Production
いわきノートは「福島の人々の声を取材して世界に届ける」ことを標榜して、筑波大学創造的復興プロジェクトと映画の配給・制作を手がけるアップリンクとが協働して制作した映画です。筑波大学からは11 名の学生が参加し、映画製作の専門家の指導助言を受けながら取り組みました。2013 年3 月にいわき市を訪ねることからはじまり、そこに住まう人と知り合って取材のお願いをすることを重ね、9 月に実施した取材合宿では撮影がのべ96 時間に及びました。「あれから、たくさんの人と出会いました。」とは、インタビュー取材の中で聞かせていただいた言葉です。その言葉は、制作チームの思いにもぴたりと符合しています。
directors(撮影当時の学年)
いわきノート
有馬俊 筑波大学芸術専門学群3 年
今回の映画制作で出会った方一人一人が、どこの誰だか分からない大学生の私たちの「映画を作りたい」という言葉に、真摯に耳を傾け親身になって取材に協力してくださいました。完成が近づくに連れて映画は「私たちが作った」というよりは、「ご協力して頂いた皆さんに作らせてもらった」映画だと感じています。映画にはそんな皆さん一人一人の生きるエネルギーが詰まっていると思います。きっとこのエネルギーは、例えほんの少しであっても、世界を動かすものだと思います。この映画が上映される前と後では世界がどう変わるのだろう。ずっといつまでも見つめていたいと思います。
いわきノート
岡崎雅 筑波大学人間学群2 年
実在する人たちを題材とするこの作品を通じて私は、3.11以後という「あの日から」の世界を意識しながらこれからの人生を逃げないこと、そしてその事実にまっすぐ向かっていく覚悟をすることになりました。私たちが1週間の撮影期間で触れることができた、いわきに住む人々の抱えた「あの日から」のすべてを伝えたい。震災から二年半後を生きる人々の姿を映画の中に残すことが出来たこと。そして生きた声との出会いの物語があって、私たちの心の底にその声を刻み込むことができたこと。それがこの映画『いわきノート』の残してくれた大きな財産だと、「あの日から」三年が経とうとしている今この瞬間にも感じています。この映画を見たみなさんにいったい何が伝わるのかはまだわかりません。どうか、この『いわきノート』という映画空間の中で、カメラのファインダーの後ろ側にいる私たちの存在をそっと感じてみてくれないでしょうか。
いわきノート
佐々木楓 筑波大学芸術専門学群2 年
映画制作に参加して、二年半前の震災が私の中でどこか別次元の出来事になってしまっていたことに気づきました。取材をする中でたくさんの人々に出会いましたが、仮設住宅に初めて訪れた時は、見知らぬ私が受け入れてもらえるのか不安でした。何度か通わせていただく中で、避難している人と取材に来た大学生としてではなく、お互いにひとりの人間として関わっていると思えた瞬間がありました。その時初めて、今まで自分の中で考えていた断片的なものではなく、震災が起きたあの日から延長線上に続いている生活を感じることができました。そして続いてきた時間の中に私たちを少しでも受け入れてもらえたことを、とても嬉しく感じました。同時に、その時間はこれからも続いていくということを強く感じ、関わらせて頂いた責任を持たなくてはならない事を実感しました。この映画では私たちが出会った人々のこれからの時間を感じて、考えてもらえたら嬉しいです。
いわきノート
三藤紫乃 筑波大学社会・国際学群2 年
私は可哀想な人たちを撮ろうと思ったのでなければ、震災から立ち上がろうとする人たちを撮ろうと思ったのでもない。ただそこにいる彼らを知りたいと思った。素の彼らを撮りたいと思った。でもやっぱりそれは難しいことだった。だって映画に出てくる彼ら一人一人がみな違う思いや境遇を抱えて生きているんだから。映画は震災を中心にして進行していく。フィクションではないから、劇的な場面転換もクライマックスもなし。ひたすらカメラで彼らの日常を追う。現実はハッピーエンドでもバッドエンドでもない。映画はいつか終わるけど、現実はずっと続いていく。これはいわきの人々のそんな日常の一瞬を切り取った記録。震災は起こってほしくはない出来事だった。でも、震災がなかったら気づかなかったはずの出来事、出会いがたくさんあった。見る人にそうした思いや出会いを感じて、今の自分の生活と結びつけて考えてもらえたら嬉しく思う。
いわきノート
鈴木絹彩 筑波大学芸術専門学群2 年
