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4.教師と生徒の関係
B教諭の授業態度は大変リラックスしたものであった。彼は、笑ったり、生徒と気楽に冗談を言い合ったりしていたが、多くの指示は、例えば、清掃とか安全性に関することであり、声を張り上げることなく伝達された。授業は、事前に用意されたワークシートを用いて導入させるのが常であった。ワークシートは、前の課題が終了した時点で個々の生徒に手渡された。各授業に先立って、彼は、黒板にキーとなる用語や数語の指示を次のように板書した(例:「色彩」と「塗り重ね」、「美的感覚」、「対象の形に注意」)。彼は、授業中を通じて、これらの用語や生徒の参考作品に注目させた。
私が参観した多くの授業のなかで、彼は、視覚教材を用いたが、その幾つかはホーム・メイドのものであった。ある授業では、先生は、絵画の構図における正と負の空間について、その要点を説明するために白黒の写真を壁に映写したり、また他の授業では、生徒に絵を描かせる前に、丸太を教室に持ち込んで、熱心に樹皮のテクスチャアに注目させたりしていた。
総体的に、B教諭の授業は、個人中心というよりはグループ中心で、私は、彼が、クラス全体を前にして技法の説明をしているのを見たことがなかった。彼はめったに座ることなく、一定の歩調で行きつ戻りつしてクラス全体に話しかけながら、生徒の返答を求めて立ち止まるものでもなく、該当の生徒が聞いているのかいないのか確認するのでもなく、距離をおいて個々の作品について批評するものであった。
ある授業では、私は、生徒が粘土で作った笛の音程を合わせるのに苦労しているのを彼が、かなりの時間をかけて指導しているのを見たことがある。また、他の授業では、女生徒が、電気ドリルが木材から抜けなくなってしまった時、彼がそこに行って、何もいわずにドリルを引き抜いてあげたのを見た。
一般的に、日本人の個々の関係は、形式張っているのが特徴であると思っていたので、B教諭の授業があまりにも形式張っていないのに、私は驚かされたのであった。始業と終業の区別はねはっきりとしていない。彼は生徒にきちんとした終了の形を求めるのであるが、時には、生徒が清掃する前に全く機械的に終了の挨拶を行ってしまったりする。私は、彼が一度だけクラスで礼をするのを見た。実は、生徒達は、大変自主的で責任感が強く、彼が教室に居ても居なくても、彼の助けを借りないで、授業の準備をして作業を始めるので、彼は、生徒を自由にしておけるのである。
彼は、生徒を青年というよりは子供のように扱うが、生徒をとても大切にしていることがはっきりしているので、生徒も先生を尊敬している。彼の、生徒のしつけ方は静かである。私は、彼が声を荒げたり、怒り声をするのを聞いたことがなかった。
生徒が騒々しくなり過ぎると彼は、軽く、「ほら、ほら」と言う。それだけでクラスが秩序を取り戻すには十分であった。ある日、学級で一人の生徒が試験中に机の上で寝ることによって反抗的態度を示そうとした時に、彼はその生徒のところに行って、床に膝立ちになって、優しく、愛しそうに諭すのであった。
日本の学校では、生徒と教師は一緒になって校内の清掃を行う。清掃人は雇われていない。その日の美術の授業の最終クラスが、椅子を机の上にあげ、流しを綺麗にし、埃を払い、床を掃いたり拭いたりするのである。
B教諭も手伝う。ある木工の授業の終わりにあたって、私は、彼が電気掃除機を廊下から持ってきて、床を掃除しているのを見た。
彼が大変誠実な人間であることは身をもって示されていた。午後6時に彼は、部活動の指導から戻り、美術室とホームルームに行き、電灯や窓をチェックするのが常であった。
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