプロポーション、肌理等を含めて社会的存在が設定され、キーンホルツ、シーガルの作品よりも心理的にモデルを表現しました。ハンソンの作品にある中産階級の観光客や買い物客には些細な所有物をたくさん抱えさせています。物を持っていないと不安を持つ中毒の様な感じを覚えます。無情に生きる憂鬱に耐えるため、彼らの持ち物が彼らに尊厳を与えることを表しているのです(ヴァルネドー、1985、筆者訳、2020、pp.19-21.)。

ハンソンの作品に対する現代美術評論家、美術館等の反応の多くは、作品の内容ではなく、作品の技術的成果を評価しました。ハンソン自身は、その誤った賞賛が不快でした。アメリカの芸術に対する大衆の反応は、孤独、孤立、そして静かな絶望が国民の神経に触れるテーマであることを作品によって何度も示してきました。個人主義へのアメリカの投資がその絶滅への恐れを根付かせました。その様なアメリカの社会にある孤独や憂鬱をハンソンは作品を通して伝えたいと考えました。ハンソンの芸術的成功は、現代社会の問題を作品としたリアリズムの透明性です。現代社会の中でハンソンは自身の作品を構築し、作品としての品質を高め、そして芸術的伝統とのつながりを明らかにしました。皮肉なことに作品の中で最も印象的で特別な「自然な」即時性は、より永続的で重要なもののすべてを完全に理解する前に時代遅れになることがあります(ヴァルネドー、1985、筆者訳、2020、pp.23-27.)。