「映画の取材で福島でサーフィンするかもしれない」と親に話したら、絶対にやめてくれと言われた。線量を計って考えながら海に入っていると小林さんから聞いていたので、こっちの話も聞かずただやめろとしか言わない親に対して、何も知らないくせにと少し苛立ちを感じた。知らないって怖い。津波が襲ってきたときの様子も、避難しない人たちの気持ちも、前を向いて生きてる人が本当に多いってことも、取材してみるまで知らなかった。「福島の人の声を発信する」なんて自己中の自己満足じゃないかと心のどこかで思っていたが、今になってやっとその重要性がわかってきた。いわきでの日々は初めて会う人、新しい考え方との出会いの連続で毎日が濃かった。楽しくインタビュー取材をした帰り道、津波で土台だけになった住宅街を当たり前のように目にしたりした。みんなの前では笑っていても、内側に傷を抱えている人がどれだけいるのだろうとどきりとした。
いわきノート
鈴木ゆり 筑波大学芸術専門学群2 年
東日本大震災後,福島の現状を新聞・ニュース等で耳にするたび、自分にできることは何だろう?という思いがずっと心の内にありました。私の地元茨城は,福島県の隣です。原発事故のことも決して遠くの出来事ではありません。それでも、日が経つにつれどこか他人事になっていく、震災が過去のものになっていく。そのことに不安と疑問を感じ、この映画制作に参加することにしました。現地に入って取材をしてゆくうち、だんだん薄れかけていた震災がまた身近に感じられるようになりました。取材は一方的に人の意見を訊くばかりでなく、問いを投げかける私達にも震災やいわきについて考えさせました。いわきではまだ、震災は終わっていません。だけどそこにあるのは悲惨な「非日常」というわけではなく、これから「日常」を生きるためにどうするか考え、活動している人々の姿です。映画を見た人にも、ぜひ一緒に考えてほしいと思います。
いわきノート
太智花美咲 筑波大学芸術専門学群2 年
震災から2年と半年。いわきを訪れたことがなかった私は、市内を駆け巡るこの映画に幽かな不安を抱いていた。あまりにも知らないことが多い中で、自分はちゃんと向かい合ってインタビューが出来るのか。対話の意図を伝える事が出来るのか。そして、どれだけの人にこの映画を観てもらえるのか。わたしが特に知りたかった農業にスポットを当てて取材を行った。自分にとって未知の領域だったが、真摯に向かい合うことで相手も応えてくれて、現状を知ることができた。初めて触れる農家の方たちから見た震災。食べ物が繋ぐ絆。風評被害と向かい合う姿勢。農家の方と向かい合うことは、これから人生でそんなにないと思う。『いわきノート』は様々な人々との出逢いの物語であると同時に、強くたくましく生きる福島の姿を記録していると思う。
いわきノート
千葉美和子 筑波大学芸術専門学群2 年
私は故郷の岩手県で震度6強の揺れを体験し、地震の恐ろしさは身をもって体験しましたが、福島が抱えている大きな問題はやはりどこか他人事のように遠く感じていました。プロジェクトの活動で訪れた海はひどく穏やかであるのに、そのすぐそばにあったはずの町には家の基礎がむき出しという光景がひろがっていました。その異様さが私に強く突き刺さり、心の片隅に違和感を残しています。この時初めて震災の被害というものを近くで感じられたように思います。取材を通して今までにないほどの様々な思考や感情が生まれ、自分の思いをうまく言葉にできないことがこんなにももどかしいものなのだと知りました。そんな未熟な取材にも真摯に向き合ってくださったいわきの皆さんに私は成長させてもらったと感じています。協力してくださった方々の声を伝えることはもちろん、私たち自身がこの取材で感じた言葉にならない感情や熱を、この映画に込めたいと思います。
いわきノート
津澤峻 筑波大学大学院 芸術専攻2 年
震災があって原発という存在にやっと気づいた。それは、被爆者である祖母を持ち、広島で育った僕にとって、猛省するできごとだった。知らないことが多すぎる、もっといろんな人の声を聴きたいという思いから、この映画の制作に参加した。最初にインタビューしたのは、お坊さん。お坊さんの立場としての話を聴こうと望んだが、こっちが望む回答をせがむような感じがした。話しが進んで、家族の話や趣味である鉄道の話になったとき、彼の表情が自然になった。職業人としての声を聴くのではなく、目の前のその人のことを知りたいと思うようになった。また、僕らも取材対象者から問いかけられることがあった。「もしあたしらがいわきで魚を捕ってきたら、食ってくれる?」漁師さんからの問いに、この出来事の当事者であることを突きつけられたような気がした。今でもその言葉に返答が見つけられないままでいるけれど、自分たちの問題として考えて続けていきたい。
いわきノート
中川慧介 筑波大学人間学群4 年
仮設住宅で暮らす方への取材中に「福島県のことがどんどん忘れられていっていることに対してどう思われますか?」と質問をしました。すると返ってきたのは悲観的な答えではなく、「忘れてもいいと思ってる。ただ、何かきっかけがあった時に思い出してもらえれば」と言われ、そのことが印象に深く残っています。残酷ですが確かに多くの日本人にとって震災や原発のことは自身に直接関わることがないため、ある程度忘れてしまうことは人間の脳の構造からも仕方のないことなのかもしれません。語弊があるけど、今回のことと関係が薄い人たちは毎日思い出さなくてもいい。ただ、映画を観たりだとか何かをした拍子にもう一度考える時間を作ってほしい。映画の撮影や編集の過程を経る中で、そんなことを考えました。そのきっかけを提供できるための映画になればいいなと思います。

