9.指導の画一性

 B教諭が表明した、美術を通じて子供の創造性や自己表現力を発達させることの重要性についての信念は、画一的な指導と照らし見て、大変奇妙に思われた。もうひとつの重要なことは、比較教育学者のいう「グループ志向」の授業が日本の教育の核であるということである。

 自己についての日本人の概念は、グループのメンバーによって支えられた自己であり、西洋の概念とは異なると言われている。(ホワイト,1987,p.6)。第一に、グループの成員になることは、日本では自然で健全なことであると理解されており、従って成員でないことは、アイデンティティ、自信、そして自己の真価の損失を伴う(ローレン,1983,p.203)。第二に、西洋で形成されている個人道徳と社会道徳との差異が、日本では殆ど形成されていないということがある。

 道徳的なジレンマは、個人的なものである、そして、他と異なろうとすれば、大変行動が抑制される。第三に、日本人の民主主義についての概念は、個人に精神的な独立を果たさせることを目的としていない。従って、生徒の「自己発見」を目的とした選択の不変な流れの中に生徒を置かないという点で、日本の学校は西洋の学校と異なる。

 日本の学校制度における指導内容や方法の画一性( 標準化された学習指導要領、入試やテストの重視、機械的暗記学習や記憶への依存)は、1984年の教育課程審議会に問題として同定された。審議会の案出した、改革の八つの基礎概念には、国際化の必要性と共に、さらなる個性化や創造性への注目が、カリキュラム選択の幅を拡大することも含めて謳われていた。一方、何人かの西洋の観察者は現今の日本の教育方法に対して大変批判的であり、また、他の何人かは、日本の教育者は、米国あるいは英国の学校が創造的能力や個人主義が開花する機会を提供しているのを間違いであると考えていると指摘している(ホワイト,1987,p.173)。

 彼等は、西洋的規範である創造性、自己表現、そして選択の自由のような教育的価値観をめぐる混乱や緊張感を教育の放任主義的な態度であると指摘している。そして、社会的独立や批判的思考力の形成が教育の目的かどうか疑問視しているのが、かってなかったほど現実的である。例えば、ローレン(1983)にとっては、米国における教育的価値の特徴である個人主義の自由は、「人間の生活は、社会的独立に基づいている、そして、人間の可能性の成就は基本的に人間の幸せにつながる」という基本的な信念を抜きにしては幻想である。


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