2.自分にとっての「芸術」への関心

 

 「教育」が経済効率の課題と近視眼的に結ばれた時に、芸術教育が一転して不要な教育、教科に変貌するのは不幸なことであると思う。たしかに図工・美術の教科の特性としては、自然科学のような客観性がないため人々の好き嫌いが基準となることは否めない。したがって周知のH.リードが「芸術は教育の基礎たるべし」といったところで、芸術を趣味のレベルと考える人々にとっては、それとは対極的な芸術の革新性などは実に胡散臭く映ることであろう。

 前者の立場であれば、後者などは伝承を破壊し、アナーキーなイメージでとらえられていることは充分に予想されることであり、芸術教育もまたその線上で判断されるからである。事実、前述の米国における芸術教育不要論を唱える人々の中には、芸術教育を現行秩序を否定する教育や教科であるから不要であると発言する場面も浮上している。

 以上の状況がつづく場合には、表現と鑑賞が表裏の関係にあるとか、それが美的情操から全人的な人間形成になると開陳したところで、もはや芸術教育を不要と考える人々を説得することは不可能である。
 大衆は、人間にとっていかなる芸術が自分にとって必要であるのか、いかなる芸術に経済効率のメリットを上廻る価値があるのかを知り、探りたいのである。