製作:筑波大学創造的復興プロジェクト(CR プロジェクト)
筑波大学芸術系が中心となって創造的復興をめざすプロジェクト。筑波大学の多領域にわたる専門分野と芸術とが協働し、学生とともに被災地の多様なニーズに応えることを目的とし、創造的復興- Creative Reconstruction - を目指している。 http://www.geijutsu.tsukuba.ac.jp/~cr
制作:アップリンク
映画の配給および製作・ビデオ化などの関連事業を手がけ、映画上映やイベントができるスペース「UPLINK FACTORY」、「UPLINKX」を東京渋谷で運営。ジャンルにとらわれない情報発信を続けている。映画:『プリピャチ』(2012 年)『100,000 年後の安全』(2011年)『タンタンと私』(2012 年)。主な製作映画:『愛の悪魔/フランシス・ベイコンの歪んだ肖像』(1999 年、BBC との共同製作)『ストロベリーショートケイクス』(2006 年)など。
エグゼクティブプロデューサー:窪田研二
上野の森美術館、水戸芸術館現代美術センター学芸員を経て、2006 年よりインディペンデントキュレーター。『マネートーク』(2007 年・広島市現代美術館)、『TWIST&SHOUT』(2009 年・BACC バンコク)、『六本木クロッシング:芸術は可能か?』(2010 年・森美術館)他、国内外で多数の展覧会を企画。2012 年より筑波大学准教授として創造的復興プロジェクトサブリーダーを務める。
プロデューサー:浅井隆
寺山修司の天井桟敷舞台監督を経て、1987年に有限会社アップリンクを設立。映画の制作・配給・プロデュースを行ない、映画上映やイベントができる「UPLINK FACTORY」「UPLINK X」「ROOM」、展示スペース「UPLINK GALLERY」そして多国籍レストラン「TABELA」なども運営。ウェブ・マガジン「webDICE」編集長。
ラインプロデューサー:大澤一生
日本映画学校卒業後、独立系ドキュメンタリー映画の制作に主にプロデューサーとして携わる。主な参加作品に『バックドロップ・クルディスタン』(2007 年・野本大監督)、『アヒルの子』(2010 年・小野さやか監督)、『LINE』(2010 年・小谷忠典監督)、『隣る人』(2012 年・刀川和也監督)、『ドキュメンタリー映画 100万回生きたねこ』(2012年・小谷忠典監督)など。
プロデューサーアシスタント:倉持政晴
1999 年より有限会社アップリンクに勤務。同社が東京・渋谷で運営する上映とイベントのためのスペース「UPLINK FACTORY」のプログラム・ディレクターとして、国内外のインディペンデント・カルチャーやアーティストたちの活動を紹介し続けている。
プロダクションマネージャー:林剛人丸
筑波大学技術職員(芸術系工房担当)。専門領域は、飛ぶコトを題材にしたインスタレーション作品制作とワークショップの実践研究。主な展覧会に『今伝えたいこと。つくりたいもの。』(2011 年・いわき市立美術館)や、小中学生向けの鑑賞ワークショッププログラム『あーとバス』(2009 年〜・水戸芸術館現代美術センター)。
編集:島田隆一
日本映画学校を卒業後、多数の企業用 PR映像の 制作に携わる。2005 年から助監督として『1000 年の山古志』(2009 年・橋本信一監督)に参加。2012 年、初監督作品『ドコニモイケナイ』公開。同作品で2012 年度日本映画監督協会新人賞受賞。2011 年より日本映画大学非常勤講師。
制作担当:飯田将茂
筑波大学芸術系研究員。専門領域はアニメーション手法による映像表現およびパフォーマンス。ドーム投影による巨大映像作品は国内外のプラネタリウムシアターで紹介される。東京デザイナーズウィーク2013 においてドーム映像作品『コウノトリの美学』を発表。同作はデンバーで行われる国際的なドーム映像サミット「IMERSA SUMMIT 2014」で招待上映される。
制作担当:橋本友理子
筑波大学芸術系研究員。専門領域は木工。機能性と造形性にこだわった一点ものの家具作品を制作している。2011 年・2013 年には個展を開催したほか、オーダーメイドで家具を制作し販売を行っている。
音楽:江口拓人
2007 年からアーティストユニット「パンタグラフ」でコマ撮りアニメーションの制作に参加、音楽を担当する。他のアーティストが手がけるアニメーション作品や映像作品へも楽曲を提供しており、2013 年には映画『ただいま、ジャクリーン』(大九明子監督)に音楽担当として参加した。横浜美術大学非常勤講師。